第四十話 アスモデウス式ハッキング術

 渦巻く闇が薄れ、薄っすらとその先に居るシエルの姿が見えてきた。此方を向いて、祈るように両手を組み、跪いているようだ。

 以前、シエルがアバドンだった時は薄青い肌に腰まで伸びた銀髪。その頭の両側からはくるんとした角が生えていた。そして腰からは毛と鱗に覆われた立派な尾。部分部分を見ればキメラのようとも言えたが、僕はそれよりも更に原始的な悪魔のイメージがぴったりだった。


 そんなシエルが進化し、何者かになった。闇の向こうで揺らす髪は、その闇と同じ漆黒だ。以前とは正反対の色に驚いたが、わずかな光に反射し青黒いハイライトにすぐに目を奪われた。

 その髪のアクセントとなる角は実に立派な物に育っていた。くるりと一回転しない程度だったそれはそのままうねり、外側へと伸びていた。あれはドアとか通るの苦労しそうだな……。だけどシエルのことだから上手いことやってくれるだろう。


 次に目を奪われたのは顔だ。と言うと如何にも下衆な男のように聞こえてしまうが……俯き気味だった顔を少し上げただけで目が離せなくなってしまった。顔つき自体は以前のまま、生前のままのシエルだ。けれど青白かった肌は更に白く透き通るような、それこそ病的なまでな純白だった。そしてアバドンの時には無かった模様のようなものが額と頬に赤く刻み込まれていた。それが何処かエキゾチックで、魅力的だった。


 更に細い首はやはり白く、薄っすらと影を作る鎖骨は……


「いつまで見てるの!」

「うわ、何をするんだ!」


 突然後ろからエレーナに両目を塞がれた。これではシエルを見ることが出来ない!


「馬鹿言ってんじゃないわよ! 前に言ったでしょ、女の子の全裸ガン見してんじゃないわよ!」

「ぐ……」


 確かに言われた。一度言われたことをもう一度言わせるのはあまり良くない……。


「それに私も目を瞑っているのよ」

「同性なのに?」

「今のシエル先輩は女の目にも毒よ……」


 確かにあの美しさは、毒だった。魔性という言葉がぴったりな、それこそ悪魔的な魅力があった。




 僕の荷物から取り出した外套を着たシエルが気怠げな様子でエレーナに寄りかかっている。


 今現在、僕達は迷宮核のあった場所に集まっている。教皇との戦闘前は一瞬見た程度だった迷宮核だが、今は跡形もない。残っているのは核が鎮座していた台座だけだった。


 その台座に手の平を向けるシエル。すると淡い緑の光が手の平から台座へと吸い込まれていく。全員で見守る中、あの時見た六角柱の水晶が、まるで実体がないかのように台座からすり抜けて出現した。


「これで迷宮核の分離は終わり。もうこのダンジョンは掌握したよ」

「いやー、お見事。よく出来ました」

「ふふふん」


 頑張ってくれたシエルを労うと嬉しそうに胸を張る。新たな姿に進化したシエルではあったが、張った胸は悲しくもなだらかな斜面のままであった。


「何?」

「いや何も。体の調子はどう?」

「んー……うん、とりあえず一つだけ問題が」

「は?」


 一見すると怪我もなく、辛そうな様子もなく何も問題無さそうに見えるが……まさか進化したことで何か悪影響が?


「このダンジョン、カタコンベと繋がってるのは皆知ってると思うけれど、其処から浸食されてるんだよね……」


 それってつまり、シエルの体がダンジョンに浸食されているということか……?


「大丈夫なのか? もしかして、辛そうなのはそれが原因なんじゃ」

「ううん、疲れてるのは進化したからだから大丈夫。アスモデウスに進化したともなれば精神的な疲労は流石に大きいみたい……」

「あ、アスモデウス……!?」


 シエルの新たな種族名にエレーナが素っ頓狂な声を上げた。どうやら心当たりがあるらしいが、それよりもシエルの方が心配だ。


「それで、浸食の方は?」

「浸食はとてもゆっくりだけど、確実に侵されてるね……でもナナヲ様、もしかしてだけど私が誰だか忘れてない?」


 微笑むシエルに思わず見惚れた。美しさに磨きがかかった。けど以前の面影はちゃんと残っている。少し成長したような、そんな印象を覚えた。綺麗な、僕を見つめる赤い瞳には自信が溢れていた。僕の知っている最強の大魔導士の目だった。


「忘れる訳ないだろう? 大魔導士、ユーラシエル=アヴェスター。僕の頼もしい同居人だよ」

「ふふふん。ハッキングされてるってことは向こうとパスが繋がってるってこと。なら、この天才に掛かればやることは一つしかないってワケですよ」

「はっはぁ、なるほど。相手に出来ることはこっちにも出来るってことか」


 迷宮核を取り込み、ダンジョンと同化したシエルならその機能を使って逆ハッキングが可能なようだ。新しい機能もすぐに理解し、即座に応用してみせるとは流石は大魔導士だ。


「仕組みはもう理解したよ。こっちからハッキング仕掛けて一旦均衡状態にするね」

「じゃあ地上に戻って準備が出来次第、カタコンベへ行こう」


 こうして僕達は一度地上へ戻ることになった。散々悩ませてくれた地下ダンジョン。色々あったが今回、とりあえずはこれで攻略完了ということでいいだろう。


 しかしアレだな……こうして終わってみると、何だかホッとした。そりゃあシエルが大変なことになっているし、気が抜けない状況ではあるけれど、大きな仕事が一つ終わったという点に置いては肩の荷が少し減ったなと感じる。


「勝って兜の緒を締めよ、って感じだな……」

「どういう意味?」

「勝負に勝ったからって油断しないで用心深くしなさいって感じ」

「ふーん」


 次の戦いに備える必要がある。買い揃える物も沢山あるし、僕自身の技量アップも課題のうちの一つだ。今回はそれなりに頑張れたところではあるが、魔法もまだまだ改良の余地があることをかなり感じた。エレーナや、余裕があるようであればシエルにも教わりながら経験値を積みたい。



  □   □   □   □



 そしていつの間にか1ヶ月が経過していた。自身の鍛錬は勿論、墓守協会と聖天教とのパイプ役でも時間を取られた。墓守全体の生活習慣が改善されたことで町の人との交流も増えた。


 特に商店の繁盛が著しかった。墓の街ということで暗い雰囲気がずっとあったグラスタだが、改めて考えれば此処はザルクヘイムから一番近い町だ。墓守だけが利用する小さな商店がいくつかあるだけの町だが、これが冒険者向けに展開されていけば雰囲気はガラッと変わる。

 この点に目を付けたのは蒸留聖水で浄化が進んだことを知った商人だった。商魂逞しいとはまさにこのことである。場所の利点だけで雰囲気も変えてしまうとは、まったく恐れ入るね。


 という話をアル君としてたら『いや一番の貢献者はお前だぜ、ナナヲ』と言われた。きっかけはまぁ、そうかもしれないが実感はまったくない。


 その原因は昼夜問わず忙しなく働くシエルの姿を間近で見ているからだった。


「んぁー……このルートは……」

「シエル、少しは休憩しよ」

「うんー……」


 といった感じで聞き入れてくれない。なんでも、カタコンベ最奥までの最短ルートの調査とハッキングを遠隔でやっているらしい。普段は自分の頭の中で構築しているらしいが、僕が進捗を聞いた時は分かりやすく可視化してくれる。それはさながらホログラム映像のようだ。ハッキングによる浸食数値や現在の光景をウィンドウで出してくれる。これがシエルの脳内で作られたものだとしたら、その発想は現代文化にまで到達していることになる。これが天才かと驚かされる毎日だ。


「はぁ……まぁ今日はこれくらいにしといてやるか……」


 最近はこの台詞を言うのが休憩開始の儀式になっている。


「ナナヲ様ー、お腹空いたー」

「用意してあるよ」

「わーい!」


 姿は最初のスケルトンからすっかり変わり、今やアスモデウスという伝説中の伝説と呼ばれるモンスターにまで進化した。立派な角、エキゾチックな紋様。更には腕や太腿を部分的に覆うきめ細かい小さな鱗がプリズムのように分散された光を反射させ、ソファに乗せられた尻尾は以前よりも細く長く進化している。


 そんな伝説様は漆黒の髪を雑に束ねて角に乗っけてだらしなく足を開いて座っている。この様である。


 主夫と化した僕は彼女の前に作っておいた料理を並べ、向かい側に座る。


「いただきまーす!」

「いただきます」


 僕の癖というか、マナーが完全に移ったシエルが両手を合わせ、温かい料理を口に運ぶ。うん、煮込んで柔らかくなった野菜って最高に美味しい。


「お肉うまー!」

「ちゃんと焼けてる?」

「アスモデウス的には焼けてなくても食べられるよ」

「シエル的方向性でよろしく」

「ナナヲ様の料理は最高ってワケ」

「ん-ふふ、感謝」


 そんな他愛のない会話を挟みながらも料理を堪能する。とても穏やかだ。勿論、ちゃんと墓守仕事だってこなしている。蒸留聖水を撒くだけの簡単なお仕事だ。あとは日に何回か見回りをするくらいか。


 やはり墓守は本来こうでなくちゃ。こんな穏やかな日々が続けば最高なんだけどなぁ。


 ――なんて、思っていた。


「ナナヲ様! 迷宮核と融合してアスモデウスとして進化してから此処一ヶ月半頑張ったお陰でカタコンベ最奥の深淵古城までの直通ルートのハッキングが完了したよ! さぁ、ダンジョンへ行こう!」


 いきなり始まった説明口調を聞きながら僕は急に重くなった体を椅子から引き剥がす。


 さて……仕事の時間だ。

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