第34話



 周囲はいつもの殺風景なオフィスに戻されていました。アタシとコムさんは水に浮いていた体勢でしたので、オフィスの床に仰向けになっています。ばっちいですね。コムさんは立ち上がると自分のデスクへと向かい、そちらへ腰掛けました。いつの間にか乃済さんは、ソファーの中央に着座して紅茶を眺めています。アタシは起き上がると、彼女に近づいてみました。


「やっぱり一仕事終えた後は……紅茶よりも何か他の飲み物が欲しくなりますね」


 話を語り終えた事を一仕事と表現したのでしょう。乃済さんは別の飲み物をご所望みたいです。別に自分で出せばいいと思うのですが……これは招待した側、ホストの仕事ですね。アタシはキンキンに冷えた 250 ml のビール缶を具現化させました。銀色のイメージが強いあのビールです。それを乃済さんに手渡すのです。一仕事終えた後は……やっぱりこれでしょう。


「あら、ありがとうございます。やっぱり、こういう時は……とりあえず、生ですよね」


 それには同意です。ですが、この人の問題は『とりあえず、生』感覚で『とりあえず、他人の男』をやってしまった事なんですよね。まあ、それは口にしないでおきましょう。


 彼女はプルタブを押し開けると……それを一気に喉へと流し込みました。いい飲みっぷりですね。


 ちなみにですが、ビールのサイズを 250 ml にしたのには……ちょっとだけ意味があります。本当にちょっとだけですがね。多分、乃済さんも気づいてくれたんじゃないですか。ビールを渡した際に少しだけ苦笑していたように見えましたし。


 一息に飲み終わった空き缶を受け取るべく、アタシは彼女に近づきました。


「あ……もう一本お願いします。出来れば、もう少し大きい缶で」


 ああ、苦笑していたのは小さすぎるからだったんでしょうか。アタシの意図は……多分、伝わってませんね。


 アタシは 500 ml 缶を具現化し、それを彼女に手渡しました。そして空になった 250 ml の缶を受け取ろうと、もう片手を伸ばします。


 その時、彼女はアタシの腕を掴んだんです。そして、引き寄せられました。彼女の口元へとアタシの顔が近づきます。そして……


「とりあえず、小紫さんも欲しくなっちゃいましたので……貰っちゃってもいいですか?」


 彼女は、そう小さく発するのでした。いや……ホント『とりあえず、生』程度で言うことじゃないでしょうに。

 

「貰うって言っても……単に相性がいいから一緒にいるだけでして……えっと、その何と言うか……別にアタシのじゃないですから」


 自分でも何を口走ったんだか、よくわかりません。ただ……この女は危険だ。それだけはわかりました。何と言っても寝取り癖がありますから……。


 しかし……物語の最中には『乃済さんからは、先程までの鬼か悪魔か捕食者を思わせるような不穏な気配がサッパリと消えていました』と、そう感じていたんですが……残念。捕食者だけはしぶとく生き残っていたようですね。恵愛さんも乃済さんを完全に殺し切ることは出来なかった、そういう事なのでしょう。


 アタシは掴まれた腕を振りほどくと、乃済さんから距離を取りました。そして彼女を見やります。


 すると、彼女の表情は……本気なのだか冗談なのだかわからない、美しい微笑みをたたえていました。


 あぁ……なるほど。美女の笑みには本気や冗談、その他の意図の全てをも内包できるんですね。これは強いわ。そう思わさせられました。




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 いつもの事務室のような室内。乃済さんを見送り終えたアタシとコムさんは、それぞれのデスクの椅子に腰掛けていました。そして、今回の物語について思い巡らすのです。


「あのさ……今回の物語の、最後の方なんだけど」


 ゆっくりとコムさんが口を開きました。


「ん、最後の方がどうかしました?」


 私は続きを促します。


「水都さんは……最後の最後まで一緒にいてくれたじゃない」


「そうでしたね。私を助けてくれましたし」


「それってさ、別に一緒にいる必要はなかったとは思うんだけど……結局、最後までいてくれたよね」


 アタシにはコムさんが何を言いたいのかを察することができませんでした。ですので、彼が真意を語るのを待ちます。


「水都さんはさ……一緒にいることによって最後の水責め。あれの脱出方法を他の人にも考えてもらいたかったのかもしれないなって……そう思ったんだよ、なんとなく」


 コムさんは、まだ言葉を続けます。


「多分だけど、あの状態を覆せなかった事が悔いなんだと思う。恨みつらみはあれど……恵愛さんとの知恵比べに負けた事が悔しいんじゃないかな」


 なるほ……なんとなくですが理解できました。乃済さんは、今でもその答えを探しながら……こちらの世界でその話を披露してるという訳ですね。


「コムさんは、あの状況を覆せるような策……あるんですか?」


「いや、全然。ただ……しばらくは、それを考えて過ごせばいいかなって」


 そうですね、それがいいでしょう。何せ、語り人が去ってしまったアタシ達には……これから長い【退屈】の時がやってくるのです。たまには、こういう課題を抱えながら過ごしてみるのも良さそうですね。いい暇潰しになりそうですし。




 しかし……コムさんは何故あの女のこと、名前で読び始めてるんですかね。イラッとします。




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 こうしてミステリーツアーを発端とした物語は、課題を残しつつ終了しました。


 もちろん課題以外にも、沢山の感慨を残しています。


 例えば、恵愛さんですが……愛に恵まれると書いて恵愛だというのに、最終的には般若と化してしまうだなんて、なんとも皮肉に感じます。


 それに、乃済さんと恵愛さんの関係なんですが……二人は恋愛系の小説も同じ本を読んでいたそうですよね。ですが、二人共が同じ本を読んだにしても、受け取り方は違ったのかなと……そう感じました。


 例えるなら、恵愛さんはヒロインに感情移入をして読んで、乃済さんはヒロインと鞘当てを繰り返すライバルに感情移入していたんじゃないかなって。そして、恵愛さんは復讐を実行しながらも……自分を悲劇のヒロインとして、その役を演じていたんじゃないでしょうか。ちょっと考えすぎでしょうか。


 


 いやあ……つくづく、恋愛は難しいものですね。




 なにせ死後の世界ですら、答えが見つかっていませんから。




 第3話 『三密』 了


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