押印
キザなRye
全編
「今日中に作って押印まで押して提出して。」
これを作るのが今日までは少し厳しいな、と思いながら言われた通りにやるしかないと手を進めた。本来ならばもう少し早い段階で作る工程に入ってそろそろ完成という状態になっていなくてはいけなかった。ただ、僕の作業のペースが予定外に遅くて仕事がかつかつになってしまっている。
つべこべ言わずにとにかく手を動かした。本当はこれ以外にもやることがあるのだが、まずはこれを終わらせて他の作業にまで手を伸ばしたい。今日は残業確定だなと思いながらせっせと作業を進めた。
作業が終わったとなったのは定時の17時だった。あとは印刷して押印を押すだけだった。パソコンの画面で印刷の指令を出して自分の印鑑を机の引き出しから取り出そうと引き出しを開けた。が、そこに印鑑はなかった。
前回、いつ使ったかなと自分の記憶を辿ってみると家で資料を作るために持って帰ったことを思い出した。ここで誰かから借りれるような名字ではないので手元にないのは相当な問題だ。さらには店頭で売っていると断言も出来ず、家に帰らないと手に入らない可能性すらある。しかも家は会社から近くなくて行き来するだけでも三時間近くかかる。提出を明日にしてくれと言えないことはないが、元々先へ先へと延ばして今日に至るので簡単には話を持ち出せない。
どうしようかと悩んでいると目の前を猫が通った。よく会社に入ってくるようなアイドル的な猫だ。ふと“猫の手も借りたい”という言葉を思い出してふざけるつもりで猫の手を借りて印鑑を押す場所に肉球を押してみた。そしてそれを何事もなかったかのように提出してみた。その頃には既に課長は帰ってしまっていて机の上に置いておいた。見た目上は今日中に完成させたということになる。明日ちゃんと印鑑を持ってきて差し替えようと決めた。
朝起きて仕事に行く前に机の上にある印鑑を鞄に入れて持っていった。会社に着くと既に課長は出勤していた。肉球を押印として使ってしまっているのでさすがにまずいと焦った。恐る恐る席に着いて差し替えるために用意していたもう一枚の紙の方に印鑑を押して机にしまった。そして差し替えられるタイミングを伺っていた。
机に本来の方をしまったところで課長から呼ばれた。バレてしまったのかとすぐに謝るつもりで課長の前に足を進めた。
「ちょっと、これふざけてるでしょ。」
「本当に申し訳ありませんでした。」
土下座しようと体を低くしたところで部長から言葉が飛び出てきた。
「猫の手を借りたくなるくらい忙しかったんだな。押印の方を持ってきてくれ。」
多分、課長は僕の状況を理解した上でこういう言葉をかけてくれたのだろう。その課長の優しさに救われた。猫の手を借りて良かったと思えた。
押印 キザなRye @yosukew1616
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