第118話 知っての通り世界の終わり 後

 マリア・ペローとクレア・ハースト。この学院でコンスタンスが頼れる人物は、この二人以外居ない。マリアはコンスタンスよりもずっと年上で、強くて美人である。色々な武勇伝も持っていて、自分に優しい。クレアも、仕事の不出来な自分を責めもせず、フォローしてくれるし、わからないことはおせっかいでも教えようとしてくれる。とても信頼できる人。


 そのためマリアから希望通りの返事を引き出せなかったコンスタンスが次に訪ねた人物は、必然的にクレア・ハーストだった。


 突然、夜中に押しかけられても、クレアは驚いただけで彼女を追い返そうとはしなかった。少し疲れの出た顔色だったけれど、口ぶりや態度は、その疲れを感じさせない。本来誤魔化しのうまい性格なのだ。それゆえに抱え込むことも多いが。


 このときのクレアはまさしく”抱え込んでいる”最中で、それはマリアから再三エリザベートに接触するよう言われているからだった。マリアの言っていることは理解できる。確かにこの学院にいる以上、彼女とずっと会わないようにすることが現実的ではないし、見つかるよりも自分で顔を出す方が、主人の複雑な猜疑心を抑える結果になるだろう。けれどもしかし、クレアは甘えたがりな人間の性で、動かないことが明らかに状況を悪化させると解っていたとしても、実際にその悪い状況が天から自分の身体を押しつぶしに来るまで、その状況がやってこないんじゃないかと勘違いしたがっている。それも生真面目な彼女では中途半端で、逆に罪悪感や自己嫌悪を募らせる原因となってしまっている。


 そこがクレアとマリアとの違いだろう。マリアはもう少し割り切ることができる。見ないふりをしてその場にとどまれる。そもそもクレアはそれができなかったから、エリザベートの前から姿を消したのだ。


 だからコンスタンスが”エリザベートの様子がおかしい”と訊いたとき、彼女は本気にした。どうおかしいの、と返す刀で訊き返すと、状況を全て聞き取った。


 エリザベートに会う勇気はまだなかった。彼女には話したくないこと、言われたくないこと、たくさんある。けれど頼ってきたのがコンスタンスという、どこまでも庇護されるべき人間であったことも手伝って、クレアの心に”コンスタンスに巻き込まれる形であれば””会うのではなく会ってしまうだけなのであれば……”そのような条件付きで、勇気とも呼べないような小さなともしびが芽生えたのである。


 二人はシャルル王子らが寮に入っていくのを確認して(事情を知らないコンスタンスはただ不思議がっただけだったが)、代わって数分後に寮から出てきたエリザベートを、背後から追跡した。


「本当に蛍を持ってる……」


 廊下の柱の陰から彼女を覗き、クレアがそう零した。


「でしょう」

 

 クレアは胸を抑え、深呼吸をした。奇しくもその仕草はマリアも、似た状況でやったことだった。意味はだいぶ違っていたが、エリザベートに対してという点では同じだろう。


                 ▽


 そのエリザベートは、びんの――正確には、びんの内側にぶつかる蛍をたよりに、誰もいない校舎を徘徊していた。びんのなかの蛍はセンサーの役割を果たし、エリザベートが見つけたい相手にむかってこつこつとびんを鳴らしていた。真下に着いて、穴の開いた布の蓋にぶつかったときだけ、ばばちっ、と別な音を立てていた。


 エリザベートは天井を見上げた。そして階段のほうへ廻っていった。(このとき、道を引き返してきたエリザベートを避けるためにメードの二人にはひと悶着あったものの、ここでは割愛しておく)。


 二階につくと再び蛍は正常な飛翔を繰り返す。その目標は、化学実験室にいた。


 エリザベートはここまで夢遊するように歩いていた。


 エリザベートは実験室の扉を開いた。


 化学実験室は、ほとんど使われない。さすがに王立の学院とあって設備は揃っているが、講義は座学ばかりなので使用頻度はごくわずかだ。だからかその部屋にはどこかもの悲しさが漂っていた。


 魔術師がいたのは、教室の中心から少し奥の方に外れた机の辺りだった。より正確に言えば、魔術師は机の縁に座って、エリザベートをじっと見ていた。


 その姿は古代遺跡で見たときのような黒塗りではなく、ただ一個体の人間だった。蛍が知らせなくてももう、エリザベートには”これ”が魔術師だと理解できる。魔術師は女で、ぼさついた長い髪。貧相な体。月明かりに照らされた顔は、青白く光って見える。


 エリザベートもさすがに驚いた顔をした。この女には見覚えがあった。メアリー・レスト。メアリー・ヴァン・ダ・レスト。外国の貴族だが、王立学院に入学してきた。そう記憶している。遡行前も、遡行後もアイリーン・ダルタニャンの近くにいた女。貴族のくせに占星術を研究している変人……。


 エリザベートは驚くと同時に、確かにアイリーンの身の回りに正体がいるとすれば、これ以上ない人物と言えるだろう、と考えた。


 メアリー・ヴァン・ダ・レストこと、メアリー・レスト。手紙の魔術師は、エリザベートが近づくと、机から飛び降り、彼女と相対した。


 そして、聞いたことのある声でこう言った。


「……どうして君はここにいるんだろうね?」

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