第45話

翌日、悠希の姿は職員室にあった。

担任の教師、佐伯玲奈に呼び出しを受けたためだ。


「それで、矢城、呼び出しを受けた理由に心当たりはあるか?」


ギロリと人でも殺せそうな鋭い視線で睨みつけられて悠希はふいっ、と目を逸らした。


「目を逸らすな、それで心当たりは?」

「……特にありませんね」

「ほほう」


一応、心当たりはあるのだが、その事ではないと願いを込めて悠希はとぼけることにした。


佐伯先生の額に青筋が立ち上がる。

こいつぶっ殺してやろうかとでも言いたげな憤怒の表情。

どうやら怒らせてしまったらしい。

こういう攻撃的な態度が三十路に突入しても男が寄ってこない理由だろう。

冷静に分析していると、再び鋭利な視線が飛んでくる。


「これが何か分かるか、矢城?」


そう言って佐伯先生が一枚の紙をペラペラと左右に振る。

見覚えのあるB5サイズの紙。

具体的にいうと、昨日受けた小テストに似ている気がする。


「もしかして、先生の婚姻届だったり……」


余りにも重すぎる空気に軽い冗談で空気を和ませようとした悠希の言葉は最後まで続かなかった。

ひくっ、と佐伯先生の口角が吊り上がったのが分かったからだ。


「ハハハ、面白い冗談だな、三十路に突入して未だ男性と恋愛経験がない私に結婚相手がいるとは」


声では笑っているが、全く目が笑っていない佐伯先生に気おされて、とりあえず、口に蓋をする。

もしかしなくても、地雷を踏んでしまったらしい。

佐伯先生に年齢の話をしたらダメなのは、クラスの共通認識だったが、結婚関連の話も先生にするのはダメだったらしい。


「もう一度だけチャンスをやる、この紙に見覚えは?」

「……あります」


鋭い眼光を飛ばす先生にさすがに悠希は抵抗を諦めた。

手渡されたテストの点数欄に目を通すと、10と書かれている。

一瞬、10点満点のテストだったのではと脳が現実逃避を始めたが、赤でつけられたチェックマークの数からして、明らかに100点満点のテストだったということが分かってしまった。


「63点、この数字の意味が分かるか? 矢城」

「クラスの平均点とかでしょうか」

「そうだ、それでお前の点数は?」

「俺の見間違いじゃなければ10点ですね」

「安心しろ、お前の目は正常だ」


ひとつ溜息をついた佐伯先生が髪を搔き上げた。


「私が矢城を呼び出した理由はな……」


この流れからして恐らく説教でもされるだろうと思っていた悠希に聞こえてきたのは意外な言葉だった。


「矢城、お前に彼女でもできたのかと思ってな」

「はい?」


今の文脈でいきなり、彼女云々の話が出てきて、悠希は思わず、聞き返した。


「矢城、彼女でもできたか?」


聞き間違いかと思ったが、耳は正常らしい。

佐伯先生も表情は真剣で、冗談で聞いてきているわけではなさそうだ。


「いや、彼女なんていませんけど」


特に嘘もつく理由もないので正直に答える。


「何? じゃあ彼女ができて楽しい青春を送れるようになったから点数が急に悪くなったわけではないんだな?」

「……まあ、はい」

「そうか! そうか! 最高の青春をおくっているわけではないか、矢城のことだ、きっとそうだと私は信じていたぞ」


相変わらず、佐伯先生は青春に対しての敵意が強すぎる。


「しかし、彼女ができたわけでもないなら、特に私から怒る理由はないな」

「じゃあ、もう教室に戻っても?」

「いやもう少し待て、説教はしないが、矢城、お前勉強はちゃんとしろよ、理由はもちろん分かるだろう」

「自分の将来のためとかでしょうか?」

「何を言ってるんだ? 私の給料アップの為に決まっているだろう、お前たちがテストで良い成績を収めると、ボーナスで金がたんまり入ってくるんだ」

「……」


聞きたくもなかった真実を告げられ、思わず口を紡ぐ。

今まで、無駄にテスト前になると佐伯先生が情熱的に生徒に激を飛ばしていたのが、お金のためだったとは。

普段、そこまでやる気がない彼女がやる気で溢れかえっていたから怪しいとは思っていたが。


「お前の得点が悪いと私のボーナスに関わるからな、お前のために助っ人を用意した」

「助っ人ですか……」

「ああ、ちょうど来たみたいだな」


顔を上げた佐伯先生の視線を追うと、汐音が歩いてくるのが見えた。

助っ人とは汐音の事だろうか?

だとしたら、普段、勉強を教えてもらっているのにクラス最低点を取ってしまったことがばれて、とんでもなく気まずいのだが。


「佐伯先生、呼びだしを受けたので来たのですが」


ちらっ、と汐音がこちらに視線を送ってくる。


「ああ、柏木、忙しいところすまないが、矢城に勉強を教えてやってくれないか?」

「矢城君にですか?」

「ああ、昨日の小テストの点数がクラスで一番悪くてな、頼めないか?」

「……私は構いませんが」


再び汐音の目がこちらに向けられて悠希は誤魔化すように軽く頭をかいた。


「それじゃあ、頼むぞ、おい、矢城、お前からも挨拶しとけ」

「あー、矢城悠希だ、よろしく、柏木さん」

「よろしくお願いします、矢城君」

「よし、自己紹介も終わったみたいだし柏木は矢城に今日から勉強をおしえてやってくれ、勉強の際には2階の視聴覚室を使っていいぞ」


既に汐音と一緒に暮らし始めて一か月程度が経とうとしており、汐音とは結構打ち解けているので、他人行儀な態度を取るのは何か不思議な気分になる。

しかし、こちらのせいで学校でも関わりを持つことになるとは。

というか、青春は嫌いなのに、男女を二人で勉強させていいのだろうか。

普通なら、学校一の美少女と一緒に勉強など、青春の一ページとして記憶に刻み込まれそうだが。

そう思って佐伯先生に軽くそのことを聞くと、私のお金の方が大事だというらしい答えが返ってきた。

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