第34話
周囲はいつもの殺風景なオフィスに戻されていました。
「やっぱり一仕事終えた後は……紅茶よりも何か他の飲み物が欲しくなりますね」
話を語り終えた事を一仕事と表現したのでしょう。乃済さんは別の飲み物をご所望みたいです。別に自分で出せばいいと思うのですが……これは招待した側、ホストの仕事ですね。
「あら、ありがとうございます。やっぱり、こういう時は……とりあえず、生ですよね」
それには同意です。ですが、この人の問題は『とりあえず、生』感覚で『とりあえず、他人の男』をやってしまった事なんですよね。まあ、それは口にしないでおきましょう。
彼女はプルタブを押し開けると……それを一気に喉へと流し込みました。いい飲みっぷりですね。
ちなみにですが、ビールのサイズを 250 ml にしたのには……ちょっとだけ意味があります。本当にちょっとだけですがね。多分、乃済さんも気づいてくれたんじゃないですか。ビールを渡した際に少しだけ苦笑していたように見えましたし。
一息に飲み終わった空き缶を受け取るべく、
「あ……もう一本お願いします。出来れば、もう少し大きい缶で」
ああ、苦笑していたのは小さすぎるからだったんでしょうか。
その時、彼女は
「とりあえず、小紫さんも欲しくなっちゃいましたので……貰っちゃってもいいですか?」
彼女は、そう小さく発するのでした。いや……ホント『とりあえず、生』程度で言うことじゃないでしょうに。
「貰うって言っても……単に相性がいいから一緒にいるだけでして……えっと、その何と言うか……別に
自分でも何を口走ったんだか、よくわかりません。ただ……この女は危険だ。それだけはわかりました。何と言っても寝取り癖がありますから……。
しかし……物語の最中には『乃済さんからは、先程までの鬼か悪魔か捕食者を思わせるような不穏な気配がサッパリと消えていました』と、そう感じていたんですが……残念。捕食者だけはしぶとく生き残っていたようですね。恵愛さんも乃済さんを完全に殺し切ることは出来なかった、そういう事なのでしょう。
すると、彼女の表情は……本気なのだか冗談なのだかわからない、美しい微笑みをたたえていました。
あぁ……なるほど。美女の笑みには本気や冗談、その他の意図の全てをも内包できるんですね。これは強いわ。そう思わさせられました。
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いつもの事務室のような室内。乃済さんを見送り終えた
「あのさ……今回の物語の、最後の方なんだけど」
ゆっくりとコムさんが口を開きました。
「ん、最後の方がどうかしました?」
私は続きを促します。
「水都さんは……最後の最後まで一緒にいてくれたじゃない」
「そうでしたね。私を助けてくれましたし」
「それってさ、別に一緒にいる必要はなかったとは思うんだけど……結局、最後までいてくれたよね」
「水都さんはさ……一緒にいることによって最後の水責め。あれの脱出方法を他の人にも考えてもらいたかったのかもしれないなって……そう思ったんだよ、なんとなく」
コムさんは、まだ言葉を続けます。
「多分だけど、あの状態を覆せなかった事が悔いなんだと思う。恨みつらみはあれど……恵愛さんとの知恵比べに負けた事が悔しいんじゃないかな」
なるほ……なんとなくですが理解できました。乃済さんは、今でもその答えを探しながら……こちらの世界でその話を披露してるという訳ですね。
「コムさんは、あの状況を覆せるような策……あるんですか?」
「いや、全然。ただ……しばらくは、それを考えて過ごせばいいかなって」
そうですね、それがいいでしょう。何せ、語り人が去ってしまった
しかし……コムさんは何故あの女のこと、名前で読び始めてるんですかね。イラッとします。
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こうしてミステリーツアーを発端とした物語は、課題を残しつつ終了しました。
もちろん課題以外にも、沢山の感慨を残しています。
例えば、恵愛さんですが……愛に恵まれると書いて恵愛だというのに、最終的には般若と化してしまうだなんて、なんとも皮肉に感じます。
それに、乃済さんと恵愛さんの関係なんですが……二人は恋愛系の小説も同じ本を読んでいたそうですよね。ですが、二人共が同じ本を読んだにしても、受け取り方は違ったのかなと……そう感じました。
例えるなら、恵愛さんはヒロインに感情移入をして読んで、乃済さんはヒロインと鞘当てを繰り返すライバルに感情移入していたんじゃないかなって。そして、恵愛さんは復讐を実行しながらも……自分を悲劇のヒロインとして、その役を演じていたんじゃないでしょうか。ちょっと考えすぎでしょうか。
いやあ……つくづく、恋愛は難しいものですね。
なにせ死後の世界ですら、答えが見つかっていませんから。
第3話 『三密』 了
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