百猫夜行

川詩 夕

百猫夜行

 僕はお婆ちゃんの事が好きだ。

 お婆ちゃんと一緒に出掛けると、必ずお菓子やおもちゃを買ってくれる。

 お母さんとお父さんは月に一度、僕に五百円ずつお小遣いをくれる。

 だけどお婆ちゃんは月に一度、千円もお小遣いをくれる。嬉しい限りだ。

 僕のお婆ちゃんは、入院していてもうすぐ死ぬ。詳しい理由はわからないけど、お母さんがそう言ってた。

 お母さんから聞いた話しをお婆ちゃんに話すと、お婆ちゃんは微笑むだけで何も喋らずに僕の頭を撫でてくれた。


 お婆ちゃんがまだ元気だった頃、僕がお婆ちゃんと一緒に出掛けた日は、必ず帰り道にある神社でお参りをした。

 この神社には猫の神様が居る、お婆ちゃんは僕にそう教えてくれた。

 僕はお婆ちゃんに死んで欲しくないから、小学校が終わった帰り道に猫の神様が居る神社でお参りをした。

 お賽銭を入れる度に、僕のお小遣いはだんだん減っていった。

 でも僕は気にしない。お小遣いが無くなるより、お婆ちゃんが居なくなる方が嫌だから。


 ある日、僕はお母さんとお父さんと一緒にお婆ちゃんが入院している病院へ行った。

 お婆ちゃんは目を閉じたまま、死んだみたいに全然動かなかった。


「お婆ちゃん、死んじゃったの?」

「違う、眠ってるのよ」

「起きないの?」

「分からないの、起きないかもしれない」

「そんなの……嫌だよ……」


 僕は病室を飛び出し、自分の家まで無我夢中で走って帰った。

 自分の部屋へたどり着くと、お小遣いを貯めていた貯金箱を手に取り、机の角で叩き割った。

 辺りに小銭が散らばり、折り目がたくさんついた千円札が一枚出てきた。

 僕は小銭に目もくれず千円札を握りしめ、部屋を飛び出した。

 向かう先はただ一つ、猫の神様が居る神社だ。


 黄昏時に神社へ辿り着いた。

 僕は疲れた足を引きずりながら手汗で湿る折り目のついた千円札を広げて、お賽銭箱に入れた。

 大きな鈴の付いた白くて太っちょな紐を力いっぱいに何度も振って、手をぱんぱんと鳴らし合わせて猫の神様にお願いをした。


「お婆ちゃんが元気になりますように!」


 どこからか猫の鳴き声が聞こえた気がした途端、嵐の様な強い風が吹きすさみ僕は数メートル後ろ側へと派手に吹き飛ばされて尻もちを付いた。


 神社の神楽殿の方から、がやがやと喋り声と不思議な音が聞こえてくる。

 音のする方へ振り向くと、今までに見た事のない姿形をした猫がぞろぞろと神楽殿から踊り出て来た。

 先頭を歩く猫は二足歩行で大きな釜を片手に持ち上げながら、しゃもじでカンカンと愉快に音を鳴らし叩いている。

 後続には、きらきらと輝く花びらを振り撒きながらスキップする猫、黄金色のお箸の様な物を手に持ち口から紫煙をもくもくと吐きだす猫。

 胴が数十メートル以上は有る猫が聴いた事のない声色で唄をうたっている、それに続いて数十匹の小柄な猫がにゃにゃにゃあと愛くるしい鳴き声を上げながら笑っていた。

 僕は驚きのあまりにその場から動けなくなった。

 目の前を一軒家程の大きさはある巨大な黒猫が歩きながら僕を見下ろす。

 僕は勇気を振り絞って、巨大な黒猫に話しかける。


「あの、僕のお婆ちゃんを元気にしてください!」


 巨大な黒猫はぐぐっと柔らかそうな太い首を伸ばし、僕に顔を近づけて瞳を覗き込んでいた。


「ごみゃんね、あたし下っ端のペーペーだから何もできにゃいのよ。にゃはははははっ」

「ぺ、ペーペー?」


 巨大な黒猫はのそのそと神社の外へと向かって歩き出した。踊り歩く不思議な猫たちの行列はどこまでも続いている。

 ふと、行列の中に一際目立つ一群が視界の端に映り込んだ。

 数匹の猫が優雅に神輿を担ぎ、いかにも高級そうな座布団の上でくつろぐ仔猫が居た。

 あの仔猫だけオーラが違う、星の様にぼんやりと光を小さな体にまとっていた。

 僕は仔猫に向かって声を張り上げた。


「猫の神様! お婆ちゃんを元気にしてください!」


 仔猫は尻尾を小さく動かし神輿の担ぎ手に止まれの合図をした。

 仔猫は背を伸ばした後、ゆっくりと僕を見上げた。


「猫の神様、お願いだよ!」

「小僧、にゃんちゃんは神様じゃにゃい」

「にゃん……ちゃん……?」

「にゃんちゃんは妖怪じゃ」

「え? この神社には猫の神様がいるんでしょ!」

「神様にゃんぞおらん」

「どういう事?」

「昔々、にゃんちゃんが死んで知らん間に祀られとった。にゃん百年も前の事でよく覚えとらん。人人はにゃんちゃんの事を神様と勘違いしておるが、にゃんちゃんは妖怪じゃ」

「そんな……それじゃあ、僕のお婆ちゃんは元気にならないの? 死んじゃうの?」


 仔猫はじぃっと僕の瞳を見つめていた。僕は心の中の全てが仔猫に読まれている気がした。


「小僧の婆さまは病気で死ぬんじゃにゃい」

「病気じゃないの?」

「寿命じゃ。人間、生き物は皆いずれ死ぬ。それは神様がどうこうできるものじゃにゃい」


 仔猫の話し声が僕の胸の内側へと直接響いてくる様だった。


「小僧も薄々感じていたのだろう? それが、寿命というものじゃ」


 僕は両手を強く握りしめ、溢れそうな涙を必死に堪えた。


「婆さまといっぱい話しをしろ、小僧の笑顔を婆さまにゃいっぱい見せてやれ。それが婆さまにゃとって一番幸せなことじゃ」

「ひぐっ……ひぐっ……わかった……」


 僕は垂れ流しの鼻水をすすりながら手の甲で涙を拭った。両手で涙を拭っているせいで、鼻水が止まらない。

 猫の手でも借りたいと心の中で思っていたら、どこからか猫の手だけが降ってきて頭の上にぽんっと乗った。

 結果、その猫の手は僕の垂れ流しの鼻水を拭きとってくれた。

 猫の匂いがしたけど暖かかった。鼻水だらけにしてちゃって、ごめんね。


「早く家に帰って飯食って寝ろ、夜が来る」


 僕はにゃんちゃんの言う通り、家に帰ってご飯を食べてお風呂に入る事を忘れて寝た。

 翌日、お婆ちゃんが目を覚ましたとお母さんから聞いた。

 僕は小学校が終わってからお婆ちゃんに会いに行った。毎日毎日。

 お婆ちゃんの話しをいっぱい聞いて、僕もお婆ちゃんに学校での色々な出来事を話しした。

 お婆ちゃんはたくさん笑ってくれた。僕は元気なお婆ちゃんを見てすごく嬉しい気持ちになった。


 そんな日々が一ヶ月程続き、お婆ちゃんは眠りながら死んだ。

 僕はたくさん泣いた。お母さんも、お父さんも泣いていた。

 お葬式でみんなが泣いた。

 最後のお別れをする時、お婆ちゃんは棺桶の中で微笑んでいた。

 いつも僕の頭を撫でてくれる時みたいに。

 あばあちゃん、ありがとう、さようなら。


 それから僕は事あるごとに、にゃんちゃんが祀られている神社へお参りする様になった。

 だけど、にゃんちゃんの姿を見る事は二度となかった。


 でも僕は気にしない。

 神様よりも、この神社に祀られている妖怪のにゃんちゃんを信じているから。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百猫夜行 川詩 夕 @kawashiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ