キャット広告代理店

サヨナキドリ

おふくさんの御前会議

 広告代理店に就職して、学生時代からずっと憧れていたコピーライターが課長を務めるグループに運良く配属されたのはいいのだけれど……


「では、A案B案C案の中でどれがいいのか、部長!お願いします!」


 そう言って課長が、テーブルの上の『彼女』の前に企画書を並べる。『彼女』はお気に入りのかごから頭だけ出して、私たちを見渡した。部長と呼ばれた彼女の名前は『おふく』。課長が飼っているキャットだ。スコティッシュフォールド。


「……」


 私たちが見つめる中、おふくさんはあくびをしてから課長を見上げる。課長は、竿の先にネズミの人形がついたおもちゃを秘密兵器とばかりに取り出して、企画書の上を跳ねさせる。おふくさんはそのネズミを一瞥した後、また課長を見上げた。


「……」


 課員たちの沈黙の中、ネズミだけが跳ねる。やがて課長は、おもちゃを動かす手を止めて言った。


「3案とももう少し練り直そうか!」


 ——


「すみません……なんなんですか?あの茶番は」


 課長の手が空いたタイミングを見つけて、私は訊ねる。課長は私を見上げると、立ち上がりながら言った。


「『御前会議』のことだよね?みんなが黙って従っている伝統でも、おかしいと思ったら声をあげる。うん、君は見込みがある。でも、あれにはちゃんとした理由があるんだ」


 そう言って課長は、曲げた人差し指の背で、自分のおでこをコツン、と叩いた。


「ここ、分かる?」

「あたま、ですか?」

「もっと狭く」

「おでこ」

「もっと奥」

「脳」

「あと少し限定して」

「前頭葉」

「perfect!」


 そう言って課長は嬉しそうな笑みを浮かべて続ける。


「広告に携わる人間なら、前頭葉の働きはよく知っておいた方がいい。ここは人間のモチベーションを司る場所だ。何かの報酬が約束されて、『期待』を持つとここが刺激されてドーパミンが分泌されて、人間に行動を促す」


 何が何やら困惑しながらも、私はうなずく。


「広告屋の仕事は、見る人間の『ここ』をどうやって刺激するかだ。どんな『期待』を抱かせてどんな行動を取らせるか。もちろん俺たちも同じことだ。俺たちは次のコンペに勝つことを『期待』して、『行動』している」


 そこまで言って、熱っぽく語っていた課長が少しトーンを落とす。


「だが、『ここ』にはいくつか厄介な性質がある。例えば、『ここ』が活発に動いていると視野が狭くなる。頭の柔軟さを測るクイズだと、『正解したら賞金』って言われたグループの方がはっきりとスコアが悪くなったって実験もある。発想が硬直化して、クリエイティブがクリエイティブな発想ができなくなったらそれこそおしまいだ」


 私はうなずく。


「それから……『1回押すと必ず1個ご褒美が出るボタン』と、『押すとたまにだけ3個のご褒美が出るボタン』なら、どっちを押すのが合理的だと思う?」

「それは、絶対出てくるボタンじゃないですか?」

「でも、実験をしてみると実際に押されるのは後者なんだ。『いつも良いもの』より『たまにすごく良いもの』の方により多く『期待』をしてしまうものなんだよ、人間は。ガチャやギャンブル、DV彼氏が好かれる理由はこれなんだろうね。別に人間に限った話じゃない。猿でも犬でもマウスでも同じなんだ。ただ一つの例外を除いて」

「例外?」


 私が繰り返すと、課長は口元に笑みを浮かべて言った。


「猫だよ」

「!」

「猫だけは『期待』から自由なんだ。だから彼女の力を借りるんだ。一生懸命頑張って、『勝てるアイデア』に注目しすぎて『もっと面白いアイデア』を見落とさないように」

「そんな理由があったんですね」


 ガコン


「あいたっ!ファイルで叩くにしても背で叩くこたないだろ!」


 そう言って、課長が頭を押さえながら振り返る。見ると、課長の後ろで先輩が呆れたようなため息を吐いていた。


「また新人に変なこと吹き込んで……。新人、あんまりコピーライターの言葉を真に受けるなよ。こいつくらいの腕なら、口八丁でお前を丸めこんで、ウンコを食わせるくらいのことは簡単なんだから」

「ひどいなぁ、俺はそんなことしないよ。そもそも人間のウンコっていうのはかなり栄養が豊富で、長いこと家畜を育てる飼料に使われてたくらいなんだよ?イギリスの大学では人間のウンコから——」

「さっそく試してみるんじゃない!」


 ガコン


「あいたっ!」


 先輩はまたファイルで課長を叩くと、首根っこを掴んで引っ張っていく。


「あ、あの!じゃあ『御前会議』をやる本当の理由ってなんなんですか!?」


 追い縋るように私が言うと、先輩は振り返って言った。


「そんなものはないよ。単にこいつが猫バカなだけ」


 ——


「……ほんとうのところはどうなんですか?おふくさん」


 分からなくなった私は、おふくさんに訊ねた。おふくさんは黙って、私の手からちゅーるを食べ続けた。


 ちなみにコンペは今回も私たちが勝った。

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キャット広告代理店 サヨナキドリ @sayonaki

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