二章前半 女の騎士で令嬢

第22話 問題があります 前

 その日、エリザベートは朝から緊張していた。越えないほうがいいラインを越えてしまったことで、新たな脅威が目の前に降りかかってくることを予見していたからだった。

 

 目が覚めたとき、体が芯から冷たくなっているのがわかった。ベッドにしっかりと潜り込んでいたはずなのに、芯からだ。頭から下があまりにも冷たく、一瞬、頭しか動かせなくなったんじゃないかと思うほどだ。


 もちろんそんなことはなかったので、ベッドから出て三月の麗らかで控えめな陽に肌を晒しているところ、部屋の外からお付きのメードであるコンスタンスの声がきこえてきた。


「お嬢さま。朝食のご用意ができました。入ってもよろしいでしょうか」


 なぜ入室の許可を願い出る前に用事を言ってしまうのだろうか。相変わらずのメードの抜け具合も気にかからず、入室を許可すると、明らかに眠たげな顔のコンスタンスが現れる。


「お嬢さま。朝食のご用意ができているようです。早く行きましょう」


「ええ。わかってる。コンスタンス。いいから。そこにいて」


 エリザベートは衣裳部屋に滑り込んで普段着のドレスを手に取った。モスグリーンの、気に入っているドレスだ。しかしそれを手に取ってから、隣の春色のドレスにも目がいった。モスグリーンは落ち着いた色だが、これは明るい。気分も少しはよくなるかもしれない。自分にとっても、眼にしたものにとってもだ。


 唐突な思い付きだったが悪い考えに思えなかったので、エリザベートは実際にそのドレスを身に纏うことにした。


「わあ。今日は明るいんですね」


 衣裳部屋から出たエリザベートを見てコンスタンスが言う。よっぽど好みの色だったのか、こんなことで眠気が顔から失せていた。ああ。朝餉に向かわないと。


 自室から食堂までの距離について時たま文句を言いたくなるものの、今はこの距離感が有難かった。歩きながらエリザベートはぶつぶつと心構えの準備をした。食堂へ近づくにつれ不安は薄くなり、これから起こる面倒ごとにも自分は対処できると感じていた。そんな驕りは、母クリスタルの言葉によって脆くも崩れさってしまうのだったが。


「お付きの騎士がまだ、選べていないようですね」


 ぶわっ、と抱えている問題が上から自分を押しつぶそうとしているのを感じた。


 問題はたくさんある。先ず、脅迫状の送り主がわからないこと。占星術師のパースペクティブに質問してみても解決しなかった。相変わらず遡行後の時間のことはよくわかっていない。

 次に、未だにシャルル王子に会えていないこと。国務が順調に行っていないのか、手紙のやりとりはしているものの、直接会う機会がなかった。ただ、この件に関しては入学前で必ず会う場を設けると向こうも言ってくれているので、安心している。

 それから、クレアとのこと。結局、あんな会話をしても仲が完全に修復されたわけではないのか、それともあれである程度満足してしまったのか、彼女はジュスティーヌのメードのままでいる。コンスタンスのことは嫌いではないが、優秀さではクレアと比べるべくもない。

 それから最後に、クリスタルの言った問題のこと。上にあげたもの以外のすべては、この問題に集約されていると言っても過言ではない。


 というのも、エリザベートは四月に聖ロマーニアス王立学院へ入学する。アイリーン・ダルタニャンをはじめとして、エリザベートの因縁のすべてが集約されたような場所にだ。それはそれとして、この学院に通う貴族にはみな、お付きの騎士というものがいる。


 正確に言えば、学院に入る年齢になると、と言ったほうが正しいか。この騎士は家に仕える騎士とは違う。個人に仕える騎士だ。護衛や、時には催しのエスコートを行う。また、平等をうたっている王立学院は学生全員に寮生活を課しているため、お付きの騎士は学生にとって実家との唯一の繋がりになる。騎士用の寮も離れたところに用意されているのだ。(もっとも、この点はエリザベートのように元々王都に実家があるようなものには関係ないが)。二十五歳に上限が設定されており、優秀でもこれを越えているものはお付きになることが出来ない。多くの場合、一生のともとなるお付きの騎士が、あまり年上ではいけないという理由からだ。


 地方から来ている者は、その地方出身者の騎士がつくことが多い。実家に騎士団があるような大きな家であれば若い中で最も腕のたつ騎士がつく。幼少期から顔見知りということもある。


 ともかく、入学する前にお付きの騎士を選ばなければならないのだ。正式にお付きとなるのは入学と同時だが、実際は入学の一年前にはほとんど決まっているものだ。エリザベートは自分で決めたいと言ってずっと先延ばしにしていた。


 遡行前の記憶では、エリザベートは母クリスタルの選んだ騎士をお付きの騎士とした。マーヴィン・トゥーランドット。粗野だが非常に腕の立つ男。義侠心とやらを持ち、エリザベートをいつも苛つかせた。断罪の際にもそこにいたが何一つ助けにはならず、その前にはアイリーン・ダルタニャンとも親交があった。


 あんな裏切り者とはもう二度と会いたくないのだ。だというのに、クリスタルが催促し、エリザベートの前にマーヴィン・トゥーランドットというただ一つの選択肢を持ってくるまでに、他の候補者を用意することが出来なかった。


 理由はある。



 

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