幸先の悪い顔合わせ
月子という強大な味方ができてから、純の上達は早かった。
レッスンではうまくいかなかったところも、月子がわかりやすくかみ砕いて教えてくれる。そのおかげで、ミュージックビデオの撮影までに、メンバーと合わせられるくらいにはなった。
もちろん、素人である純のダンスは、他のメンバーより見劣りする。ダンス講師に
体も震え、顔色も悪くなるが、月子がくれた言葉を思い出しながら必死に耐えていた。
ミュージックビデオの撮影当日。
イノセンスギフトのメンバーは、撮影前に事務所の会議室に集められた。すでに全員がテーブルを囲うように座っている。
緊張感はあるものの、ちらほらと話し声が聞こえていた。仲がいいもの同士の雑談だ。意識しなくても、純の耳は一言一句聞き取っている。
純は出入口に一番近い、端の席に座っていた。誰とも目を合わせないよう気を付けながら、座っているメンバーたちを見渡した。
――わからない。
緊張や困惑、不安などのかすかな感情は読み取れる。だが、それだけだ。
なにかに妨害されているかのように――扉が閉まり切っているかのように――純と彼らの間に幕が張られているかのように――思考が読み取れず、将来を観測することもできない。
ふと、突き刺すような視線を感じた。正面からだ。顔を向けると、イノセンスギフトのセンターである
一目見れば一生忘れないような、完璧に整った顔。
美しい顔は中性的だが、テーブルに乗せた大きい手は骨や筋が目立ち、男性的な魅力を感じさせた。その全身が、物語の中にいる王子様のようだ。
もしとなりに立てば、純はただの引き立て役にしかならない。それほどまでに完璧だった。他のメンバーのことがわからない純でも、この子は売れるとすぐに見抜いた。
しばらく見つめ合っても、千晶は微動だにしない。そのとなりに座る歩夢が声をかけてやっと、純から視線を外した。そのすきに純は目を伏せる。
またしばらくして千晶からの視線を感じ取った。しかし、純が反応を返すことはない。
これ以上、目を合わせるつもりはなかった。どうせ、今の状況では感情や思考を詳細に読み取ることはできない。目を合わせ続けて不審に思われるほうが厄介だった。
やがて、ノックの音が響く。会議室のドアが開き、スーツ姿の男が部屋に入ってきた。
「おはようございます」
純はテーブルに手を置いたものの、誰も立ち上がろうとしない。挨拶も返さない。周りのようすを見ながら、純はゆっくりと手をおろす。
男性は、向き合う純と千晶の、ななめどなりに座った。メンバーたちを見渡せる位置だ。
たばこの濃い匂いが、純の鼻を襲う。顔をしかめて周りを見るも、メンバーは気にしていないようだった。
「今日からイノセンスギフトのマネージャーになります、熊沢です。よろしく」
熊沢は二十代後半といったところだ。体育会系のオーラで、周りに押し付けるような笑みを浮かべている。
「これから一緒に行動するんだから、心配事があるなら気軽に話してくれ」
ふと、熊沢と目が合った。その瞳に軽蔑の色が浮かんだ一瞬を、純は見逃さない。
「相談したいことがあればいつでも言うんだぞ。みんなが働きやすいように調整するのも、俺の仕事だからな」
その「みんな」に、純は含まれていないのだと、嫌でも伝わってくる。
話し方からして、純の苦手な部類だ。明らかにメンバーたちを子ども扱いしているような口調。自分がリーダーだと言わんばかりに、主導権を握ろうとしている。
「デビュー後は仕事がたくさん入ってくるだろうから、一つずつ乗り越えていこうな。とりあえずは、このあとの、ミュージックビデオの撮影をがんばろう」
メンバーはうなずきながら、真剣に聞いている。
「……で? きみは、踊れるようになったのか?」
熊沢の視線が、純を捕らえた。純も真剣に見つめ返す。
「他のスタッフたちから聞いたぞ。きみのお父さんとお母さん、すごい人なんだろ? それなのにダンスも歌もできないんだって? まあ、ダンスできないのはきみのお父さんも一緒だったけど」
熊沢の表情は笑っていたが、その目は純を蔑んでいた。
「このあと撮影だぞ? ほんとうに大丈夫か? なんならきみだけ写さないように、カメラマンに口添えしてあげてもいいんだぞ? 下手なダンスで恥かきたくないだろ?」
わかりやすい嫌みだった。正直、純にとってはありがたい提案だ。アイドルとして目立ちたいとは思っていないのだから。
とはいえ、そうしてくださいと言ったところで、やる気がないと怒鳴り散らされるに違いない。
会議室の空気は、不穏なものへと変わっていく。
「一番の下っ端なんだから、みんなよりたくさん努力しないとだめじゃねえのか? いくら会長にスカウトされたって言っても、そんなんで誰も信じるはずないだろ?」
熊沢から漂うタバコの臭いとともに、思考と感情が一気に押し寄せてくる。メンバーのことはなにもわからないのに、こういうことばかりはすぐに気づくのだ。
肌を突き刺して中に入ってくる嫌な感情は、頭をぐらぐらと揺らしている。
「すみません……」
「スカウトされたからって結果出せなきゃ意味ないから」
「はい……」
純は眉尻を下げ、目を伏せる。どうすれば熊沢の言葉を切り抜けられるのか、必死に考えた。
――が、この手のタイプは何を言ったところで火に油をそそぐだけだ。
もめ事を起こさずにこの場を乗り切るには、大人しく過ごしておくしかない。
「ほら、そういう反応がよくないんだろ。こっちが善意で言ってあげてるんだからさぁ、そこは『ありがとうございます』じゃないの? そういうところでスタッフのひんしゅくを買うんだぞ。もっと好かれるような態度でいろよ」
「すみません……ありがとうございます」
「俺の言葉そのまま真似したところで意味ないだろうがよ」
熊沢のようなタイプは、反論すればするほど燃え上がる。だが、純のようにおどおどと答えるタイプにも、エスカレートする。
「何の才能もないくせに。なんで会長はおまえをスカウトしたんだ? なあ、教えてくれよ」
「さあ……」
「大体、何もできないんだったら、スカウトの話も断ったほうがよかったんじゃねえの? 二世だから簡単に売れると思ったんだろうけどさ」
「すみません……」
このままでは他のメンバーにも悪い。どうにかして切り上げなければならない。
純は正解の返事を探しつつ、言葉を詰まらせる。代わりに、口を開くものがいた。
「あの……」
静かな、甘い声だった。熊沢は千晶に顔を向ける。
「はやく、撮影に向かったほうがいいんじゃないですか?」
腕時計を確認した熊沢は、笑顔でうなずく。
「ん、そうだな。じゃあ行くか」
熊沢が立ちあがると、他のメンバーも次々と腰を上げる。息をついて立ち上がる純は、千晶と目が合った。
大きなアーモンドアイに、好奇心と同情が浮かんでいる。しかしその表情は、あくまでも冷ややかだ。
純が笑いかけるとすぐに顔をそらし、他のメンバーと一緒に会議室を出ていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます