何故かクラスの天使様と同居することになってしまったドライな矢城君
皇 伶維
第1話
その日、
天使と言っても本物の天使ではなく、あくまで学校のクラスメイト。
しかし、天使と言われても納得できるほどには彼女の容姿は整っていた。
黒髪は深い夜を思いおこさせ、時折、太陽やライトの光を夜空のように映しだす。
新雪が降り積もったかのように白く透き通る肌、整った鼻梁、長い睫毛。
そして意志の強そうな切れ長の瞳。
それらが奇跡のようなバランスを保って一人の人間を形作っていた。
基本的に人に無関心な悠希にも汐音の話は色々入ってきた。
成績はいつも上位、運動も得意、つまりは文武両道。
それだけ聞くと、皆が天使の生まれ変わりだとはやし立てるのも当然のように思える。
話だけ聞いていると、完璧超人な汐音に対して、他の人と違い悠希は全く興味を示していなかった。
なので、雨上がりで制服が透けて下着が見えている汐音がベンチに腰かけているのを見た時にも、普通にスルーして家に帰ろうと思ったくらいだった。
汐音が座っているベンチの前を通り過ぎようとした時、悠希は思い出した。
汐音が今日、早退していたことを。
悠希は汐音がいなくなっているのに気づいてすらいなかったが、周りの生徒が心配そうに汐音のことについて語っているのを聞いて、汐音が早退したことに遅まきながら気づいた。
思ったことと言えば、流石の天使様でも風邪は引くんだなくらいのことだが。
風邪を引いて早退したはずの汐音がなぜか風邪が悪化しそうな外で雨水を浴びて、黄昏ている。
それが、いつもは枯れている悠希の関心を妙に引っ張った。
ベンチに腰かけて俯く汐音に声を掛けようとして悠希は言葉に詰まった。
名前が分からない。
よくよく考えると、皆が天使、天使というので彼女の名前を正確に把握していない。
本人に天使さん、どうしたんですかと聞くのも憚られて、結局、悠希は直感に身を任せることにした。
別に会話するのも、今日が最初で最後だ。
名前を間違えても、大して問題じゃない。
「柏原……柏餅さん」
とりあえず、感を信じて目の前で俯く少女に声をかける。
正面の汐音が顔を上げる。
初めて、真正面から顔を見たが、皆が天使というのも否定できないほどに汐音の容姿は整っていた。
容姿だけでなく、スタイルも良いらしい。
雨で透けた制服の下から豊満な二つの果実が下着越しにだが、見える。
「矢城君、私に何か用かしら?」
鋭く冷たい汐音の視線が突き刺さる。
そう言えば、男にはきついんだったこの天使。
汐音に話しかけて、ようやく、彼女の周りに男の取り巻きがいない理由を悠希は思い出した。
時すでに遅しだが。
それにしても天使様はクラスで一度も話したことがない悠希の苗字を覚えていたらしい。
「いや、熱で早退したクラスメイトが風邪が悪化しそうな場所にいるから、理由が気になってな」
「そう、ところであなたの中で私は食べ物にでもなっているのかしら」
「どういう意味だ?」
本気で意味が分からないと首を傾げる悠希に汐音がふうっと息を吐く。
「どうやらふざけているわけではなさそうね」
「まあ、うん」
悠希が曖昧に頷く。
「矢城君、あなたクラスメイトの名前覚えていないでしょう」
「いや二、三人は分かるぞ」
正確にはクラスメイトに一人、他のクラスにもう一人の合計二人だが。
「クラスメイトは三十五人いるのだけど」
「そうなのか、今、初めて知った」
「……」
はあっと大きく息を吐いて、汐音が完全に顔を上げる。
視線からは先程までの鋭さは感じられない。
どうしてかは分からないが、警戒を解くことに成功したらしい。
「あなたが、他人に興味がない人間ということはよく分かったわ」
「そりゃ、どうも」
「……全く誉めていないのだけど」
思ったより汐音は饒舌らしい。
天使と言われるぐらいだから、もっとおっとりした感じかと勝手に思っていた。
何だか、長くなりそうだな。
ここにいる理由だけ教えてくれれば悠希としてはそれで充分なのだが。
「柏木よ、柏木」
「?」
「私の苗字」
「柏餅じゃなかったのか?」
「当たり前でしょう、柏木汐音それが私の名前」
「それで柏木さんはどうしてここに」
そう尋ねた瞬間、汐音の顔が泣きそうに歪んだのが分かった。
どうやら訳ありらしい。
正直、死ぬほど聞きたいことでもないし、面倒だから、やっぱり立ち去ろうとした時、汐音がしゃべり出した。
「矢城君にはいいふらす友達もいなそうだし、話すことにするわ」
事実だが、初めて会話する人間にかける言葉じゃないぞ、柏木さん。
確かに事実だけど。
ぽつぽつと喋りだした汐音の言葉をまとめるとこういうことらしい。
汐音の両親は幼い時に亡くなっており、身寄りのなくなった汐音は唯一の親戚だった叔父にお世話になることに。
ただ、その叔父がギャンブル依存症でつい先日、多額の借金が発覚、住んでいた住居を差し押さえられてしまったらしい。
そしてその叔父は逃亡。
行き場のなくなった汐音はこの公園で時間をつぶしていたというわけだ。
「……苦労してるんだな、わが校の天使様も」
聞きたいことも聞けたので、「じゃあ、俺はこれで」とだけ言って汐音の前から去ろうとした。
所で「ちょっと待ちなさい」と汐音に呼び止められた。
「もう、俺に用事はないぞ」
「私があるのよ、時に矢城君、あなたもしかして一人暮らしということはないかしら」
「なんでそんなことを聞くんだ?」
質問の意図を測りかねて悠希が不思議そうに質問を返す。
「私の事情を教えてあげたんだから、そのくらい教えてくれてもいいんじゃないかしら」
しばし逡巡したあと、別に教えても問題ないだろうと判断を下した悠希が口を開く。
「一応一人暮らしだけど、それがどうかしたか」
「私は今、帰る家がない、友達も少しはいるけど、その子達の家に何日も泊まり込むことはできない、あとは分かるでしょう」
汐音が何を言いたいのか思考を回したあと、悠希が答える。
「柏木さんが言いたいことが全く分からない」
「だーかーら、私をあなたの家に泊めてほしいってこと、女の子の言いたいことを察せない男はもてないわよ」
クールな汐音にしては珍しく感情的に荒々しく言葉を発してきた。
「それでどうかしら」
「どうも何も普通に嫌だけど」
「……よく、聞こえなかったわ、もう一回言ってみてくれる」
すっと細められていた瞳は自分の聞こえた言葉が信じられないらしく、おおきく見開かれている。
美少女はどんな表情でも可愛いらしいなどとどうでもいいことを考えつつ、同じ答えを続ける。
「普通に嫌だけど」
「……理由を聞いても」
「俺にメリットがないし」
続きの言葉を待つように黙る汐音との間に沈黙が生まれる。
三秒ほどが経過してようやく汐音が口を開く。
「それだけ?」
「ああ」
「失礼だけど、矢城君って男だよね」
「そうだけど」
「男なら普通こんな美少女が家に泊めてって言ったら泣いて喜んで、このまま一生ここで暮らしてくださいって言うでしょう」
柏木さんの中では男とはそういう生き物らしい。
さすがに偏見がすぎると思ったものの、一人、友人に心当たりがあるので、実はそうなのかもしれない。
「もしかして、矢城君はそのホモなのかしら、いえ、別にあなたの趣味を否定するつもりはないのよ、ちょっと興味がわいただけというか」
「俺はいたってノーマルだけど」
「彼女がいるとか?それなら私からきちんと彼女さんに説明させてもらうわ、少し家に住ませてもらうだけです、やましい関係ではありませんって」
「俺に、彼女がいるように見えるか」
「いいえ、全く、コホン、い、いてもおかしくないんじゃないかしら、世の中には道に落ちているただの石ころに興味を持つ人もいるみたいだし」
つまり、汐音から見れば、悠希はそこらに落ちた石ころに見えるらしい。
確かに、悠希の外見はぱっとしない。
長い黒髪はいつもぼさぼさだし、身長こそ、そこそこあるものの、髪が顔を隠してしまっていて、表情を伺えない。
第一印象は不気味。
この一言に尽きるだろう。
悠希としても、そこまで見た目に気を使っているわけでもないし、汐音の言うことはあながち間違えていない。
「そのただの石ころの家にお世話になるのはいいのか?」
「えっ、どうして私が矢城君のことをそこらにいるミジンコみたいに思っていることが分かったの?」
いや、さっきお前が言ったんだろうと突っ込もうとして、さらに悠希は立ち位置が悪化していることに気づく。
悠希ですらクラスメイトのことをちょっとおちゃらけた有象無象ぐらいにしか思っていない。
流石にクラスメイトをミジンコと同じ存在として扱うのはどうかと思うが、突っ込むのも面倒くさくて華麗にスルーを決める。
本当に家に泊めてもらいたそうな態度にも見えないし、帰ろうと踵を返して数歩、歩いたところで気づく。
後ろを振り向くと、汐音が一歩分距離を開けてついて来ている。
「なんで、ついてくるんだ?」
「えっ、泊めてくれるんでしょう」
「それは断っただろう」
「矢城君が泊めてくれないと、私、jk好きの脂ののった禿げデブ爺にあんなことやこんなことされちゃうかもしれないのよ」
余りに偏見が過ぎるが、汐音の美貌があれば、客がすぐに釣れるのは間違いない。
「まあ、そうだな」
「私がそんな目にあってもいいのかしら」
「俺には関係ないし、柏木さんがいいならいいんじゃないか」
「矢城君の悪魔、鬼、人でなし、あなた本当に人間なのかしら、人の心はあるの?」
初対面のクラスメイトをミジンコとして見ている汐音にだけは言われたくなかったが言い返すとややこしくなりそうなので悠希は黙っておく。
「分かったわ、矢城君にメリットがあればいいんでしょう」
「まあ、そうだな」
「仕方ないから家事全般を私が担当してあげるわ」
それは正直助かる。
一人暮らしを始めてから悠希の部屋は散らかりっぱなし、食事は基本スーパーの弁当かカップ麺、健康面でも衛星面でも少し自分で心配になってきたところだった。
来月には母親がきちんと独り暮らしをできているか確認に来るという話も父親から聞いた。
何より、汐音は諦めてくれない、そんな確信が悠希にはあった。
「もう、それでいいぞ」
悠希は諦めたようにはあっと息を吐いた。
「あら、拍子抜けね、サービスに夜のご奉仕もつけてあげるわ」
「それはいらん」
「あら、そう、それじゃ早速私の新居に行きましょう」
うきうきした様子の汐音に黒のアウターを脱いで放り投げる。
「それを着といてくれ、俺が下着の透けた痴女を連れ歩いていると知れたらたまらんからな」
少し意味が分からないように呆けていた汐音だったが、視線を落として、自分の黒い下着が透けているのに気づくと顔を赤面させた。
「覚えてなさい、矢城君、乙女の柔肌をみた罪絶対、償わせてあげるわ」
アウターに身を包んで威嚇をする猫のような態度を取った汐音はずいぶん可愛らしかった。
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