第42話

「ふにゃー……」


汐音からケーキを受け取って、フォークで一口分、掬ったところで聞きなれない甘い声が悠希の耳朶を打った。

思わず、音の発生源、汐音の方を見ると、汐音がふわふわとした夢見心地な表情を浮かべている。

汐音の表情と声の発生位置からして、さきほどの声は汐音が出したもので間違いないだろう。

頬を押さえて幸せそうに微笑む汐音はいつもより幼く見えた。


やがて口の中のチョコが完全に溶けてしまったのか。

汐音の目尻が名残惜しそうに、シュンと垂れた。

ケーキを口に運べば、瞳をへにゃりと細めて幸福の笑みを浮かべ、ケーキが口から姿を消すと、再び、残念そうに肩を落とす。


ころころと表情を変える汐音は新鮮で、気づくと、悠希は汐音の表情をひたすら目で追っていた。


なんとなく、目を離すタイミングを見失って汐音のことを見続けていると、こちらに目を向けた汐音が驚愕したように目を見開き、一瞬で顔を朱に染めた。


あまり、見ないでくれるかしら、という素っ気ない言葉でも飛んでくるのかと思ったが、汐音の口から紡がれたのは、感謝の言葉だった。


「……ありがとう、矢城君、私の誕生日を祝ってくれて、本当に嬉しいわ」


今日、一番の笑顔を見せた汐音に心臓が飛び出そうになった。

猫のぬいぐるみを抱きしめ、ケーキを口に運んで至福の笑みを浮かべる汐音はあまりに神秘的な魅力を持っていた。

ずっとこの笑顔を浮かべていて欲しいと悠希が思うくらいには強烈な笑みを前に悠希は軽く顔を背けた。


心を開いた汐音が無邪気な笑みを晒してくれるのは正直、嬉しい。

ただ、汐音が無防備な笑顔を見せるのが自分の前だけだと思うと、調子にのりたくなってしまう。

汐音が自分の事を好きなんじゃないかと勘違いしそうになる。

そして、それを嬉しいと心の中で思ってしまう自分がいることに嫌気がさす。


あくまで、汐音は頼れる兄的な存在として悠希を信用しているだけ、そこに恋愛感情はない。

もし、仮に汐音に恋愛感情があったとしても、自分とは釣り合わない。

そう、何度も言い聞かせても、悠希の心臓は何かを訴えるように激しく、鼓動を刻み、布団に入ってからもしばらく収まらなかった。



翌日の昼休み、悠希は諒真と美月に誘われて、昼食を共にしていた。

悠希としては二人がいちゃつく姿など見たくもないので、断りたかったのだが、二人があまりにしつこいので渋々、二人と昼食をとることにした。

手には最近、見慣れた光景になってきた汐音の手作り弁当を持ち、特に二人と会話することもなく、弁当に舌鼓を打つ。


今日の弁当は心なしか豪華な気がする。

卵焼きやポテトサラダ、キュウリなど、いつものレギュラーメンバーに加えて、からりと揚げられた鶏の竜田揚げが中央に陣取っている。

とりあえず、竜田揚げは最後の楽しみに取っておこうと考えたところで、横から箸が伸びてきたのが見えて、慌てて、弁当を引き寄せる。


「……何の真似だ?雪平」


いきなり、おかずを横取りしようとしてきた美月を睨みつけると、悪びれたようすもなく、「美味しそうなのが、残ってたからいらないのかなと思って」といかにも美月らしい返事が返ってきた。

「これは俺の最後の楽しみだ」

「そういうのは先に言っといてくれないと」


やれやれと肩をすくめながら美月がそんなことを言う。


先に言うも何も、何も聞かずにいきなり箸を伸ばしてきたように見えたんだが。

ちゃんと彼女の面倒を見ろと諒真を睨むと、「食べたいものは先に食っとかないと、美月に食われるぞ」と遅すぎる警告が来た。


どうやら、諒真もすでに美月からの被害にあったらしく、既に弁当には諒真の苦手な野菜と白米しか残っていない。

なぜ、分かるかと言うと、諒真も悠希と同じで好物を最後に食べるタイプの人間だからだ。

メインのおかずを作ってきた張本人に食べられ、絶望の表情を浮かべる諒真に憐れんだ瞳を送る。


美月に竜田揚げを取られるのは嫌なので、被害にあう前に先に食べるかと竜田揚げを口元に運ぶと、諒真から声がかかる。


「悠希、その唐揚げ、美味そうだな、おかずが野菜しかない俺にそれを恵んだりしてくれるなんてことは……」

「ないな」


諒真が言い切る前に素っ気なく、拒否の言葉を贈り竜田揚げを見せつけるように口の中に運ぶと、諒真の顔が絶望の色にさらに強く染まった。

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