02.魔族ではないらしい

 目を覚ますと、寝室らしき場所にいた。

 地味に額が痛い。アルマはそっと体を起こし、何があったか回想してみた。


「そうだ……私、魔族から逃げようとして……」


 そして森の外に出ようとし、祖父の呪いの所為で卒倒してしまったのである。

 ここはきっとシドニーの家だ。また戻ってきてしまったのだ。

 扉の向こうにある人の気配を感じて、アルマは息を顰める。

 しかし無常にも寝室の扉は開かれてしまった。そこには金色の瞳をしたシドニーの姿がある。


「来ないで!! 近付いたら、魔法ぶっ放すから!!」


 眠ったおかげで、魔力は少し回復している。襲ってきたら全力で魔法を叩きつけて、後はここから逃げ出すしかない。


「分かった、俺はここから動かない。でも話を聞いてくれ」


 悲壮な顔で訴えられ、アルマは少したじろいだ。


「……ま、まぁ聞くくらいなら……」

「ありがとう」


 シドニーはホッとしたように笑っていたが、騙されてはいけない。あれは八十歳魔族だ。

 そんな風に睨むように見ていると、シドニーはゆっくりとかぶりを振る。


「俺は、魔族じゃない。本当にハーフエルフなんだ」

「嘘でしょ。その耳、どう見ても魔族だし」

「じゃあ君は、今までハーフエルフに会ったことがあるか? その耳を見た事があるのか?」

「それは……」


 実はエルフでさえもあまり見る機会はない。森に住む彼らは、滅多に街には現れないからだ。

 結果、人とエルフが交わる機会は滅多になく、ハーフエルフという存在も聞いた事はあるが、会った事などある訳がなかった。


「ハーフエルフの個体数は極端に少ない。その理由を知っているか?」

「そりゃあ……人とエルフが結婚する事が少ないからじゃ?」

「それもあるが、それだけじゃない。人とエルフが交わると、九割がた人の子供が生まれる」

「え? みんなハーフエルフが生まれるんじゃないの?」


 アルマは首を傾げた。人とエルフの子はハーフエルフ……と思っている人は、この世界にたくさんいるだろう。もちろん、アルマもその一人であった。


「違うんだ。九割が人として生まれ、一割がエルフとして生まれてくる。そして万にひとつの確率で、ハーフエルフが生まれるんだ。どちらの特徴も受け継いだ……と言うと聞こえは良いが、どちらの長所もなくなってしまった中途半端な存在……それがハーフエルフなんだ」

「はあ」

「俺はエルフのように魔法は使えないし、人のように手先が器用じゃない」

「でも、この指輪を作ったって言ってなかったっけ……」


 アルマは再びポケットから指輪を取り出す。丁寧な装飾がとても美しい。少しゴテゴテとしていてアルマの趣味とは合わないが、それでも目を奪われるのは確かだ。


「それは、まぁ……一応俺の最高傑作だ。人が作る物と比べると劣るが」

「ふぅん」


 十分遜色の無いものだと思うが、本職から見れば何かが違うのだろう。アルマにはさっぱり分からなかったが。

 指輪をポケットに戻すと、シドニーは己の耳を隠すようにしてまた説明を始めた。


「ハーフエルフは、魔族のような耳を持って生まれてくる。だからエルフ社会にも人間社会にも受け入れられない。はぐれエルフという言葉を聞いた事はあるか? 異端で村を追い出されたエルフの事だが、ハーフエルフのほとんどは、はぐれエルフとなる……という話だ」

「そう……なんだ」


 その話を聞いて、アルマは改めてシドニーを見る。

 確かに魔族のような禍々しい感じはなく、エルフのような中性的な顔立ちは彼の話を裏付けているように思えた。


「本当に、俺はハーフエルフなんだ。信じてもらえると、嬉しいんだが……」

「うん、まぁ……確かに魔族とはちょっと違うかな……」


 アルマがそう言うと、シドニーはホッと胸を撫で下ろしている。

 本当にハーフエルフだというなら、彼に酷い事をしてしまった。アルマの胸が罪悪感でチクリと痛む。


「そちらに行ってもいいか? 傷の確認をしたい」

「うん、でももう大丈夫だけど」


 許可を出すとシドニーはアルマに近寄り、額に手を当てて前髪を押し上げてきた。おでこが全開になるのは少し恥ずかしい。


「確かにもう大丈夫のようだが……一体何だったんだ? 何にぶつかった?」

「あー、あれは……ちょっと私、呪いが掛かってるみたいで」

「呪い? 解呪方法は?」


 まさか、あなたと契る事ですとは言えず、アルマは曖昧な顔で誤魔化す。


「それはまぁ……おいおい調べます」

「だが、ここから出られないとなると……」


 なにやら熱っぽい視線を向けられたが、アルマは華麗にスルーする。

 しかし引きこもり男には空気が読めなかったらしく、無理矢理視線を合わせられた。


「俺が魔族だという誤解も解けた事だし、結婚して欲しい」

「いやいやいやいや」


 勿論魔族との結婚は嫌だが、魔族じゃなくたってこんな結婚は嫌だ。

 ちゃんと恋愛をして、自分の好きな人と結婚したい。


「こんな結婚、おかしいでしょ?!」

「おかしくない。ガリウスに女の孫が出来たと聞いた時から、俺はこの日を待っていたんだ」


 それから二十年間、友人の孫娘……つまりアルマだけを思って生きてきたとか、重すぎる。というか気持ち悪い。


「あの……おじいちゃんとはどういう知り合いで、どうして結婚だとかいう話に?」

「あれは、五十年前の事だ……」


 ここから老人特有の長い話が始まった。

 要約すると、ガリウスが呪術で必要なアイテムを取りに、森に来た時に知り合ったらしい。

 いつも魔族と勘違いされて、女性との出会いがないシドニーを哀れに思ったガリウスは、自分に孫が出来た時、嫁にやると約束をしてくれたという。


「それからずっと、アルマが嫁に来るのを楽しみにしていた。だが何の音沙汰もないので、不安になって手紙で催促してしまったんだ」


 アルマはシドニーに聞こえないくらいの声で「ジジイ」と呟く。

 ガリウスは、孫の代にはシドニーも結婚していると思っていたに違いない。そんな風に楽観する事で、ガリウスは彼との約束を忘れてしまっていたのではないだろうか。

 だからシドニーから催促の手紙を受け取った後、慌てて拉致するようにアルマをここに連れてきた……これで辻褄が合う。

 しかし、とアルマは嘆息する。『約束を違えるつもりはない』とかなんとかかっこいい事を言っておいて、ただ慌てて取り繕っただけではないか。

 全てはあのふざけた祖父が悪いのだが、だからといって結婚してやろうなどという気は毛頭ない。


「あの……本当に申し訳ないんだけど、私にその気はないので帰ります」

「どうやって?」


 そう言われて言葉を詰まらせる。転移の術なんて高等な魔法は使えないし、使えたとしても呪いがある限り転移などさせてくれないだろう。もちろん破呪魔法なんて使えるわけもない。

 従って、帰る方法は解呪するしかなかった。つまりは、シドニーと契りを交わす事だ。

 どうしろと……とアルマが項垂れていると、シドニーはニッコリと笑った。


「無理強いはしたくない。けど俺の事を知って貰える時間が出来たんだ。じっくり考えてみてほしい」


 シドニーは、アルマが帰れないと知って喜んでいるようだ。

 外に出れば魔物だらけだし、実質ここに監禁されるようなものだろう。

 男女がひとつ屋根の下で暮らす。結婚しているわけでもないのにこれは明らかにおかしい。それとも婚約者なら良いのだろうか。昨日知ったばかりの婚約者など、絶対に認められなかったが。


 ともかく、どうする事もできないアルマは、結局シドニーと暮らす事になった。

 生まれて八十年間、誰とも付き合った事がないという希少な彼は、かなり紳士的であった。というより、超奥手だったとでも言うべきだろうか。

 寝室は別にしてくれていたし、無闇にアルマに触れるような事もしなかった。ありがたい反面、少し拍子抜けでもある。


 何もしないで暮らすのは悪いので、食事と掃除くらいはすると申し出ると、シドニーは物凄く喜んだ。喜ばせてしまった事を後悔したが、後の祭りだ。

 食物庫には卵やら野菜やらがあって、どうやって仕入れているのかと聞くと、週に一度だけ商人が森の入り口に来てくれているんだと言った。

 その時に加工したアクセサリーを売り、手に入れたお金で野菜を買ったり必要な物を頼んで次回に持って来て貰うのだとか。ちなみに手紙もその商人経由で届くようになっているらしい。

 彼は引きこもりではあったが、ニートではなかったのだ。そもそも寄生する人がいないのだから、当然ではあるが。


「じゃあ、ちょっと仕事に行ってくる」

「うん、気を付けて行ってらっしゃい」

「何か、新婚夫婦みたいだな」


 シドニーが笑って、アルマはハッとする。

 ここに来てから一ヶ月。

 なんだかんだと普通に馴染んでいる自分がいる。慣れとは恐ろしいものだ。

 彼は嬉しそうにそのまま仕事に出掛けて行った。

 シドニーの仕事は、魔物退治である。と言っても、目当ては魔物が稀に持っている結界石や、魔光石の原石だったが。


「このままじゃ、ダメだ……どうにか逃げ出す算段をつけないと……」


 馴染んでいる場合ではなかった。このまま青春をこの森の中で終えるのは嫌だ。

 どうすれば森を抜け出して帰れるだろうか。そう必死に考えていると、ふと名案が空から降ってきた。


「そっか……嫌われればいいんだ」


 何故今までそれに気が付かなかったというのか。

 シドニーに嫌われて、あちらから婚約破棄をさせれば良い。

 婚約破棄をされたとなれば、ガリウスは無理にアルマを嫁がせる必要がなくなるではないか。きっと呪いも消してくれるに違いない。


「よーし!」


 アルマは気合いを入れて、嫌われるべく策を練り始めた。

 そんな風に一日を過ごしていると日が暮れて、やがてシドニーが帰ってくる。


「ただいま」


 その手には小さな袋があり、本日の収穫物が入っているようだ。

『おかえり』と思わず言いそうになったが、なんとか一瞥するだけでやり過ごす事が出来た。

 彼は不思議そうにこちらに寄って顔を覗き込んで来たが、それも無視する。


「具合でも悪いのか?」

「別に」


 そう言いながら、作ったカレーライスをダンッと音を立ててテーブルに置いた。

 特製激辛カレーにしようかと思ったけど、食べ物を粗末にするのは好きじゃないので、味は普通だ。

 シドニーはそれを一口食べると、頬が嬉しそうにホワッと緩む。その顔を見ると、思わずこちらも頬を緩ませてしまうが、今日は不貞腐れた態度を通した。


「美味しかったよ。いつもありがとう、ごちそうさま」

「毎日暇でやる事もないからやってるだけ」

「ああ、そっか……一日中家の中にいたら滅入るよな。明日は商人が来る日だから、一緒に行ってみるか?」

「え!? いいの!?」


 つい笑顔で叫んでしまい、シドニーまでも笑顔にさせてしまう。


「欲しいものが何でも手に入る訳じゃないけど、頼んでおけば次週来るときに仕入れて来てくれる。欲しい物を何でも頼んでおくといい」

「何でも?」

「ああ」

「高い物でも?」

「不便な生活をさせてるんだ。その分くらいは頑張って稼ぐよ」


 その発言に、アルマは少しグッと来てしまった。

 基本、この人はとても良い人なのだ。

 食事を作れば必ず感想とお礼を言ってくれ、掃除するたびに感謝してくれ、アルマの事をいつも気遣ってくれる。

 でも、やっぱり嫁は無理だ。中身はおじいちゃんで引きこもり。森の外に出る事なく、一生ここで二人で暮らしていく……考えただけでもゾッとする。

 やっぱり結婚するなら、一緒に買い物に行ったりレストランで食事をしたり出来る人の方がいい。森で一体何をしろと言うのだ。

 しかし目の前のシドニーはニコニコとしていて、そんな言葉を言えるはずもなかった。


「あの……ありがとう……」

「ああ。機嫌が直ったようで良かった」


 悪巧みをしている自分が嫌になってきた。純粋な人を貶めて、傷付けようとしていると思うと、胸が苦しくなる。

 でも……それでも、嫁として見られては困るのだ。期待をさせてはシドニーまでも苦しめてしまう事になる。心を鬼にしなくては。

 明日は鬼に徹しよう。

 アルマはそう心に決めて、この日は眠ったのだった。

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