第12話 魔法に関するあることとあること 後

 

 パースペクティブは自身にかけられた質問を注意深く咀嚼した。中に毒でもはいっていないか確認するかのようにだ。


「時を戻すことは可能か、ですか?」


 顎に手を当て、さする。


「それは、恐らく意味合いを考えるべきでしょうね。単純に質問に答えるか、それとも質問の裏に別の問いが隠されていると見て静観するか」


「シンプルな仮定の話だと思ってもらえればいいよ。魔法を使えるんだろ。そのたいそうな力は、時間を戻したりすることもできるのか、そういう話を訊いたことがあるかっていう、ただそれだけに答えればいい」


「なるほど、なるほど……」


 パースペクティブは近場の本を手に取ろうとして、やめた。そしてまた顎に手を戻した。

 この一連の動作に宿っていたのは、研究者と雇われ者の間を行き来するパースペクティブの人格だった。研究者としては、本を開いてその可能性を検討したい。いっぽうで雇われとしては目の前の令嬢が今すぐ答えを求めていることはわかる。だからすぐ答えてしまいたい。


「答えましょう。そういう魔法は、わたしは使うことはできません。使えるというのも聞いたことはありません。しかし実際のところを言えば、わからないというのが正しいですね。我々占星術師が使う水準の”魔法”はその断片であるということしかわかっていません。我々と地平を同じくしているはずの古代人たちがどうして強い魔法を使えたのかもよくわかっていない。しかし、わたし個人の意見としては、時間を戻すには少なくとも精神を崩す必要があるように思います」


「精神を崩す?」


「そうです。そもそも”占星術”の原理を知っていますか? 呪術の原理でもよいですが」


「習ったはずだけど。専門的な話についていけるかはわからない」


「いいでしょう。先ず”魔法”というのは、ある方程式の実践を差す言葉です。”ある方程式”というのは、即ち、ある結果を導き出す方策を差します。例えば目の前の木を木炭にしたいなら? どうしますか? 火にくべるでしょう。木は火にくべることで木炭になる。これは一種の方程式です。ですが、同時にこれはただの比喩表現でしかありません。本当に式を引くわけではない。しかし魔法使いなら話は別です。彼らは本当に式をひいて、木を木炭にするのです。それを可能にするのが”流体”と呼ばれる物質です。あるいは、物質と呼ばれているものですね。よくわかっているわけではないので。流体はどこにでもあります。人には見えませんが、それはレールのようにあちこちに張り巡らされていて、ある結果を引き起こすために必要な条件が満たされたとき、その結果へ結びつくレールが繋がれるのです。魔法使いはレール自体を操ることが出来るというわけですね」


「……なるほど?」


 よくわかっていないが、とりあえず同意しておく。


 それがわかってかそういったわけではないのかはさておき、パースペクティブは話を簡単にまとめる。


「とはいえ、どの魔法にも共通点はあります。流体を操るという以外にもね。それがなんなのかわかりますか? お嬢さま」


「いえ。なんなの?」


「簡単です。できないことはできないんです。魔法で木を木炭にすることはできます。それは木は木炭になるからです。でも木はホワイトベリーにはならない。バジルとチーズの乗ったカナッペにもならない。おいしいガナッシュにもなりません。ということは、やはり魔法を使っても叶わないのです。魔法の研究家はこれを無限不可能性と呼びました。それがどれぐらい不可能かによって、魔法の難易度はあがるという、それを数値化したものですね。一般に再現の難しいものは、それだけ難しい魔法、ということになります」


「精神を崩すというのは?」


「これは、さらに仮定を含んだ話になります。というより、トンでも理論と言ってもいいでしょうね。そもそも原理や方程式というのは、人の言語の内側にしかないということです。人の言語で表すことのできないものは、この世に存在しない。言語がなければ人は固定されません。精神を崩すというのは、言語を喪失しあらゆる可能性を開くという、いわば魔法理論的ジョークです。不可能というのを言い換えただけです」


「はあ? 舐めてんの?」


 エリザベートが苛立って声を上げる。長々と話を聞かされたと思えば、これか。最近はあまり誰かを相手にキレていないエリザベートも胸倉をつかんでぶん殴ってやろうかという気分になる。

 その殺気だった声に気おされたパースペクティブが、その場で一歩下がる。積み上げられた植物の本が倒れ、大きな音がした。


「いや、いや、お嬢さま。舐めてるとかそういうんじゃないんです。あのですね、確かにこれは占星術師の間でよく言われているジョークなのですが、それでも理論上それ以外の方法がないのも確かなんです。脱構築こそが新たな地平の鍵になる。答えとしては、これです。不可能と言えば不可能。可能と言えばできないかはわからない。しかして”私”がそれをできるかは? これは、恐らく不可能であろうということで。因みに、その”時間を戻す魔法”一つだけに絞ったときは、そういったものは聞いたことがありません。神代の魔術はどれも規模は大きいですが、どれも再現不可能というわけではありませんから」


「……つまり」エリザベートは舌を打った。「なにも知らないってことだ」またぞろエリザベートは癇癪を起しそうになる。役立たずのこの女の離れをすべて破壊し、本の山に油を注いで巨大なトーチを作りたい。この量だ。さぞ見ごたえのあるトーチができることだろう。きっと王城からでも火の形がくっきりと見える。そうなれば……シャルル王子もここまで来てくれるかもしれない。


 エリザベートはさらに苛ついた自分に気が付いた。いけない。母にも言われたではないか。怒りをコントロールせねば。


「ひとつ、言わせていただけるのでしたら……」


 パースペクティブがこう続ける。愚かにも。


「不可能なこと、不可能と思われることを望むとき、大抵その人物には他の願望があるものです。もし、もしもお嬢さまが過去に戻られたいとするのであれば、もしかすると過去になにか後悔していることがあるのやもしれません。時間旅行を考える前に、別の手段を試すのもよいやも。もしその際に私の占星術が役に立つことがあるのであれば……喜んで手助けさせていただきます」


 パースペクティブとしては理想的な話の締めだったのかもしれないが、聞かされた当人にとっては逆鱗を撫でられ続けているようなものだった。エリザベートがパースペクティブの得意げな顔面目掛けて本を投げなかったのは、彼女が冷静でいようとしていたからに過ぎない。


「あんた、ホントに、舐めてんの?」


「申し訳ありません」


 深く息を吸う。埃を吸ってしまい強く咳をすると、いくらか落ち着く。


 パースペクティブはそう言って魔女帽子を下げ、顔を隠した。


 占星術師も役に立たなかった。次はどこを探せばいい? 図書館も、専門家も役に立たないなら。パースペクティブが言うように、くだらない自分の深層心理にでも語り掛けてみようか? ああ。そんなことするわけがない!


 やはり手詰まりか。エリザベートが歯ぎしりをして今の状況を噛み砕かんとしていたところ、意外な人物が手を挙げる。


「そのような話であれば、聞いたことがあります」


 と、クレア・ハーストが言う。


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