第106話




『そうそう、最後にですね……感想を頂きたいんですけど、どうでしたか? よく書けておりましたでしょ?』


 私には彼女が何を言っているのか理解できませんでした。しかし、それを告げようにも口は開きません。


『あら、そういえば……喋れなかったんですわね』


 私は意思表示すら出来ず、彼女が口を開くのを聞くだけでした。


『仕方ありません……教えて差し上げますわ。ノートパソコン内にフリーライターの手記がありましたわよね。アレ……実は創作なんです。私が書きましたの』


 どういう事だ? 私は頭を働かせて考えたのですが……もはや意識も薄く思考が深まりません。


『実はですね、あの集合住宅の住人にはフリーライターなど存在しておりませんでしたの。それどころか医師やマスコミ、反社会勢力だったり宗教、そして政治家等の関係者も同じですわ。ただ単に身寄りのない者達や浮浪者を集め、それを【田原真有弥】として住まわせて利用しただけなんですの』


 私は衝撃的な事実を耳にしました。しかし驚く体力すら残ってはいないのです。


『じゃあ、あの射殺事件は何だったのかと思いませんこと? それはですね……訓練に利用させて頂きました。まず例の集合住宅には破壊願望と自殺願望を持った者を住まわせますよね。世間からあぶれてしまった者達の中には、そういう方も多くおられますので確保は簡単でしてよ。そして犯行当日、我々はその者に銃を渡すと、彼の部屋にはノートパソコンを残したんです。そして非常ベルの犯行計画を彼に勧めたのですわ。そして彼は……犯行に至りました』


 つまり、私が頭の中で描いてきた状況……それは全てが偽物だった。彼女はそう言うのです。


『ご存知の通り、パソコンの中には私が執筆した手記を残してあります。ここに書かれた情報は全てが偽物という訳でもありません。我々の組織とその犯罪、それのごく一部を書いてありますので……それが残された現場を捜査されるのは好ましくありませんわね。ですので、ここから訓練が始まります。まずは政治家が警察へ指示を出しました。そして貴方に捜査中止が命令されたのは御存知の通りですわよね。そしてマスコミは事件の報道を最小限に留めます。反社会勢力は貴方への脅迫等の実行部隊として様々に動きました。宗教団体は資金で全ての行為を支えていますし、実行部隊を自教団施設内に匿ったりもしていますわ。そして医者は……これから貴方の死因を偽装するんです』


 彼女から聞かされる言葉は、確実に私の精神を削り取っていきました。


『訓練は上手くいきました。そうそう、ちなみに手記は私の創作ですからね……例え訓練が失敗しようが、我々が逮捕される事なんてありません。当たり前ですわよね、創作物を証拠に逮捕だなんて無茶が過ぎますから。そういう事でして……貴方の捜査は全てが無駄手間に終わったんです。しかし、我々の訓練に真剣味を与えるには良い働きをしてくれました事……心より感謝申し上げますわ。しかし皮肉なものですわね……あの射殺事件は非常ベルが鳴ったにも関わらず、住人がタラタラと外に出てきたせいで全員が射殺されてしまいました。ですが、もしも全員が非常ベルを聞いて一斉に逃げ出しでもしたら……また別の結果になったかもしれませんわね。ほら……やっぱり訓練って大事ですわよね、貴方もそうは思いませんこと?』


 私はもはや意識がなくなる寸前でした。


『そうそう。冥土のお土産になるかはわかりませんが……教えて差し上げますけど、あの住宅の住民はそろそろ入れ替え時だったのです。ほら、最近は外国人実習生なんていう制度もあってでしてね……そちらの方が助成金を得やすいんですの。もう少しすると彼らが、新な田原真有弥として入居しますわ。わからないかもしれませんが、実に大変なんですよ。時代に即した、社会上層の為だけの不正な資金の還流装置を構築するというのは……あら、そろそろお休みの時間ですか? それでは最後に伺いたいのですが、私の創作した手記なんですけど……いかがでした? 私、小説家になるのが夢なんですの』


 私は意識が切れる前に彼女の文章への感想を口に出しました。いえ、口は開きませんでしたので念じるだけでしたが……


「全くもって面白みに欠ける文章でした。貴女は立派な黒幕にはなれるのでしょうが……小説家にはなれないでしょうね」


 と、そう心の中で返答すると……私の意識は深淵へと誘われていくのでした。





『おやすみなさい』




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「そして、私は……こちらの世界の住人になってしまいました。今思えば、よく調べもせずにフリーライターの手記を信用してしまった事が悔やまれますな」


 野本さんは恥ずかしそうに笑っています。結果としては、その通りなんですけど……状況を考えれば仕方がなかったのかなって思います。段々と切迫していく事態に野本さんの打てる手は無くなっていきましたからね。


「ところで……本当にそんな犯罪組織は存在するのでしょうか?」


 珍しくコムさんが口を開きました。


「さあ、わかりません。ですが、陰謀論のように聞こえる話であっても……権力者達がそれを望めば成立してしまうのでしょうな。なんにせよ確実に言えるのは……私が現世で死を迎え、こちらの世界の住人となった事だけです」


 うーん……どうなんでしょうね。本当にそんな組織があるのかどうか…、アタシには考えたくありません。だって……こっちの世界に来てしまった以上は、現世がどうだったかなんて詮索する必要もないですからね。多分、それは現世の人達の仕事なんでしょう。


「そういえばですね、私もこちらの世界に来て過去を振り返ったところ気づいたのですが……沙華彼方という人物は最初から組織側の人間だと匂わせていた可能性がありましてな」


 ん? どういう事でしょう? 沙華さんは最初、フリーライターの仲間側で登場していたと思うんですが……。


「私もこちらの世界で勘づいた事ですので、それが真実なのかどうかはわかりませんが……せっかくですし、これを最後の【謎】にしてみませんか? そうですね……【沙華彼方】とはいったい何者であったのか。最後に……どうかお考え下さい」


 えぇ? まさかのタイミングで最後の【謎】が提示されてしまいましたね。ですが、これも面白いかもしれません。なんとなく後味が悪かった事件のお口直しには、丁度良さそうですもんね。



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