仮題: a life of the singer singing a song

第55話



 みなさんは【古事記】を知っていますか? それは【日本書紀】と共に【記紀】とも呼ばれ、日本最古の歴史書として扱われています。特に【古事記】には、日本の神話がたくさん含まれており……【国生み神話】や【ヤマトタケル】のエピソードは聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。ところで、ヤマトタケルを祀る神社は全国各地に建っていますよね。それぞれの土地に何らかの由縁があるという事らしいんですが、その範囲が余りにも広すぎるので、架空の人物とされていたりもします。確かに、その人物が本当に実在したかどうかは……歴史学としては重要でしょう。しかし、私としては……【面白い】話として伝わっているのなら、それはそれでいいのではないかとも思ったりします。はい、私見ですけどね。


 本日伺うのは、そんな物語。それは私達の【退屈】を埋める、どんな【面白い】物語なのでしょうか。




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「退屈で死にそう……」


 彼ら二人は【久羅下那洲多陀用幣琉】ような状態であった。【久羅下那洲多陀用幣琉】とは【くらげなすただよえる】と読む。【古事記】において、五柱の神が誕生する際に用いられた表現である。意味としては……海月くらげが漂っているような感じと解釈しておくのがよい。つまりは、意図なく浮く海月のように……ただ、そこに存在しているだけなのだ。


 彼ら二人は海月のように何かを考えることのないまま、己のデスクの天板上に頭を漂わせていた。たまに動く。だが、そこに意味はない。ちなみに……海月はプランクトンを食料とするのに対し、彼らは【面白い】かつ【謎】を含んだ話を餌としている。いや……餌とすると表現こそしたが、実際にそれを食する訳ではない。ただ……そのような話を前にすると貪欲な食性を見せるのだ。


 男性は小紫祥伍こむらさきしょうごと言い、幼女からはコムさんと呼ばれている。海月のような容姿をしていると言ってもいい程には特徴がない。海月の透明感は彼の存在感の薄さをよく現している。


 女性は堀尾祐姫ほりおゆきと言い、透明感が売りの人からはおゆきさんと呼ばれている。彼女には海月との接点はないが、強いて上げるなら……中華炒めにはきくらげが入っている方が好きらしい。ちなみに幼女の姿をしている。




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「僕、思うんだけどさ」


 永らくの時が過ぎ、海月……いや、小紫は口を開いた。


「……」


 おゆきさんは沈黙をもって返答とする。小紫はそれを受け取ると話を続けた。


「暴走族って【夜露死苦】って書いて【よろしく】って読ませるじゃない」


「……」


「それを万葉仮名でやったらどうなるんだろって思って調べたんだ。そしたらさ……」


「そしたら?」


 話の締めを敢えて発しなかった事が功を奏したのだ。海月が釣れた、いや……おゆきさんが釣れた。


「夜露死苦が……【夜漏水来】になるんだよ」


「……」


 おゆきさんはキャッチアンドリリースされたかのように海月に戻ると、広い大海原とは真逆の狭いデスクの天板に舞い戻る。そこが彼女の生息地なのであろう。そして……再び言葉を発することはなかった。


 待ち人はまだ来ない。




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 安っぽいチャイムか入店音か、その音が狭い室内に響き渡ると……海月は勢いよく水面に跳ね上がった。


 ようやくにして、彼らの待ち人の到着である。かつて海月だった者は……いそいそと扉の方へ向かうのであった。


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