第178話 燃える屋敷の戦い 後-3

               ▽                 

 そして四人が残される。


 アデラインとエリザベートとジュスティーヌとクリスタル。

 殺し手と被害者と被害者と被害者。

 アデラインがクロスボウの引き金に指を引っかける。頭では彼らを殺す順番を考えていた。クロスボウは便利な武器だが、一発ごとの感覚が短くないのが欠点だ。エリザベートとジュスティーヌとクリスタル。このうち一人を射殺したとして、次の一人を殺す前に逃げられると困る。


 ホール下はまだ火が燻っているが、射手の位置からはあの騎士がつけた火がまだ通路に残っているかは見えない。そちらに逃げられると少々面倒だ。このまま四人で動かずにいて煙が燻し殺すのを待つのも悪くはないが、ちょっと時間がかかり過ぎる。ギルダー・グライドが自分のやることを終わらせてここへ着いたとき、まだ彼らが死んでいなかったらきっと彼は私に失望するだろう。


 アデラインは考え事をしていたが、エリザベートがじりじりと足を動かしていることに気づかない、なんてことはない。彼女が射線の外へ逃げようとしていることを察知して、クロスボウを向けなおす。


「動かないで。まだ考えてるんだから」


 エリザベートたちは動けない。殺されるとわかっているのに必死こいて逃げないのはどうしてだろうか。誰かが撃たれるとしても誰かが撃たれないなら逃げてもいいはずなのに。ということは階段のほうには行けないか、、そのどちらもか。


 アデラインはでもどうせ全員殺すことになる、と考えた。


 そしてそこで上司の仕草を思い返して、彼が殺せと言っていただけで、殺し方を指定したわけじゃないことにきづいた。別にクロスボウを使って殺せばいいってものじゃない。ただ殺せばいいのだ。


 そのことに思い至って、アデラインは胸が軽くなるのを感じた。逃げられないようにクロスボウを構えたまま、崩落しかけの通路を渡る。先端に重さがかかったとき、首の皮一枚で引っかかっていたこぶりな瓦礫が耐え切れずにホールのほうへ落ちていった。


 アデラインは一瞬、そちらへ気を取られたものの、兵士の感覚として敵に逃げる機会は与えなかった。視線をエリザベートへ戻す。彼女はクロスボウの先か、自分を見ているだろう。


 しかし正解は、そのどちらでもない。エリザベートはホールの下から伸びてきたものに眼を取られていた。


                 ▽                


 エリザベートたちの目の前でアデラインは、煙の中から現れた大きくて長いものに腹部を貫かれ、怪物のいる煙の中へと引きずり込まれた。


 あの冷徹な射手が悲鳴をあげて消えていった。


 そして、壁になにかが突き刺さる音がする。蜘蛛が壁を登るのと同じだ。その光景を見るのはエリザベートにとって恐らく、(似た経験を合わせて)三度目になった。


 身体は焼け焦げ、あちこちに矢や剣で出来た痛々しい傷が見える。瀕死の、しかし生きているマンティスが姿を現した。


「マ……マンティス」


 エリザベートが思わずその名前を口にする。


 ジュスティーヌとクリスタルは、直接はあの怪物の姿を見ていないから、驚きはより一層のものだったはずだ。だが三人がマンティスに対して感じた印象は、完全に一致していた。


「逃げて!」


 誰ともわからないその言葉を合図として、マンティスが二階の通路を昇り切り、廊下を走って迫って来る。


 階段しか逃げ道はない。クリスタルが煙でいっぱいの階段を降りようとしているところを、娘二人が叫んで引き戻す。


「窓、窓、窓!」


 さっきは決断できなかった。窓から降りるのはかなり危険だ。窓の下は裏庭になっていて、植物も多いが、万が一石の上に落ちれば無事では済まない。足の骨を折れば、簡単に追いつかれて殺される。アデラインから逃げようとしている段階ではそのリスクを考えて実行に移せなかった。


 マンティスに対しては、アデラインに対してあったその余裕――余裕とも気づかないような、対話できる人間に対する弛緩――が全くない。とにかく走って、あの化け物の近くから逃れないといけない。


 マンティスにはオクタコロンのような遊び心はない。追いつけばすぐに殺すだろう。


 エリザベートたちはオルガン部屋に飛び込むと、窓に縋りついた。オルガン部屋の入り口は他の大部屋と違って一枚扉なので、マンティスの身体では簡単に入ってこれない。間違いだった。マンティスはいとも簡単に壁を打ち砕くと、エリザベートたちがクリスタルを窓枠に立たせようとしたときには既に、背後に迫って来ていた。


「跳んで!」


 エリザベートがジュスティーヌに叫んだ。窓も一度に一人か、せいぜい二人しか跳ぶことはできない。


「お姉さま!」


 ジュスティーヌが懇願するように言う。マンティスが窓に向けて体当たりをした。そのとき三人は三人とも、窓の近くにいた。お陰で助かった。屋敷が家事で脆くなっていたこと、マンティスがまだ本調子でなかったことも含めて。


 オルガン部屋へ盛大に突っ込んだマンティスは、あまりに強く床を踏みしめたために、体ごと落ちそうになった。どうにか壁に激突すると、クリスタル、ジュスティーヌ、エリザベート、そしてマンティスは壁ごと外側に放り出される。クリスタルとジュスティーヌが植え込みのうえに落下する。瓦礫も降ってくるが、運よく死ぬような場所には命中しなかった。


 エリザベートとマンティスは、まだ屋敷の一部となっている。マンティスは壁に脚を喰い込ませ、落下から耐えていた。エリザベートは窓枠に掴まり、ぶら下がっている。


 マンティスがジュスティーヌたちのほうを見下ろし、そして、エリザベートのほうを見上げる。壁から脚を抜き、外壁を登り始める。


「やっぱり、私を狙ってるんだ……」


 エリザベートが独り言ちる。屋根のほうを見上げた。


 矢はまだ肩のあたりに刺さったままだ。ひどく痛むはずだが、気が昂っているのか、この時エリザベートは、感じる筈のものをほとんど感じていなかった。


 マンティスが壁を破壊したことで、運よく屋根までの足場があった。それにマンティスは重い。外壁を崩しかけ、落ちそうになりながら登って来るので、追いつかれるまでにはまだ時間がある。


 エリザベートは屋根のうえに登り切り、壁の下を見下ろした。マンティスは外壁に掴まったまま、こちらを睨みつけていた。


 エリザベートはほっと息をつき、安堵する。といってもそれは、安堵のせいでエンドルフィンの麻酔が切れて、肩がまたひどく痛み始めるまでだったが。



 

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