第84話




「まあ、そんなわけで夫婦喧嘩に負けちゃってさ。メニューには冷やし中華が加わることになっちゃったんだよ。いやぁ……思い出す度に腹が立つったらありゃしないねぇ」


 発言は穏やかではないのですが、その表情からは笑みが絶えない一丸さん。ド派手な夫婦喧嘩をしたとはいえ、夫婦仲は良好だったんじゃないでしょうか。なんとなくですが、そう感じます。


「しかもさぁ。勝ったのをいいことに……氷屋から氷柱とか氷の器まで仕入れちゃってね。そいつがまた重い重い。ただでさえ喧嘩に負けて、腰が悲鳴を上げてたってのにさぁ、そんな仕打ちなんだよ。まったく……やってらんないよねぇ」


 えっと……氷の器はわかるとして、氷柱はいったい何に使うんでしょう。ひょっとして、かき氷でも販売するんでしょうか? それとも……かき氷に冷やし中華のタレをかけて販売するとかなんでしょうかね?


「おゆきさん、多分それは美味しくないと思うよ」


 頭の中だけでそんな事を考えていたはずなのに、コムさんから否定の言葉が飛んできました。試してもいないのに否定しなくてもいいじゃないですか。まったく、やってらんないよね……って感じです。


「それでさ、遂に冷やし中華を出す時期になっちゃたんだけど……やっぱり辛いのなんのって。氷は重いわ、細切りにする具材は多いわで。もう毎日毎日が疲労困憊なのよ。それで私……倒れちゃったのさ」


 えぇ! それは大変です。心配ですね……って、既にこちらの世界に来られているんですから、体調を心配するのも何か違う気がします。とは言っても、世間体と言いますか、何と言いますか……やはり心配なものは心配なんですよ。


「目を覚ました時には近所の大病院のベッドでさ、疲労とストレスが原因なんだって。それで一週間程度の入院を指示されちゃったのさ。しかし……アレだね、病院食ってのは本当に健康的で美味しくてさぁ。私は、いつも中華の残りばっか食べてたから……感動しちゃったのよ。やっぱ味が薄いってのは上品でいいね、まったく」


 個人の味覚の問題なんでしょうが……普段から中華を食べていると、あの味の薄い病院食でも感じ方が異なるんですね。アタシも少しだけ食べたことがあるんですけど、特に汁物の味の薄さに辟易としてしまった事があってですね……一番美味しく感じたのはパック入りオレンジジュースだった記憶があります。

 

「でもさ……病院で寝てて思ったんだよ。やっぱりさ、健康が第一なんだってね。私も若いつもりではいたんだけど、体にガタがきちゃってたんだろうねぇ。なんだかんだで年齢を再認識させられちゃった気分だよ」


 そうそう……健康の大切さって、何かきっかけがないと気付かないんですよ。大丈夫、大丈夫と思って無理を重ねていくと……一気に来るんです。そして後悔するって悪循環、そろそろ人類も脱却できないものでしょうか。無理なんでしょうね。


「それで私は退院した訳なんだけどさ。私が倒れたにも関わらず、店では冷やし中華を続行してたんだよ。しかもさ……足りなくなった人手を娘に補わせてたんだから、私は旦那に向かって怒鳴ってやったのさ。冷やし中華を即刻やめろってね。でも、旦那も頑固な性格でさぁ。絶対やめないって言うんだよ。だから……退院早々で何だけど、私は手近の氷の器を手に取って、旦那に殴りかかったのさ」


 おぉ……退院早々、何とも喧嘩っ早い。気持ちはわかりますが……話し合いで解決とか出来ないんでしょうか。出来ないんでしょうね。それが可能なら……とっくにやっているんでしょうから。


「私が氷の器で殴りかかってくるのに気付いた旦那は、氷の柱を両手に持って私の攻撃を弾き返したのさ。攻撃が当たる度に氷の衝突音が辺りに響いていたね。そうなるとさ……獲物が小さい私の方が不利ってもんだろ? だから、私は手に持っていた氷の器を飛び道具として使ったのさ。ずっと氷を持っていたら、手も冷たくなっちまうしね。それで私の投げた氷の器は旦那の氷柱に弾かれたんだけど……そこは二の矢ならぬ二の器ってやつさ。私は新しい器を次から次へと旦那へ投げつけたのさ」


 もはや【謎】を解くための【物語】ではなくなってきました。すっかり【バトル】物になってしまった【物語】。ここまで来ると、逆に楽しくなってきちゃいました。今回はどうなるんでしょうね、今度こそ女将さんに勝っていただきたいところです。


「私は器を投げ続けたんだよ、それは氷柱に弾かれちゃうんだけど……そろそろ頃合いだと思ってね。だから、私は最後の一個だけは投げずに……それを上段に構えると旦那に跳びかかったのさ。旦那はそれを防ごうと氷柱を抱えあげようとしたんだけどさ……もう手が限界だったんだろうね。冷たさで感覚を失った手では氷柱を抱え上げる事なんて出来ず、落としちまったんだよ。そして私の一撃が……旦那の頭を捉えたのさ」


 やった! 勝ちました。女将さんが勝ちましたよ。だからどうしたと言われたら困っちゃいますけど、女将さんが勝ったんです。アタシは思わず小さな両の手をパチパチとするのでした。アタシの拍手を受けた一丸さんはドヤ顔を見せています。それは清々しいほどのドヤ顔でした。


「それでね、見事に旦那をノックアウトしたんだよ。そしたら、あの人……伸びちゃってね。私の入院していた病院に連れて行ったら、そのまま入院になっちまったのさ。お笑いだよね。入院した部屋も同じ部屋なんだもん」


 これは因果応報と言っていいんでしょうか? 自業自得、それもなんだか違う気がします。うーん……両成敗ってのが、しっくりくる表現でしょうね。まあ、病院からしたら迷惑な話なんですが……。


「さて、これで旦那がいなくなったからね。まずは冷やし中華をメニューから外そうと思ったんだけど……いきなり外して売上が下がっちゃうのも困り物なんだよねぇ。やっぱ夏場はそれなりに出るのよ、冷やし中華って。だから……代わりになって、もう少し楽なメニューでも考えようと思ったのさ」


 喧嘩に勝ったからといって、万事が上手くいくわけではないみたいですね。とは言っても、何か代わりのメニューってあるんでしょうか? そもそも中国の人って食事は温かいものが当然であると考えていまして……そこからしても中華料理には冷えたメニューって、ほとんどないのが事実なんです。あ、そうだ。杏仁豆腐とかはどうでしょう……って、それでは一食としては不足してますよね。なら……バケツ杏仁豆腐にして量を補えばいけるのかもしれません。


 アタシがそんなこんなと考えていた……その時です。


「そこで、最初の【謎】といこうかね。冷やし中華をどうしてもメニューから外したかった私は、代替となるメニューを考える必要に迫られたんだけどさ……私はいったいどんなメニューを考えたと思うかい? それを【謎】として提示させてもらおうかね」


 と……ニヤリとした表情を浮かべながら、一丸さんは【謎】を提示してきたのでした。



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