魔術師アルマと引きこもり婚約者

長岡更紗

01.婚約者がいたらしい

「アルマ、お前はワシの友人の元へ嫁いでやって欲しい」

「は? おじいちゃん、何言ってんの?」


 とうとうボケたのかとアルマは己の祖父を見た。

 アルマの祖父ガリウスは、白ヒゲを生やした御歳八十歳の立派な老人だ。

 そのガリウスが友人と言った。友人の息子……などではなく、友人と。


「あいつとの約束じゃった。もしもあやつが八十歳になっても娶る嫁がいなければ、ワシの孫を嫁にくれてやると」

「はあーー?? はちじゅう?!」

「いい男じゃ、心配するな。もう半世紀以上会っておらんが」

「それ、絶対良い男じゃないでしょっ!!」


 確かに五十年前は良い男だったのかもしれないが、絶対今は枯れっ枯れに枯れているはずだ。

 アルマは結婚相手にロマンスグレーなど求めていない。


「手紙で確認すると、やはりまだ結婚しておらぬようじゃったからなぁ。アルマも行き遅れんうちに嫁にいけるし、一石二鳥じゃろうて」

「いやいや、私まだ二十歳だし! まだまだ出会いがいっぱいある予定だし!」

「そういうて、彼氏が出来た事などありゃせんじゃないか」

「だからこれから出来る予定……っ」

「諦めるんじゃな。ワシはあやつとの約束を違えるつもりはないんじゃ」


 そんな約束くそくらえだと言おうとするが、ガリウスは右の手のひらをアルマの眼前に向けてきた。

 しまった、と思った時にはすでに遅い。


「ほーれ、眠れ眠れ眠れ〜」

「おじい、ちゃ……睡眠魔法は……ずる……」


 アルマは一瞬にして意識がシャットダウンし、暗闇に飲み込まれてしまったのだった。




 次にアルマ気が付くと、そこは何故か森の中だった。

 睡眠魔法でかなり強く眠らされていたらしい。


「何、何なの……」


 頭を持ち上げると、守護障壁が確認できる。アルマの周りを取り囲む、丸くて透明のバリアーだ。

 ふと見ると、手には手紙が持たされていた。アルマはそれを開いてみる。


「えーとなになに? 『あやつはこの森の中に住んでおるようじゃが、アルマを背負って探すのは面倒なのでワシは帰る。ちなみにあやつと契りを交わさん限り、この森から出られんよう呪いを掛けちゃった。おちゃっぴいなおじいちゃんより』……」


 一瞬、アルマの目から色が消えた。

 そしてすぐにギリギリと歯をこれでもかと鳴らし始める。


「何が『呪いを掛けちゃった』だーー!! その後のハートマークいらんわーー!! 誰がおちゃっぴいだ、クソジジーーッ」


 ビリッと力一杯手紙を破いた瞬間、守護障壁が解除されてしまった。

 その途端、魔物が狙っていたかのように襲ってくる。


「ぎゃーー!! 何この森ーー! ファイアアローッ!!」


 ゴオオッとアルマの手のひらから火炎が飛び出し、魔物を焼き抜く。魔物は射抜かれた後、砕けるようにキラキラと消えていった。


「もおお、せめて杖くらい持たせといてよねっ」


 魔力増幅の杖が無ければ、アルマの魔力はすぐに尽きてしまうのだ。その前に、どこか安全に休める場所を確保しなくては。

 しかし初めてきた森で右も左も分からぬ中、休める場所なんてどうやって探せば良いのか。


「ファイアアロー! ファイアアローッ!!」


 魔力温存のため、馬鹿みたいに同じ魔法を繰り返す。

 襲ってくる魔物は、アルマに魔力があるうちは雑魚ではあるが、なくなると逆にこっちが雑魚になってしまうだろう。


「ファイアアロー……ぎゃ、出ない!!」


 ついに恐れていた事態になってしまい、アルマはとにかく走って逃げた。

 が、いつまでも全力疾走出来るものではない。

 ゼーハーと肩で息をしながら逃げ回るも、とうとう足がもつれて転んでしまう。


「ひ、ひいぃいっ」


 立ち上がろうとしたその瞬間、魔物が襲って来る気配がする。

 アルマは目を瞑り、頭を守るように抱えてうずくまった。


「いやああああああっ!!」


 叫んだ瞬間、何かがアルマの前を横切った。と同時にザシュッと音が聞こえた。

 痛みは……ない。

 目を開けると、魔物の残滓がキラキラと消えて行く所だった。そっと後ろを振り向くと、そこには一人の剣士が立っている。


「大丈夫か?」


 そう言いながら差し出された手を、アルマは握った。剣士はグイッと手を引いて立ち上がらせてくれる。


「歩けそうか? もう少しで俺の家がある。そこまで頑張ってくれ」


 その剣士は金色の瞳が印象的な、長身の男だった。それも、かなりの美形の。

 顔だけ見ると中性的で剣士とは思えなかったが、彼は強かった。次々と襲いかかってくる魔物を一刀両断している。

 そうして彼の後について行くと、家が見えた。森の中に、ぽつんと一軒だけ。

 その家の周りには、守護障壁が張られているようだ。


「守護障壁……これ、あなたが?」

「いいや、結界石を利用してる。中に入ってくれ。魔物はここから先には入ってこれない」


 促されるまま中に入ると、所狭しと結界石や魔光石の原石、それに加工されたアクセサリーなどが置かれてあった。


「汚いけど、適当に座ってくれ。何か飲むか?」

「じゃあ、ミルクティーを……」

「悪いがミルクはない。紅茶で我慢してくれ」


 そういうと彼は赤色の魔光石をかまどに入れて火を起こしている。魔光石は高価なものだ。こんなに簡単に消費するのは贅沢というものである。


「で、君はどこの人だ? どこから迷い込んだ?」

「私はアルマ。ルゼの街から来たんだけど……」

「アルマ? ああ、じゃあ君が俺の婚約者か!」

「え? ええ??」


 男はそう言いながら紅茶を出してくれた。アルマは目を瞠りながら彼を見上げる。

 八十歳の枯れ枯れじいさんのはずではなかったのだろうか。嬉しそうに笑う姿は、どう見ても二十代後半といった顔立ちだ。


「ガリウスの所の孫だろ?」

「うん、そうだけど……」

「良かった。俺が君の婚約者のシドニーだ。何もない所で不便をかけるけど、よろしく頼むよ」

「いやいやいやいや」


 見た目に惑わされてはいけない。もしかしたら若返りの術をかけているだけかもしれないのだ。中身は八十歳のじいさんである。とてもじゃないが受け付けられない。


「私、おじいちゃんに無理矢理連れて来られただけなんで! あなたの事、婚約者とは思っていません!」

「……え?」


 シドニーの顔が悲しそうに歪んだ。少し心が痛むが、仕方がない。


「ガリウスからは、君が俺の所に嫁に来るのを、指折り数えていると聞いていたんだが?」

「それ嘘です。指なんか折る暇もなく拉致されたんで」

「アルマが俺という婚約者がいると知ったのは、いつなんだ?」

「多分、昨日かな……っていうか婚約者と思ってないから!」

「……昨日……」


 シドニーは目に見えて分かるくらいに肩を落とした。ほだされてはいけない。中身は八十歳だ。


「ようやく俺にも嫁が出来ると……」

「すみません、他を当たってください」

「他なんていない。俺は五十年以上、この森から出た事がない」


 壮絶な引きこもり発言をされて、アルマはどん引きした。年季の入った引きこもりを旦那にする気など、さらさらない。


「えーっとじゃあ、街に出て出会いを求めれば良いんじゃ?」

「無理だな。俺は街では、迫害対象だから」

「迫害……?」


 そういうとシドニーは、髪で隠れされていた耳を見せてくれた。

 先端が鋭く尖った、少し大き目の耳。アルマはビクッと震えて、椅子越しに後ずさる。


「魔族……!?」


 その耳の形はまさしく魔族の証。

 人を襲い、喰らい、極悪の限りを尽くす、非道の種族だ。

 アルマはガクガクと体を震わせる。弄ばれたあと、喰われて殺される。それを想像して、怖くない人間などいるまい。

 しかしシドニーは、そんなアルマを見て悲しげに首を横に振った。


「違うんだ。俺は、魔族なんかじゃない」

「……え?」

「俺は、ハーフエルフなんだ」

「ハーフ……エルフ?」


 そう言われてもう一度シドニーの耳を確認する。彼の耳は、エルフのようにビヨンと横に飛び出ている耳ではない。縦に尖っている耳は、どう見ても魔族のものだ。


「そう言って安心させて、私を食べるつもりなんでしょ!?」

「違う!! 本当に、俺は……っ」


 腕を掴まれ、アルマは「ひいいっ」と声を上げる。するとシドニーはハッとした様子ですぐに手を離した。


「お願い、家に帰して!! 私を食べないで!!」


 魔力は空っけつで、抵抗できる状態ではない。アルマにはもう、懇願するしかなかった。

 シドニーは悔しそうに顔を歪め、ゆっくりと首肯する。


「……分かった。森の出口まで送ろう」


 割とあっさりと承諾してくれたシドニーは棚から何かを取り出し、それを投げてきた。思わず受け取ると、それは加工された結界石が散りばめられている、豪華な指輪であった。


「それをつけていれば、魔物は襲って来ない。つけて歩くといい」

「何か、呪いかけてるんじゃ……?」

「つけるのが嫌なら別に構わない……持っているだけでも効果があるからな……」


 シドニーは何故か肩を落としながら部屋を出て行く。アルマは警戒して少し距離を置きながら、彼の後を追った。

 彼も結界石を持っているのか、魔物は寄ってこなかった。魔族は魔物を従えさせる力もあると聞くので、そうとも言えなかったが。

 シドニーはアルマが付いてきているかどうか、たまに振り返って確かめている。アルマはその度にビクッと恐れ、シドニーは唇を固く結んでまた歩き始めた。


「出口だ」


 シドニーの言葉に、彼のその先の風景を見た。確かに木々はなくなり、開けた草原になっている。さらにその奥には、町らしきものも見えた。

 アルマはおずおずとシドニーに近寄り、指輪をポケットから出す。


「これ……あの、どうも」

「いや……これは受け取ってくれ。君のために作ったものだった。俺が持っていても仕方がない」

「でも……」

「いらないなら売るなり捨てるなりすればいい。文句は言わない」

「はあ……」


 仕方なくアルマはそれをポケットに戻した。

 別れの挨拶でもした方がいいのかと思ったが、魔族相手にそんな事をする必要もないだろう。

 アルマはシドニーから逃げるように、森の外へと走り出した。

 とにかくこの魔族から離れなければ。何の気まぐれか助けてくれはしたが、騙すのが得意な種族である。隙を見せると、本当に喰われかねない。

 そうして森を出ようとした瞬間。


 ガンッ!!


「ふげっ!?」


 頭に強い衝撃を受けてぶっ倒れた。

 目の前が真っ暗になって、意識が遠のいていく。


「アルマ!! アルマ!?」


 ーーあやつと契りを交わさん限り、この森から出られんよう呪いを掛けちゃった。おちゃっぴいなおじいちゃんよりーー


 シドニーの慌てた声と、おちゃっぴいな祖父の声が頭に響く。


「お、じいちゃ……の、ば、か……」


 アルマはそこで意識を手放した。

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