最期の仕事

睡田止企

第1話

「また毒殺か」

「えぇ、これで8件目です」

「ったく、どうなってんだ、この街は」

「犯人を捕まえないことにはまだまだ犯行が続く可能性がありますね」

「はぁ……、これ以上続くと手が回らなくなるぞ」

「えぇ、一刻も早く犯人を捕まえましょう」


 ◆◆◆


 目の前に男が倒れている。

 黒のパンツに黒のパーカー。背中にはリュックが背負われている。

 自身から出た血の上で潰れたカエルのように手足を広げ、うつ伏せに倒れている。

 パーカーのフードが被さっているために顔は見えない。見えないがこの姿は……。

「俺か」

 男を見下ろしながら呟く。

「俺なのか」

 男に少し近づく。左手の人差し指に銀の指輪が嵌められているのが見えた。

 自分の左手を見ると、人差し指に同じ指輪が嵌めれれている。

 そして、自分の手が透けていることに気づいた。

 自分の体を見下ろすと全身が透けている。

「死んだのか……。勘弁してくれよ……。任務に失敗すると殺される」

 その場にしゃがみ込む。そして、はたと気づく。

「殺されるも何も死んでるか」

 目の前で倒れている自分の体に触れようと手を伸ばす。

 体に触れることはできず、手が体の中に入っていく。何を触った感覚もない。

「はぁ……」

 ため息をつく。

 仕事とはいえ、今までに何人もの命を奪った人生だった。

 この街だけでも8人の命を奪った。

 自分の人生が突然終わるのも因果応報だとは思う。

 が、今回の仕事だけは成功させたかったとも思う。

「最後の最後だってのに」

 今回の任務で今の仕事からは足を洗おうと思っていたのだ。

 上司が変わり、任務の内容が雑になっていたことが原因だ。

 検死で検出されないと言われた毒が検出され、連続毒殺事件になったり。

 毒殺が大ごとになったことに焦り、爆弾で一斉にターゲットを消そうとしたり。

「はぁ……」

 またため息をつく。

 なぜ、自分がこんなことになっているのか。

 爆弾をホテルの外壁に取り付けている途中に落下したのだ。

 普段の任務ではこんな身体能力を求められる業務はなかった。

 死ぬのは仕方ないにしても、上司には腹が立つ。かなり腹が立つ。

「くそッ」

 つい叫ぶと、それに反応するように近くの茂みで物音がした。

 音のした方を見ると猫がいた。猫と確実に目が合う。


 ニャー


 一つ鳴いて、猫は視線を外さずに近づいて来る。

「俺が見えてるのか?」

 猫に霊感があるという話は聞いたことがある。

 猫は足元までやって来た。

 猫の頭の高さで手を叩きながら後ろに下がると、猫がついて来る。

「これは、見えてるな」

 後ろに下がり続けると、自分の死体を通り抜けていた。

 猫が自分の死体に近づく。そのまま、猫は死体の上のリュックの上に乗っかった。

 そこで、ふと思いついた。

「ちょっと、ここ、開けてくれないか」

 リュックの側面に着いたファスナーの周りで手を叩く。

 猫は前足で手を引っ掻こうとする。半透明の手の中を猫の前足が行き来する。

「そうそう、そこ、そこだ、よし」

 猫に引っ掻かれたファスナーが開かれる。

 中からボールペンが落ちて来る。

「このボールペンのここを押してくれ」

 ボールペンに重なるようにして手を振る。

 猫は手を追いかけてボールペンを前足で何度も叩いた。

「そうそう、頼むよ、お願い」

 ボールペンは爆弾の起爆スイッチだった。

 起爆スイッチの通信範囲はかなり狭い。

 本来は向かいのホテルの爆弾に近い部屋から起爆させるはずだった。

 地上から爆弾までの距離の方が少し遠いが、ギリギリ届くだろう。

 ……そもそも起爆スイッチに通信範囲があるってなんだ?

 上司に対する怒りが再度こみ上げる。

 いまどき、地球の裏側の爆弾だって起爆できるだろうが。

 こんなに雑に割り振られた仕事などやっていられない。手の動きが止まる。

「……でも、最後の仕事なんだよなぁ」

 自分の死体を見る。

 最後の、最期の仕事だ。

「……ほら、ここだ、ここを押してくれ、そう、そうだ」


 カチリ


 小さな音だが、確かにボールペンがノックされる音が聞こえた。

 猫の爪先がノック部分を押したところも見た。

 爆発音どころか、虫の音一つしない静寂。

「……ハハ」

 乾いた笑いが漏れた。

 ノック部分が押された瞬間にボールペンの側面から針が飛び出したのが見えた。

「ハハハハハ」

 ボールペンは起爆スイッチではなかった。

 飛び出したのは毒針だろう。

「ハハハハハハハハハハ」

 いくらあの無能上司とはいえ、爆弾は使わないか。

 つまり、最後の仕事のターゲットはホテルに止まっている連中ではなく。

「俺か。俺が邪魔になったんだな」

 本来なら、誰も見ていないホテルの一室で自分を毒で殺していたのだ。

 そして、誰かがその死体を回収する。

 その死体は自殺した連続毒殺事件の実行犯として使用する予定だったのだろう。

 任務に失敗した時に使えるように直筆の遺書が事務所に何パターンも置いてある。

「はぁ……」

 何度目かのため息が漏れる。

 泊まっていないホテルの下での転落死。謎の死だ。

 想定されていた死に方ではない。

 最後の仕事は失敗した。


 ◆◆◆


「転落死か」

「そう見えますが、例の連続毒殺事件と同じ毒で死んでいる可能性もあるそうです」

「は?」

「近くに転がっていたボールペンを調べたところ例の毒が検出されたそうです」

「……なんで、ボールペンを調べたんだ?」

「ボールペンの胴体から注射針が出ていたそうです」

「ほう」

「クスリで錯乱して転落死した可能性があると調べ、毒が見つかったそうです」

「なるほど。……これが9件目の可能性もあるのか」

「はい。死因が毒かどうかは1時間もすれば分かるとのことです」

「身元は分かっているのか?」

「いえ、身元は不明です。ホテルの宿泊客でもないそうです」

「客でもないのか? そりゃまた面倒な」

「あと、ロビーの監視カメラにも映っていなかったそうです」

「……ホテルから飛び降りたんじゃないのか?」

「ホテルの外壁に登った跡があったそうです」

「なんだそりゃ。毒に加えて、不審な点が多すぎる」

「はい。捜査には時間がかかりそうです」

「はぁ……。本当に手が足りんぞ」

「……そうですね」

「ったく、猫の手も借りたいよ」





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最期の仕事 睡田止企 @suida

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