二世の劣等生と高慢な天才子役 2
聞こえてきたため息に、純の体がまた震えた。
「立って」
月子に腕をつかまれ、立ち上がる。純は泣いている目を、手の甲で隠した。月子に泣き顔を見られることも、月子を見ることも恥ずかしくてできない。
「サビくらいなら、たぶん教えられる。練習してるところ、見てたから。……えーっと、ユーアー……」
純は必死に目をこすり、月子を見た。月子は鏡に体を向け、口ずさみながら踊っている。
月子の姿から、嫌な感情を読み取ることはない。冷静に、淡々と、踊って見せていた。
月子の動きに合わせて純も動き始める。あいかわらず体が硬く、ぎこちない。
「大丈夫。踊れてる。うん、そんな感じ。もう少し手をあげて」
月子の指示どおり、体を動かす。できていないときは、月子が体に触れて動かし、体で覚えさせようとしてくれた。
「ここは……ちょっと微妙だな。このステップで大丈夫だと思うんだけど。あとで先生たちに確認したほうがいいかも」
月子は不愛想ながらも真剣に教えてくれる。純が間違えても怒鳴ったりしない。
見ず知らずの素人相手に、わざわざ、精いっぱい、協力してくれていた。純はそれに応えるよう、月子の言葉と動きを漏らすことなく覚えていく。
そのおかげか、サビはほぼ踊れるようになった。ステップや細かい手の動きまでは難しかったが、まったく踊れなかった先ほどまでと比べれば十分な成果だ。
しかし月子は、腕を組んで顔をしかめる。
「動画があればもっと詳しく教えることができるのに。私もダンスは苦手だからそうしてもらってるし」
「うん、でも、すごく、助かりました。ありがとうございました、渡辺さん」
涙をふきながら笑う純に、月子は不快気に息をつく。腰に手を当て、高慢な声を張った。
「そもそも、いきなりデビューが決まってダンス覚えろってのがムリでしょ。私だったらやりたくないってつっぱねてる」
月子は決して、純を攻撃するようなことは言わなかった。むしろ、純の代わりに怒りを見せている。
「素人に勝手に期待しておいて、劣等生って決めつけてるだけ。これだからウワサってあてになんないのよ」
純を見すえるその瞳に、スタッフたちのような軽蔑は浮かんでいない。
「でも、踊れない俺が悪いから……しょうがない、です」
純の目に、再び涙が浮かんでくる
「俺なんて、なにもできないですし……。わからないことだらけで、誰かに聞くこともできないし。誰に聞けばいいのかも、わからなくて」
ぼろぼろと涙がこぼれ落ち、しゃくりあげる。涙は
「……そうね。もっと努力しなきゃいけないことも、あると思う」
純の涙に、月子は反応を示さなかった。あくまでも強気な態度で続ける。
「慣れているメンバーに比べて、覚えるのに時間がかかるのは当然でしょ。メンバーとの差を埋めるんであれば、死に物狂いでダンスしなきゃいけない」
「でも、俺、ほんとに踊れなくて……」
「それは、教えてくれる人がいないからでしょ」
「ちが……違います。ちゃんと教えてくれる人はいるんです。でも、フリを覚えられないから、失望されちゃって……」
情けなくて、申し訳なくて、涙が止まらない。
個人で指導してくれる、女性講師のことを思い出す。純がうまく踊れないせいで、常に機嫌が悪い。
もし、メンバーとして選ばれたのが純ではなかったら、もっと和やかな雰囲気で受け入れられたかもしれないのに。
「俺が、言われたとおりに踊れないから」
「じゃあ、もう一回さっきやったとこ踊ってみて」
「あ、え?」
「はい。好きなタイミングでどーぞ」
月子の小さい手拍子に合わせ、言われたとおりサビを踊る。テンポが合わなかったり、思い出すために動きが止まったりもしたが、フリそのものは覚えていた。
練習は必要だが、まったく踊れなかった先ほどの状態とは全然違う。
「ほら、踊れてるじゃん、一応は。自分で言うほど無能じゃないんじゃない?」
「でも」
「あとは反復練習に復習を重ねればなんとかなるでしょ。それでも無理ってんなら、ダンスの仕事は向いてないから辞めろって言っておく」
月子の言葉から、ウソやお世辞は感じない。近寄りがたい空気をまといながらも、真剣に純と向き合ってくれていた。
「ねえ。基礎トレーニングはちゃんとやってる?」
純は落ち着き、涙を手の甲でふき取る。鼻をすすりながら首をふった。
「ああ、やっぱり教わってないんだ? アイソレーションとかポージングとか。覚えてたほうがいいよ。私が教え」
「おはようございま~……え? 」
稽古場に、イノセンスギフトのメンバーが入ってくる。鏡の前に立つ純と月子を見て、固まった。
制服姿で不愛想な渡辺月子に、そのとなりで目を腫らす純。異様な光景であることには違いない。
そうこうしているとスタッフたちも入ってくる。
「渡辺……おまえなにしてんだ? 」
ダンス講師の男性があきれた顔で尋ねた。月子は平然と答える。
「ミュージカルの練習ついでにダンスを見てあげてたんです。いつも早い時間に来て練習してるみたいだから」
月子は純をちらりと見て、冷静に続けた。
「でも厳しくしすぎちゃったみたい。みんなが言ってるとおりドへたくそだったから。こっちもイライラしちゃってわめき散らしちゃった」
眉間にしわを寄せ、失望したかのようなため息をつく。それが月子の演技だと、純だけは気づいていた。
「一ミリもフリを覚えてないのはアイドルとしてどうなんですか? ここまで踊れないんだったら死んだほうがマシでしょ。恥ずかしくて人に見せられないもん」
しかしこのままでは月子の印象が悪くなりかねない。イノセンスギフトのメンバーは、月子を見ながらどう反応すべきか困っている。
「あ……ちが、ちがいます。渡辺さんは俺に」
「ダンスのセンスなさすぎだから!」
月子は純に顔を向け、声を張り上げる。
「この事務所にいてもうどれくらいたつ? 新人にしてもまったく踊れないのはやばいでしょ!」
純を見る月子の瞳が言っていた。おまえはしばらく、黙ってろ――と。
月子に触発されたスタッフたちが、鼻を鳴らす。あの女性講師が高らかに声を上げた。
「やっぱり月子ちゃんもそう思うよね? ずっと教えてるのに全然ダンス踊れないの。そこだけがパパに似たっていうか~」
なれなれしく月子に近づいては、意地悪く笑う。
「メンバーがダンス超うまいのに、一人だけへたくそだと教えるのが大変なんだよ。みんなへたくそなほうに合わせなきゃいけないから、こういうのほんと迷惑なんだよね」
女性講師に同調する空気が、広がっていく。純はいたたまれず、顔を伏せた。
「月子ちゃんのほうから社長に言っといてよ。グループのお荷物だって。月子ちゃんの言うことだったら聞いてくれるだろうし」
「……いいですよ」
月子はにっこりと笑う。純には決して、見せなかった笑みだ。
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