第17話
「次はちゃんと柏木の口にチョコを運ぶ」
もう一度言うと、悠希の言葉を信用したのか、汐音が悠希に再び向かい合う。
再度、悠希がチョコを包み紙から取り出すと、汐音の細い腕が伸びてきて、悠希の服の裾をぎゅっと強めに握った。
汐音の行動の意図が分からず、「何だ?」と悠希が尋ねる。
「また、矢城君がいたずらするかもしれないでしょう」
そう言って上目遣いで見つめてくる汐音に悠希は胸がどきりとはねるのが分かった。
「別にもうしない」
そう言った悠希の顔を汐音が覗き込んできて、たまらず、悠希は汐音から視線を逸らした。
「ほら、やる気だったんでしょう」
照れて視線を逸らした悠希を汐音は嘘をついた気まずさから視線を逸らしたと判断したらしい。
矢城君の考えてる事なんかお見通しよとでも言いたげに得意げな表情を浮かべている。
実際には悠希の思考を見通せていないのだが。
数秒、汐音から目を逸らすことで暴走する心臓を落ち着けた悠希が向き直ると汐音が袖を握る力をほんのり強めるのがわかった。
少し体を寄せてきた汐音から甘い香りが漂って悠希は頭がくらくらするのを感じた。
汐音の方は距離感を特に気にしていない用で、チョコの方に視線を一心不乱に注いでいる。
汐音の可愛らしい小さな口元にチョコを運ぶと汐音の瞳がゆっくり閉じられた。
汐音の上目遣いから開放されてホッと油断したところで、うっすらと開いた汐音の瞳と悠希の瞳が交わった。
心臓がどきんと高鳴ったが、汐音の視線はすぐにチョコの方にそれて、ぱくりと悠希の手にあったチョコを奪っていった。
チョコを口に入れた汐音の瞳が驚きで見開いた後、目じりが垂れる。
よほどチョコが美味しかったのか、夢見心地な表情を浮かべている。
顔にふんわりと笑みを浮かばせながら、チョコを嚙みしめている。
やがて、チョコが口の中で溶けてなくなったのか、汐音がシュンと悲し気な表情をした。
少し潤んだ瞳で上目遣いで汐音に見つめられて、悠希には「まだ、有るぞ」と言って苺チョコの袋を掲げる事しかできなかった。
チョコを口に入れては柔らかい笑みをこぼし、チョコが口の中で溶け切ると、切ない表情を浮かべる。
それを数十回繰り返したところで、ようやく、汐音が満足したようにひとつ息を吐いた。
包み紙の数からして、汐音は一人でチョコを三十個程食べたらしい。
当然、全て、悠希からのあ~んでだ。
途中からは小動物にエサを与えている感覚で、汐音にチョコを上げることができたが、最初の方はドキドキが止まらなかった。
恋人と言うのはいつもこんな胸が悶えるような体験をしているのだろうか。
付き合っていない状態で、これなのだ。
付き合っている男女はもっと大きなドキドキを体験しているのかと思うと、悠希は少しだけ関心が湧き出るのを感じた。
「チョコ好きなんだな」
汐音がチョコの余韻から覚めたのを見て悠希が尋ねると「当然よ、苺チョコレートだけが私の癒しなんだから」と汐音からすぐに返答が返ってきた。
どうやら汐音はチョコの中でも苺チョコが好きらしい。
そういえば、スーパーの中でも、周りのチョコには目もくれず、苺チョコにだけ視線を当てていた気がする。
ふと、気になって正面上にある時計を見ると、時刻は12時を回ろうとしていた。
思ったより時間が経っていたらしい。
眠るために歯磨きなどをしてリビングに戻ると、ソファで汐音がうとうと船を漕いでいるのが眼に入った。
「柏木、俺はもう寝るぞ」
声をかけると、汐音から返答はなかった。
「柏木?」
「なに?」
半分閉じかけていた汐音が眼を擦りながら小さな声で返答する。
「いや、寝る前に歯磨きとかちゃんとしといたほうがいいぞ」
「そんなこと矢城君に言われなくても分かってるわ」
「なら、いいんだが」
眠そうに眼をしょぼしょぼしていた汐音が何とか立ち上がり、洗面台のある方に歩いて行ったのを見届けてから、悠希は寝室に足を運んだ。
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