1-7

 オカリナの話は出来なかったけれど、夏紀の心はなぜか温かかった。発表会の中でも使われていなかったけれど、どこかで聴いた気がしていた。

 晩ご飯までの時間に部屋でくつろいでいると、ずっと探していた音が聞こえてきた。朝から降り続いていた雨は発表会が終わる頃にはやんでいて、道路のところどころに水溜りができていた。ときどき通る車が跳ねる水音に消されながらも、風に乗ったオカリナの音色は夏紀の部屋にも届いた。

(ピアノも良いけど……やっぱり、オカリナもいいな)

 演奏しているのが誰かはわからない。

 ただ、夏紀が帰る時には教室の生徒は帰ってしまっていたので、夫妻のどちらかだろう、と思う。

 良夫がピアノを教えている、というのは、大きい体格からは想像しにくかったけれど。彼は子供の頃から音楽が好きで、音大でピアノを専攻していたらしい。容子はそのときの同級生で、卒業してすぐに結婚した、と聞いた。

(どっちなのかなぁ……)

 考える夏紀の視線の先で、緑の葉が揺れる。

 右へ、左へ、そして──また右へ。

 ゆったりとした旋律は風になって、街全体に降り注いだ。夏紀にはこのメロディを聴いている人の姿は見えないけれど。きっと、他の家の人たちもこの音色に聴き入っているに違いない、と信じていた。

 夏紀はふと、木下夫妻が話していた息子のことを思い出した。

(そういえば……何歳くらいなんだろう?)

 結婚の話をするくらいだから、そんなに若くはないのかもしれない。

 けれど、夏紀を、というくらいだから、歳は近いのかもしれない。

 もっとも、夏紀の年齢は夫妻には伝えていないので、年下の可能性だってあるし、あるいは一回り以上も離れた大人の可能性だってある。

(まぁ、もし会ったら、仲良くはなれる、かな?)

 もちろん、彼と結婚しようなんて気持ちは、今の夏紀にはない。

 音楽教室の子供だったら音楽が嫌いではないだろうし、そこから繋がりが出来れば、とは思う。歳が近ければ友達としては付き合いたいし、大人だったら──何か教えてもらえることはあるだろうか。


 夏紀が前の恋人と別れた場所は駅の近くだった。

 だから、傘を貸してくれた青年は駅を利用しているのかもしれない、と思ったけれど、あれから彼を見ないまま五月も下旬になった。

「早く見つけないと、傘なくて困ってるんじゃないの?」

 もうそろそろ梅雨入りだよ、と言うさやかとは、月に何回かハレノヒカフェで会うようになった。店内とデッキテラスとを交互に利用していて、今日はテラスの端の席でパラソルの陰に入っていた。

「そうだけど……手掛かりないんだよ?」

 この街に住んでいるとも限らない。

 あの日は偶然ここに来ていて、もう遠いところに行ってしまったのかもしれない。

「顔しか覚えてないんだもん」

「悲しいねぇ……。夏紀の運命の相手はどこにいるんだろうね。ねぇ、知り合いの人に紹介されたりしてないの?」

 聞いてくるさやかに、夏紀は木下夫妻の息子の話をした。あれから夏紀は何度か夫妻を訪ねることはあったけれど、息子らしき人物とはまだ対面していない。

「夏紀のタイプだったら良いのにね、その人」

「うん……でも、いつも見てるけど全然戻ってきてる気配ないし。たぶん無いよ、この話」

 夏紀は笑いながら、さやかの結婚はどうなってるのよ、と話題を変えた。

 店内から聞こえてくるメロディが二人の前を通り、風に乗って坂道を降りた。

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