第169話 燃える屋敷の戦い 前‐1

               ▽


 馬は休まず走り続けた。瓦礫だらけの王都を抜け、近郊の有力貴族たちが屋敷を構える地域へ入った。地図上の呼称では一応、アーリンガムと呼ばれる地域だ。建物がぎっしりと詰まった王都の風景と比べると貴族一人一人の土地がかなり広いうえ、彼らは屋敷とそこに付属する建物――例えば植物園や厩舎、マルカイツ邸ならパースペクティブの住居――の他に建物を建てるということを基本的にやらない。


 彼らは敷地内で商売することを彼らは余裕のないものがやることだと蔑んでいるのだ。よってアーリンガムには視界を遮るものがないに等しい。昼間であればどこでなにが起こっているかは大体わかるほどだ。


 この辺りにもクーデターの余波は来ていた。攻城兵器は真っすぐ、城を目指していた。それにアーリンガムは王都から少し高地にあるから、あの暴虐的な行進に直接さらされることはなかったのだろう。ただ敗走した敵兵の死体がごろごろと転がり、放置された敵側の物品がそこかしこに捨てられ、また、どこかの家を収奪した跡か、高級な家財道具がばらばらになって横たわっている。


 けれどエリザベートらの動きを止めるものはない。ちらほらいる芝や低草の近くで佇む人々は、一瞬、ほんの少しだけ、戦車へ危害を加えようとするかのような動きを見せるものの、速さと勢いに負けて、その場でゆらゆらと揺れるだけに留まった。


「これ、どうやって使うの?」


 マリアの背後では、エリザベートとコンスタンスが荷台に備え付けられたバリスタを囲んで、四苦八苦していた。


「難しくありません」


 前を向いたままマリアが言った。


「城から持ち出してきた大きな矢を、ええ、そうです。矢をセットして、横についているハンドルを回してつがえる」


 エリザベートとコンスタンスは揺れる荷車のうえでの調整に手間取っている様子だ。マリアの言った手順に従ってバリスタをセットしているが、矢が思ったよりも重かったり、バリスタの器具が硬かったりなどの理由で、なかなか上手く行かない。


「つがえたら後は撃つだけです。矢先を敵に向けて――私に向けたりしないでくださいよ。あと、さっきハンドルを回してと言いましたけどね。城門のすぐ近くで待機していたやつだったんで、ハンドルがもう回されてるんです。くれぐれも矢をつがえたりしないでください」


 コンスタンスがバリスタの弦を引っ張っていることに気づき、エリザベートはバリスタをきちんと扱うためそれを止めさせようとした。手を伸ばしたその時、荷車輪が小石を踏み、荷車全体が大きく揺れた。バリスタの弦を固定していた器具が外れ、セットされていた矢がマリアの左側頭部を掠め、暗闇へ消えていった。


 耳元で死の音を聞いたマリアは、手綱を握ったまま、静かに、怒りを込めてエリザベートたちに忠告した。


「……言い忘れていましたが、絶対に私に向けないでくださいね」


「ごめん」


「ごめんなさい」


 二人はそう弁明するほかなかった。こんな馬鹿なことで危うく全部が駄目になるところだった。


 やがて三人は丘を一つ越え、屋敷を目視できる距離まで接近した。マリアはそのまま突っ切らず、坂道の上で一旦馬を止めた。時間が深夜にあたるため、王都から離れた場所ではまだ煌々と燃える火も光源としては弱くなっている。


 マルカイツ邸の周辺は夜の帳に飲み込まれそうな景色の中で例外的に、目を凝らすことなくその存在を確認することができた。


「なんだ?」


 マリアはすぐ異変を察知した。マルカイツ邸とその周りに、松明と思われる明かりが点々としている。邸宅のすぐ隣にある大きな木が、何らかの理由で燃えており、そこから火が移ったのか、屋敷の一部からも火の手が上がっている。


 マリアは困惑した。なにかを隠滅するために屋敷に火を放つにしても、その割に火のついている量が中途半端だ。故意というよりはまるでうっかりついてしまったかのような火の回りだった。


 馬上から屋敷を見下ろし、屋敷の前に大量の死体があることに気づいたマリアは更に困惑を口にした。騎士らしい恰好の死体もあるが、そうではないものもある。


「間に合わなかったの?」


 マリアが馬の上でじっと屋敷のほうを見ているので、エリザベートは不安になってマリアへ声をかけた。絶望が滲んだ、悲壮感のある声だ。冗談みたいな感情はもうどこにもない。場はシリアスで――緊迫している。


 マリアは考えた。


 この状況でマルカイツ邸を襲う敵がどれだけいるだろう? グザヴィエ・マルカイツの家というだけで襲う動機になるやつは山ほどいるだろうが、あんな大敗を喫した後に防御の固められた家を襲うのは考えにくい。やつらは一体、なにものだ……?


「襲撃は始まっているようです」


 マリアは言った。


「隠し通路は、諦めましょう。今からじゃ開けるのに一苦労だ。この暗さじゃ場所もわからないでしょうし」


 状況を確かめないと。


 心の中で考えた。


 馬を降り、エリザベートのいる荷車のほうへまわる。横の草陰から木製の仮面を被った男が現れ、マリアの頭目掛けて斧を振り下ろした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る