第二話 いよいよ訓練開始です!(3)

「こ……これは……ッ」

 部屋に戻ってきたあたしたちは、扉の前で固まった。

「──やられたわね」

 ぼそりと、隣で志鷹三曹が呟くのが聞こえる。

 ロッカーから飛び出た荷物。ベッドの下から出されてひっくり返された荷箱。床には、予備の戦闘服やら持ってきた小物やらがあちこちに散乱している。おまけに、ベッドメイキングされていたはずの、シーツや毛布まで。

 まるで──部屋の中を、台風が過ぎ去ったみたいに。

 ちらっと隣を見ると、男子学生らも呆然と自分達の部屋を覗き込んでいた。

「てめぇら! ふざけんじゃねぇぞッ」

 低い怒鳴り声が、廊下に響く。その声の主は、部屋の惨状にキレた男子学生らではなく。

「部屋の中がたるんでるんだよぉッ! もう訓練は始まってんだ、気を引き締めろ気をぉっ」

 怒鳴りながらやって来た助教らの姿に、あたしはノートを持つ手の力をぐっと強めた。さっきの時間、そう言えば助教たちを見ないなと思ったのだけど。

「台風」──と呼ばれる現象が、自衛隊の隊舎ではときどき、新隊員の部屋で起こる。なにかって言うと、先輩自衛官による教育の一環だ。

 ベッドメイキングができていなかったり、部屋の整頓になにか少しでも不備があったりすると、そこを中心地として部屋が思いきり荒らされる。

 もちろん、別に単なる嫌がらせなんかじゃない。整理整頓は、自衛官にとって必要不可欠なだからだ。

 今この身に起きているのも、その「台風」と同じことだろう。完全に、不意討ちを受けた形だけど。

「レンジャー瀬川せがわぁッ! なんだその新品ピッカピカな半長靴ァッ!? おまえ一人だけ岩山じゃなくて丘にでもハイキングに行くつもりかよっ」

「レンジャーっ!」

 学生の一人であるレンジャー瀬川の、気を張った返事が聞こえてくる。そしてまた別の怒鳴り声。

「この戦闘服は誰のだぁっ!?」

「自分ですっ」

「なんだこの雑な縫い方はっ! てめぇ名札要らねぇのかコラッ」

「レンジャーッ」

 そんな調子で次々と怒号と、大きな物音が聞こえてきて、あたしたちは自分の部屋の中の片付けをするわけにもいかず、部屋の前で気をつけをしていた。

「レンジャー小牧っ! レンジャー志鷹ッ!!」

 やってきたのは、沖野助教だ。眉間に深いシワを寄せ、ドアをドンッと思いきり叩く。あたしたちはサッと背筋を伸ばした。

「おまえらの枕の位置、男らと違うんだよッ! 他の学生たちと意思疎通することもできねぇのかッ!? 部屋が違うと、そんなことも難しいのかっ、ガキかてめぇらッ」

 あたしたちは目を見合わせるのを堪え、代わりに「レンジャー!」と声を合わせた。

「レンジャー志鷹ぁっ!」

 隙間なく沖野助教の怒号は続く。

「おまえは遊びに来たのかよッ? 持ち物から無駄にぞ! こんなんプンプンさせて敵地に行ったらすぐ見つかって仲間ごと蜂の巣にされっぞ!? ぜんぶ泥水にでも沈めて匂い消せッ」

 沖野助教が、ロッカーに残っていた志鷹三曹の荷物を、勢いよく床にぶちまけた。

「っレンジャー!」

「それからレンジャー小牧ぃッ! おまえのベッドの上に、シャーペンの芯が落ちてたんだよぉっ! ここが森の中で落としたのが銃弾だったらどうするッ! ドジはレンジャーに要らねぇんだよ!」

「レンジャーっ!」

 ひたすら表情を消して、叫ぶように返事をする。そうするしかない。そうすることしか許されない。

「全員廊下ァッ」

 指揮をとっている助教の号令で、学生全員が廊下に一列に並ぶ。

「注意を受けた数だけ全員で行うっ! 腕立て用意よぉいッ」

「レンジャー!」

 全員が声をそろえる。きっと、学生以外の隊員の部屋がある他の階まで響いているだろう。

「いぃちっ!」

 号令に合わせて、学生たちの間に立った助教たちから再び強い声がとんでくる。

「もっと腕曲げろっオラァ!」

「背筋伸ばせ背筋ぃっ! もう一回いぃぃちッ」

「声がちいせぇんだよ全員気合い入れろッ」

「レンジャーッ!」

 回数はなかなかカウントされず、罵声を浴びせられながら腕立て伏せは延々と続き。終わったときには、身体がガチガチになっていた。

「学生長っ」

 沖野助教が叫ぶと、一列に並ばされたあたしたちの中から、「レンジャー!」と糸川三曹が返事をした。

「部屋は何分で片付けるっ?」

「え……っと、十分ですっ!」

 十分かぁ──糸川三曹の返事を聞いて、あたしは内心げんなりした。を、十分で片付ける。めちゃくちゃに急げば、ぎりぎり間に合うだろうか。

 そんなことを考えていると、沖野助教が再び吠えた。

「遅ぇよっ! 次の課目教育が詰まってんだよッ」

「は……っレンジャー! 五分で片付けますッ」

 思わず、「えぇっ!?」と叫びそうになったあたしの脇腹を、志鷹三曹がこっそり肘でど突いてきた。悲鳴と言葉をぐっとのみ込み、姿勢を無理やりに正す。

「よし! では五分で片付けて、十分後には集合しているように」

「レンジャーっ!」

 去っていく助教たちを見送ると、あたしたちはバタバタと室内へと駆け戻った。

「しくじった。枕置く場所そろえるのまで、気にしてなかった」

 志鷹三曹が、悔しげにうめく。

「仕方ないよ……男子に確認して、急いで片付けよ」

 なにせ、時間がない。五分でこのありさまを復旧させるなんて、どだい無理な話だ。男子部屋だってそうだろう。だからきっと、片付かないままに次の課題へ向かうことになって。帰ってきたらまた、待ち構えていた助教らに怒られるに違いない。そしたら当然、ペナルティがあって。

「……助教たち、おっかなかったなー」

 沖野助教なんて、ふだんの様子を知っている分、余計に怖く感じてしまう。

 志鷹三曹は「匂いってなによ、匂いって」とぶつぶつ文句を言いながら、荷物に携帯用消臭剤をスプレーしまくっていた。

「まぁ確かに、レンジャー志鷹、良い匂いするもんねぇ」

「良い女なんだから仕方ないでしょっ? ヤニ臭いオッサン連中よりずっっとマシだってーの!」

 どうにも、今までで一番荒れている。あたしはそれ以上つつくまいと、黙って自分の荷物を片付けることにした。

 さすがに、ちょっと疲れた。このあとの課目教育を受けて、またペナルティをやって、片付けを終えて──それから食事やお風呂に割ける時間なんて、たぶんほとんどない。

「こういうのが、これから三ヶ月毎日続くのかー……」

 無意識に呟いた言葉は、「そんなわけないでしょ」という志鷹三曹の苛立った声に叩き落とされた。

「これからドンドン、底なしに酷くなっていくのよ」

「そうだよねぇ……」

 分かってはいたけれど、ガックシと頭を下げてしまう。

「そんな厳しい訓練が、楽しみだったんでしょ?」

 志鷹三曹が、ややきつめの口調で言ってくる。戦闘服をたたみ直しつつ、ちらりとこっちを見た表情が、さっきノートに描いた顔に似ている気がして。あたしは小さな声で「レンジャー」とだけ呟き、沖野助教にひっぺがされたベッドのシーツを、ピシッと広げ直した。

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