第22話
風呂から上がった悠希がリビングの机に学校の教材を広げると珍しいものを見るような目で汐音がこちらを見てきた。
「矢城君が勉強……」
信じられない物を見たとでも言いたげな汐音に悠希はムッとなったが、汐音には構わず、勉強を始める。
当然、予習などではなく、日曜日に諒真に勉強の内容を教えられるかどうかを確認するのが目的だ。
因みに悠希に得意科目などないが、しいて言うなら国語だろうか。
本を毎日読んでいるおかげなのかは分からないが。
苦手科目は数学と英語。
この二科目だけは入学後一か月後のテストで平均点を十五点も下回るというとんでもない結果を残してしまったので、次のテストでは挽回しようと思っていたところだ。
汐音にテストが一か月後にあると聞くまでテストの点など完全に忘れてしまっていたが。
やはり、最初にやるべきは苦手科目からだろう。
そう思って数学の教科書を広げた悠希は頭を抱えた。
……全く分からない。
開いたページは前回のテスト範囲の次のページなので来月行われるテスト範囲で間違いないだろう。
見開きのページには数学の公式らしきものが書かれているが、まるで呪文のようで全く頭に入ってこない。
そもそもこんな公式を習った覚えがない。
いつの間に教わったんだ。
確かに授業を真面目に受けていたわけではないが、それでも授業中居眠りなどはしていない。
高校からの数学は魔境だと誰かが言っていたが、もしかしたらあれは本当のことなのかもしれない。
とりあえず、教科書を読んでも全く分からないので、悠希は教科書を閉じた。
こうなったら理解できる教科からやろう。
そう思って英語の教科書を開いて即座に悠希は教科書を閉じた。
今まで、ちゃんと教科書を見たことがなかったが、ページは一面英語で埋め尽くされていて、ほとんどが知らない単語だったからだ。
何度も教科書を開いては閉じてを繰り返す悠希が煩わしくなったのか、汐音が声をかけてくる。
「矢城君、さっきから何をやっているのかしら?」
「見ての通り、勉強だ、勉強」
「その割には教科書を開いては即座に閉じてを繰り返しているようだけど」
悠希の様子は汐音にはっきり見られていたらしい。
もしかしてその程度の内容も理解できないのかしらとでも言いたげな見下した目を汐音に向けられて、悠希は珍しくたじろいだ。
悠希の中のプライドが見栄を張ろうとしたが、結局汐音の瞳にじっと見つめられて、悠希は教科書の内容が全く理解できないことを白状した。
「全く、教科書の内容が理解できない……」
そう、素直に認めると、汐音から意外な提案をされた。
「それなら、矢城君に勉強を教えてあげるのもやぶさかではないけれど」
今度は悠希がキョトンとした表情を浮かべた。
汐音からそんな提案がされるとは。
まさかの提案に悠希が驚いていると、悠希が自分の提案を渋っていると判断したのか汐音が拗ねたように口を尖らせた。
「別に嫌ならいいのだけど」
正直、汐音に勉強を教えてもらえるのはありがたい。
普段、勉強していることからも間違いなく汐音は学年トップの成績を取っているだろう。
教えてもらう教師役としては申し分ない実力。
ただ、汐音には朝食や夕食に加えて、弁当まで作ってもらっている。
これ以上、汐音に負担をかけていいものか。
しばらく、迷った後、悠希は汐音に勉強を教えてもらうことに決めた。
理由は単純。
他に頼れる人がいないからだ。
友達二人のうち、諒真は論外として、美月の方も諒真の感想を聞く感じ、人に教えるのが得意ではないらしい。
テストは一か月先とはいえ、四十点以下を取ってしまえば、貴重な読書期間である夏休みに補習として、強制勉強習慣を送らされてしまう。
それだけはどうしても避けたい。
「柏木、それなら頼んでいいか」
「分かったわ」
頷いた汐音が悠希の隣の席に座って、教科書を覗き込んでくる。
これから、すぐに教えてくれるということだろう。
はらりと垂れた髪から、甘い匂いが香って、悠希は心臓がドキンと跳ねたのを感じた。
教科書を軽く読んで内容を理解したらしい汐音の説明を悠希は真剣に聞くことにした。
わざわざ自分のために時間を取ってくれている汐音に対して真面目に向き合わないと失礼だと思ったのが主な理由だ。
幸いなことに汐音の説明はとても分かりやすく、数分後には公式を使った練習問題まで解けるようになった。
ただ、一つ問題を上げるとすれば、汐音が垂れた髪を耳にかけるときに甘い香りと整った汐音の美貌が飛び込んできて、ときたま、意識がそちらに向けられてしまうことだろう。
肩が触れてしまいそうな距離感だというのに汐音は全く気にした様子がなかったが。
教科書の問題をある程度解き終わって、顔を上げると汐音はもといた席に既に戻っていた。
思いのほか集中していたらしい。
どうやら、汐音の教えのおかげで、次のテストも何とかなりそうだ。
一つ息を吐いて真剣な表情で参考書に向き合う汐音を見習って少し遅くまで悠希は一緒に勉強をした。
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