ラスト・ブラッド~リータスベルの吸血鬼~

KaoLi

序章

序章 とある吸血鬼のひとりごと

 そこは、かつて『黄金の粒が舞う美しい世界』だったと、とある吸血鬼は言った。


 *


 はいつものように、机に溜まった書類を片づけていた。

 一枚一枚、目を通しては、いかにも嫌そうな顔をして見ていた。

 現実逃避のつもりなのか、書類を見ては視線を窓の外へと向けていた。


「今日はやけに肌寒いような。……ん?」


 窓の外を見てみれば月の光に照らされて、キラキラと光っている雪の結晶が彼の目に入った。淡く、儚く消えてゆくその姿は、何よりも美しく見える。

 まるで、記憶のように。命のように。

 彼は、窓を開けて降る雪を眺める。吐く息は白く、雪の様に解け、消えゆく。そんな景色を彼は楽しんでいた。


は、私をまだ恨んでいるのかな。――君はどう思う? マリー」

「いい加減、私をアイツの元へ行かせて下さい。


 一人の女性が彼に、彼の机上に書類をドッサリと置く。彼女――マリーは鬼のような目でリトリアを睨みつけている。


「……そう、睨むなよ」

「行かせて下さい」


 彼女は揺らがない。否、彼女の目は揺らがない。覚悟をしているのだと、彼は思った。彼はそんな彼女を見てひと息、やれやれといた。


「……いいよ。マリー、行ってきなさい。そこまで言うのなら私はもう止めないよ」


 マリーは少々驚いた顔をしてリトリアを見た。そうやら彼女は腑に落ちないようだ。彼は、そんなマリーの顔を見て、ふふふ、と静かに笑っていた。子供のような、そんな顔で。

 ふと、何かを思い出したかのように右手をポンと左掌に乗せた。


「あぁ……でも一つだけ注意しておくよマリー。は君よりも強い。でも、弱い。この事を肝に銘じておいで」

「? どういう意味ですか、司祭か、」


 一瞬。


 その刹那の時間だけ、二人の時間ときが止まった。

 恐怖。

 彼女の目の奥には『恐怖』しか映っていなかった。

 気がつけば、彼はマリーの喉に自身の指を立て、まるで獲物を狩るような目つきと不気味な笑顔で彼女を制した。静寂が痛い。

 二人の顔から表情が消えた。


「し、司祭官……?」


 やっと口を開けたのはいいが、その先の言葉が出てこない。恐怖と静寂によって支配されたこの一室で、無闇に口は利けない。緊張からか無意識に呼吸が浅くなっていく。いまだ彼の表情は消えている。

 ゴクリ。とマリーは唾を呑む。


「……君は、私の事を知らない。何一つとしてね。だが、それでいい」


 リトリアはゆっくりと伸ばした手を引いていく。マリーの体が極度の緊張から解き放たれたかのようにフラリと揺れた。そしてリトリアは、彼女をまるで蛇が体に巻きついたかのように自身に引き寄せる。


「あまり、深くこの件について追及しないでほしい。私についても、もちろんあの子についても、ね。近づけば近づくだけ、君は傷つくことになるだろう」

「……ッ、は、離して下さい!」


 リトリアは一瞬だけ目を見開いてから、マリーの体を離した。何をしたのか自分でもわからないといった顔をして。彼は深呼吸をして状況を理解した。


「分かったら、行ってくるといい。真実を見つめるためにね」


 彼女は気を取り直して足を揃えた。


「はいッ! 異界保護監察庁いかいほごかんさつちょう教会本部第五機関、マリー=ブレーライン司祭補佐官!」


 マリーは敬礼の意味を込め、右手を強く握りそれを左胸に当てた。


「これより『ラスト・ブラッド』の罪を暴き、必ずや教会本部へと連行します!」


 *


「……あ~あ。行ってしまったね。ふふっ、あの子は面白いほどにそっくりだね。……おや、雪がんだようだね」


 彼、リトリア=アリアロキは呟く。

 吐いた息はまだ白い。


「ここはまるで壊れた時計の中のようだ。前は、こんな世界では、なかったのに」


 リトリアは沢山の書類の中から、そこに埋まってたらしきひとつの写真立てを持ち上げる。それはまだ幼い時の思い出。そこには笑顔のリトリアと、もうひとり、小さな可愛い少年が写っていた。

 リトリアはその少年の事を、悲しそうな眼差しで見つめる。


「……待っていて。私がこの世界を、元の美しい世界に戻してあげるから。だから……それまで」


 彼は、届くことのない言葉を写真にかける。その写真立てをギュッと大事そうに握り締めながら、リトリアは静かにその目を伏せた。


 *


 そこが、黄金の光が舞う世界だったのは、いつの事だっただろうか。

 それすらも覚えていない。

 気の遠くなるような時間を暮らした私には、もうわからないよ。と、

 ある吸血鬼はひとり、泣いていた。

 静かな、冷たい風が部屋の中を満たしていく。

 誰もいない。部屋の中を、冷たい風は満たしていく。

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