3-5
ハルが入ったのは二階の一番南の部屋だった。
夏紀がこれまで抱えていた謎が、すべて吹き飛ぶ気がした。
「何から話せば良い?」
夏紀を椅子に座らせて、ハルは窓のカーテンを開けた。
「分かったと思うけど、うち、ピアノ教室」
やっぱりそうか、と夏紀はため息をついた。両親たちが言っていた夏紀のお見合い相手は、ハルだったということだ。ハルは夏紀の八歳上の三十五歳、よりはずっと若く見える。
「見てたんだよ、あんたらが引っ越してくるの。ここでオカリナ吹きながら」
「えっ、あれもハルさんだったんですか」
「そ。引っ越してきてすぐ、思いっきりカーテン閉められたのも俺」
パシャン、って、と笑いながら、ハルはカーテンを勢いよく閉めた。
「本当はピアノ弾きたいけど、
ということは、夏紀がハルを忘れようとしていた時も、ずっとハルが奏でるオカリナの音色を聞いていたことになる。
「そんな……。あ、でも、ハルさん、ほとんど家にいないって先生が」
「そ。たまに帰ってきても今日みたいに裏から入るし、ピアノ鳴ってるから気付かないんじゃない? あんたがピアノ弾けるってのは親からも聞かされてたし、カフェで話してるのも聞いた。興味あったよ」
「それじゃ……傘を貸してくれたのは」
「ああ、あれは偶然。雨の中立ち尽くしてるの誰だよ、って近付いたらあんただし。もちろん、駅で会ったのも、今日も偶然だから」
本当に偶然で良かったと思う。ハルが夏紀に興味があったのは良いとして、ずっとあとをつけられていたなら怖い。ストーカーで、通報しないといけない。
「ものすごく落ち込んでたから、気になって……それで、駅でカフェの話をした」
それに夏紀は乗っかって、ピアノを弾くようになった。
楽しかったのは認めるけれど、ハルに操られていたなんて。
「でも、ハルさん……私が辞めるって言っても、引き留めなかったですよね」
「また見つけるって、言ったよ」
「それは──」
ピアノが弾ける人を募集していることを思い出して、夏紀は少し悲しくなった。嫌な思いをさせられて忘れようとした人なのに、今はそれが辛い。
「誰が新しい人を探すって言った?」
「だって、ポスター……」
貼ってるじゃないですか、という言葉はうまく口から出て来なかった。
「見つけるって、あんたのことだよ。他に考えてないし」
「……え?」
「絶対に見つけられる自信があった。だって、この距離で住んでるんだし」
そう言うとハルは、夏紀の前に椅子を持ってきて座った。そして本棚に立ててあった封筒を夏紀に渡した。
「何ですか、これ」
「ハレノヒカフェに戻ってきてほしい」
ハルから受け取った封筒の中身は、夏紀がカフェに残してきた楽譜だった。
パラパラとめくりながら目に入る赤い文字が、ものすごく懐かしかった。
「練習なら、いつでも付き合うよ」
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