きみに傷がつくくらいなら 3




 平山と鉢合わせた。純はバスのドアを閉め、ほほ笑む。


「今は、一人にしてあげたほうがいいかも。それとも、急ぎの用とか?」


「ああ、いえ。ってあれ? 僕が彼女のマネージャーなんだけど……」


 平山のボヤキを尻目に、純は辺りを見渡す。少し離れた場所では、スタッフたちが撤収作業を終え、なにやら話し合っていた。あいさつをしようと一歩踏み出す。


「……星乃くん、ごめんなさい」


 顔を向けると、平山はひかえめに笑っていた。


「星乃くんの話を、信じてあげられなかったから」


 純も、同じように笑う。


「しょうがないですよ。いきなりあんなこと言われても、信じられないですよね」


「だめだなぁ、僕。高校生の子にそんなこと言わせるなんて」


 以前よりも、平山は純に心を開いているようだった。それは純も同じだ。


「月子ちゃんのことで困ったことがあったら言ってください。いつでも、手を貸しますから」


 平山はほほ笑むだけで、返事をしなかった。月子のマネージャーとして、他人を頼るのにためらっている。全身から微妙な感情が伝わってきた。


 当然のことだ。平山としてはこれで最後にしたいのだから。


 純は平山の心境を読み取り、口角を上げる。


「実は、去年、俺が一人で苦しんでたとき、最初に声をかけてくれたのが月子ちゃんだったんです」


 それが、すべてだ。


 誰も味方がいない――誰を味方にすればいいかわからない状況で、手を差し伸べてきたのが月子だった。


 不器用で、不愛想だったが、優しさは本物だった。


「月子がそんなことを? あの子、自分から話しかけるような子でもないのに」


「きっと、見ていられなかったんですよ。俺がアイドルとして劣りすぎていたから」


 あのころから、月子は孤高で敬遠されていた。それでも、ダンスと歌ができない純を軽蔑することなく、一緒にいてくれた。


「あのとき俺を救ってくれたのは月子ちゃんだから。月子ちゃんになにかあれば絶対に助けようって決めてるんです」


 今回、純がほんとうに月子を救えたのかはわからない。あのときにもらった優しさを、返せたとも思っていない。


 それでも、先ほど月子を見たとき、不穏な将来は一切見えなかった。彼女なりに乗り越えて、芸能界を生きていけるはずだ。


 純はきょろきょろとあたりを見回す。誰も近くにいないことを確認したうえで、口元を隠すように手をかざし、平山だけに告げた。


「月子ちゃんは、強い子だから。限界まで、一人で頑張ろうとしてたんです。俺が直接かかわろうとしても、嫌がるような子だから」


 純に顔を寄せた平山は、神妙な顔でうなずく。


「俺が渡した資料の中に、壊された私物とか、台本の写真をのせているアカウント、ありませんでした?」


「ああ、ありましたね」


「あのアカウントの持ち主、月子ちゃんですよ」


「え!」


 思わず漏れた大きい声に口をふさぎ、平山は周りを見る。小声で純に尋ねた。


「自作自演ってことですか?」


「物を壊されたり嫌がらせされたのは事実。それを、まるで加害者のようにSNSにのせて、炎上させるのが目的だったんでしょうね。そういうアカウント、他にもありましたから」


 平山は困惑と後悔の混じった顔でため息をつく。その姿に、穏やかな声で続けた。


「ね、強いでしょ、月子ちゃんは。反骨精神だってある。自分の仕事を守るために、戦うことができるんです」


 平山が、少し低くした声で返す。


「だからって。僕を辞めさせるために、自分の体を傷つけるようなことしなくても……」


「そうですね。自分のプライドより体を粗末にしていいことなんてないですよ」


 純は芯の通った強い声で、堂々と言い放った。


「月子ちゃんがあんなことしたのは平山さんのせいじゃないです。あれは自分のことを大事にしない月子ちゃんが悪い」


 しかしすぐに、視線を下げる。


「でも、気付いていて止められなかった俺に、そんなこと言う権利はないんですよね……」


 純は顔をゆがませる。


 せめてあの会議のとき、社長の許可がもらえていたら――。


「純くんが、責任を感じることはありませんよ。マネージャーである僕がちゃんと気づいて対処すべきだったんです。むしろ純くんの言葉がなかったらもっとひどい状況になってただろうし……」


 平山は目をつぶり、深く、長いため息をつく。自責の感情がこれでもかとにじんでいた。


 純に視線を戻し、何かを思い出したように笑みを浮かべる。


「あ、そうそう、純くんは、もう聞いてますか? マネージャーが増える話、イノギフの」


 純の顔から、笑みが消えた。


「……はい。みたいですね」


 正確には、社長からではなく爽太から小耳にはさんだだけだ。平山が真剣な口調で続ける。


「今のマネージャーはそのまま引き継いで、イノギフの主任マネージャーってことになるみたいですよ」


「そうですか」


 自身でもびっくりするくらいそっけない声が出た。先ほどまでの、月子の話をしていたときとは全然違う。


 それは当然、平山も気づいていた。


「あの、なんなら僕のほうから伝えておきましょうか? 熊沢マネージャーのこと」


 平山の真剣な瞳から、純の状況をふびんに思っていることが十分伝わってくる。


 月子が言っていたみじめな気分とはこういうことか、と純は鼻を鳴らした。


 安心させるよう、柔らかい声を出す。


「……大丈夫です。新しく配属されるマネージャーさんがどんな人か、わかりますか?」


「ああ、えっと」


 平山は上を見つめ、思い出しながら返す。


「誰が配属されるかまでは聞いてないんですよね。でも、新卒の子が一人つくことになってます」


「ふうん……」


 目を伏せて、今後、自分がどう行動すべきか頭の中で整理していく。


「あの、やっぱり今からでも」


「月子ちゃんのマネージャーは変わらないんですか?」


「え? あー……」


 純から視線をそらし、平山は言いにくそうに答えた。


「えーと……残念ながら僕のままですね」


「でしょうね。ご自身で続投を希望されたんでしょ? それを社長が認めたんですね」


「あー、やっぱり知ってて聞いたんですね?」


 意地悪だなぁと笑う平山に、純は否定も肯定もしない。平山の顔をまっすぐ見つめ、笑う。


「大丈夫です。月子ちゃんももう、拒絶しないはずですから」


 自信満々に、語気を強めた。


「俺も、平山さんだったらずっと月子ちゃんのマネージャーでいてほしいなって思います」


 予想しなかった純の言葉に、平山は呆気あっけにとられている。が、すぐに照れたようにはにかんだ。


「そう言ってもらえて、嬉しいです」


「でも今後も苦労しますよ。同じようないさかいは近いうちに二、三回はあるかも」


「や、やめてくださいよ~。星乃くんが言うとほんとうにそうなりそうで怖いんですから」


 平山は、ほんとうに良いマネージャーだ。自分たちのマネージャーがこういう人だったらいいのにと、純の胸が、痛むくらいには。


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