差別する自由

俺が音楽好きとか漫画好きとか

そういうことが全部その一点でどうでもよくなるのは

やっぱり哀しい

苦しい


だけど“それ”が差別の対象になるのなら

それが現実だ

オープンに生きていけば

それだけオープンに嫌う人も増える


でもそんなに俺は嫌われるような存在なのだろうか

ただあなたのようにしたいだけなのに


“自分らしく”はハイリスクハイリターン

それはそうだ でもだからって

そこまで嫌ってくれなくてもいいのに


ただ嫌う自由はある

拒絶の自由もある

では差別の自由は

ヘイトスピーチの自由はあるか

ただ、殴るのは駄目なはず

殺すのも駄目なはず


その境界線はどこに


殺人には自由がある

それはもちろん法律で禁止されてはいるのだが

拘禁も監禁もされていない以上

殺人には自由がある


もちろん差別にも

ヘイトスピーチにも

人間にはその自由がある


ただ然るべき処置を受けることになる

でもそれは“不自由である”ということではない


“禁じられていない”ということは

“許されている”ということではない


ヘイトスピーチも表現の自由の内だ

ただだからと言って“する”かどうかは別問題


差別は暴力なんだ

殴られると痛いんだ

殴らないで済むなら殴らないでほしい

殴らないで済むなら


差別なき世界とは

差別“できない”世界ではなく

差別“しない”世界

殺人の自由があっても

誰もが誰をも殺さない世界


あなたは差別する自由が認められたとして

積極的に人を差別するの


そこから始めよう

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