第83話


 


「とまあ……色々あったんだけどさ。そういうのを全部、私が腹に収めることで家族も店も上手く回っていたんだよ」


 お腹エピソードの締めは【腹に収める】で括られました。ようやく、一丸さんの世間話は一息ついたようです。しかしお腹のついたことわざって沢山あるんですね。他にも思いつくのは……【腹が減っては戦はできぬ】でしょうか。【謎】を解くのも言わば戦のようなものかもしれません。そうですね……今回は【謎】を考える時に、何か口にしながら考えてみましょうか。


「なるほど……ご苦労なされたのですね」


 一丸さんの会話への相槌はコムさんが行ってくれています。半分愚痴で半分冗談の会話に柳のようにしなやかな相槌を打っていたコムさん。こういう所は流石ですね。


「ああ、いけない。話が脱線しちゃってるかい? ごめんねぇ。それじゃ……本題に入ろうか」


 そう言いながらも、ずっと笑っている一丸さん。なんだか憎めない人ですね。


「まずは……どこから話そうかねぇ。私と夫の馴れ初めから行く? 本題とは関係ないけど」


 一丸さんはそう切り出しました。さて、これに対しては何と返すのが正解なのでしょう。素直に馴れ初めを聞くのが正しいとは思うんです。でも、また延々と愚痴を聞かされるのではないかという恐れがあるのと、どう考えても長くなりそうな話なので……アタシはそこに踏み出すことが出来ません。


「そうですね……旦那さんの人柄も重要かもしれません。お聞かせくださるとありがたいです」


 そんなアタシの腹を読んだのか……コムさんは腹を決め、そこに踏み込むのでした。




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 旦那さんとの馴れ初め話は興味深いものでした。世の中にはこんな大恋愛もあるんだなと、そう思わせる波乱万丈物語だったんですが……【謎】とは関係しないでしょうし、それは割愛します。それにしても……ロマンチックなプロポーズでしたね。思わず感涙しちゃいましたもん。


「さて……それじゃ本題に入るとするけど、言ったとおりに私は中華料理屋の女将だよ。若い頃は可憐な看板娘だったんだけどさぁ。その役は娘に取られちまったんだよ。いや、でもね……私だって負けちゃいないと思うんだけどさ、どうだい?」


 そう言いながら、艶めかしいポーズを取る一丸さん。ちょっと怖い。いや、まあ……それでも若い時は美人だった看板娘だったというのは嘘ではないんでしょう。ですが、その語り口では半分冗談にしか聞こえません。ですが、年を取り看板娘の座は譲っても、その性格からして名物女将の座は揺るぎなかったんじゃないんでしょうかね、なんとなくですが……そう思います。


「それでさぁ……ある時ウチの旦那が言い出したのよ。夏が近づいてきたから、ウチでも冷やし中華をメニューに加えようって。その時はまだ娘も幼くて手がかかる時期だったのに、冷やし中華を始めようとか言うんだよ。信じられないったらありゃしない。アンタ達もそう思うよねぇ?」


 なんといきなり……アタシ達に共感を求められてしまいました。でも、夏なら冷やし中華もいいんじゃないでしょうか。やっぱり中華料理屋さんって熱いメニューが多いから、そういったサッパリしたメニューを頼みたく日もありますよね。いったい、一丸さんにとって何が信じられないんでしょう。アタシが考えを巡らせ始めた……その時。


「そうですよね。冷やし中華って手間がかかりますから、簡単には決められない話でしょう」


 コムさんがそう返答しました。あー、そうか。そういう事ですね。はい、理解しました。完璧に理解しましたよ。えっとですね……どういうことかと説明しますと、冷やし中華は手間がかかるんです。そういう事なんです。


「そうなのよ。ほら……冷やしって言うだけに、一度茹でた麺を冷やさないといけないじゃない。それが思ったよりも手間がかかってねぇ。粗熱を取るくらいなら簡単なんだけど、冷やし中華はもっと冷やさないといけないわけよ。だから、二度手間って訳じゃないけど……思った以上に面倒くさいのよね。しかもさ……ハムとか錦糸卵、さらにはきゅうりを細切りする手間もあってさぁ、はっきり言うと……やってらんないのよ」


 あぁ……確かに冷やし中華って、細く切られている具材が多いですもんね。特に錦糸卵なんて焼く、重ねる、冷ます、切る……ですからね。面倒なのは間違いありません。だからと言って錦糸卵やきゅうりが欠けていたら色合いが寂しくなりますもんね。こうやって考えると……面倒な料理なんですね、冷やし中華って。


「それでさ、私は冷やし中華をやるのは反対だって……夫と大喧嘩したんだよ。それはもう大戦争でねぇ。私は手近の中華包丁を手に取って、夫は中華鍋を構えたのさ。私は遠慮なしに中華包丁を夫に振ったんだけど、夫の中華鍋に弾き返されちゃうんだよねぇ。まるで矛と盾の話みたいに。【矛盾】って言うんだっけ?」


 有名な故事成語を例えに出す一丸さん。説明しますと……何でも突き通す矛と、何にでも突き通されない盾。それを売り文句にしていた商人に、ならばお前の矛で盾を突いたらどうなるのかと尋ねると、商人は何も答えられなかったという逸話から生まれた故事成語です。有名ですよね。ちなみに、一丸さんの事例で言うのなら【中華包丁中華鍋】になります。口に出して読むと……結構、口の動きが忙しくなりますね。試しにやってみてください。


「それから私は中華包丁を上へ下へ左へ右へと振るったのさ。包丁の扱いには自信があったからね。けど、旦那もさ……やっぱ中華鍋扱いには自信があったみたいなのよ。さすがにいつも鍋振ってないねぇ。それで、私の攻撃は……すべてが中華鍋に阻まれちまったのさ」


 まあ……中華鍋って大きいですからね。アレを潜り抜けて攻撃を当てるのは骨が折れそうです。そして物理的にも骨が折れそうです。しかも、今回のお話では豚骨が既に折られていますからね。流石に人骨は勘弁して頂きたいんですが……。


「それから……もうね、並の攻撃じゃ中華鍋の向こうの旦那に一撃が届かないとわかったからさ。私は高く中華包丁を掲げ上げたんだよ。上段の構えから一刀両断してやろうってね。そして私はその構えのまま、跳び上がると……その勢いで旦那に飛びかかっていったのさ」


 おぉ、一丸さんは勝負に出たようですね。さあ、包丁対鍋の対決……結果はどうなるんでしょう。


「私が旦那に包丁を叩き込んでやろうとした……その時だよ。旦那はさ、急に突進してきたのさ。要は……中華鍋ごと突進してきたんだね。いきなり間合いを詰められちゃってさ、私は中華包丁を振り下ろすスペースを失っちゃったのよ……そして中華鍋の突進をカウンターで喰らっちゃったのさ」

 

 勝負の結果は鍋の勝ちのようですね。この決着が割れ鍋に綴じ蓋となって、再び夫婦円満となれば良いんですが……。


「その戦い方ってシールドバッシュですよね。盾で相手を叩くんです。いやぁ、まさか……中華鍋でシールドバッシュをするとは思いませんでした。旦那さんは、よほど中華鍋に習熟なさっていた様ですね」

 

 少し興奮気味にコムさんが話に入り込んできました。こういう無駄な雑学が活きる話題になると、いつも目を輝かせてくるんです。困ったものですね。

 

「なるほどねぇ。そんな戦い方があるとは知らなかったわ。どうせなら生前に教えといてくれよ」


 そんなコムさんを、一丸さんは軽くあしらうのでした。



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