第4話 巻き戻った時の中で
(……戻ってるわ。間違いなく)
数日後、嘘のように熱の引いたエリザベートは冴え渡った頭で”今”に関する情報を集め始めていた。
そこで分かったのは”今”が自分の考えていた”現在”から一年半ほど前、正確には555日前だということ。(王立歴――王室制度が始まって以来の歴――で言えば705年にあたる日にち)
クレア・ハーストは間違いなく自分のメードであり、辞めたことなどないこと(記憶違い)。自分は中等部を優秀な成績で卒業したこと(記憶通り)。
捲り忘れを除いたあらゆるカレンダー、物忘れを除いたあらゆる記憶、そして言い忘れを除いた悪戯の終わり、果たして最後のそれが実際にあるかは別として、兎に角。多様な間違いを除いた正しいと思われている事柄を抽出してみれば、それらがすべて事実として扱われていること――すなわち、”今”が本当に”過去”であること――を受け入れざるを得ないことは、すぐにわかった。
(いや、”わかった”ってなに! ぜんぜんわかってない! なにもわかっちゃいない! だって意味がわかんないじゃないか!)
一度は、全部が夢だったんじゃないかとも考えた。アイリーンも、シャルル王子とのことも、自分が死んだということも、全部が悪い夢。でも殊更否定する論理的理由があるかはともかく、夢にしてはあまりに長い期間であることと、それを信じることはできないというエリザベート自身の感覚が、夢という考えを否定した。
考えるべきことはいくらだってある。
時間が過去へ遡る――そんなこと、いったいどんな魔法が可能にするのだろうか。
魔法はある。確かにある。
占星術師や、医者、一部の呪術師など、魔術と呼ばれるものを使うものはいる。しかしこの世界において魔法は、そんなに大それたことが出来るものではない。精々、空気の湿り気から天候を予測したり、簡単な治療だったり、呪術に関しても一番強力な呪術でやっと、人一人を殺せるか殺せないか、その程度のものでしかない。
言い伝えによれば、神代――エリザベートたちの生きる時代から2000年以上さかのぼった時代――においては、人が空を飛んだり、地面を抉り取ったりは普通のことだったらしい。そのあたりの想像力は、演劇や文学の世界で発揮されるものであって、今の時代マジメに方法を模索するようなものではない。
時間を戻すなんていうのは、その神代の伝説でも聞いたことのない話なのだ。
でも、とエリザベートは考える。
これは正しい否定の仕方なんかじゃない。
はじめてのことだから起こらない、なんてそんなのは馬鹿げた妄言だ。エリザベートはその点をこそ否定する。
どこにいると思われるか、どんな立場にいると思われるか、それ自体に文句をつけても始まらない。けっきょく、人は自分のいられるところでしか活動はできないのだから。
とりあえず、図書館から借りてこさせた本を返しに行ってもらおう。エリザベートは床にうずたかく積まれた本を見やった。
役立たずども。
先人の知恵なんて嘘っぱちだ。
時間に関する魔法なんてどこにも書いてないじゃないか。
エリザベートはテーブルの端に乗っていたハンドベルを手に取り、横に振って鳴らした。自室の扉の外から「失礼します」とか細い声がきこえ、覇気のない顔のメードが現れた。
メードはコンスタンス・ジュードという若い少女で、エリザベートが一年半後、本当に起こるかはわからないが、アイリーンのせいでシャルル王子と婚約破棄させられる、(ああ、考えただけで胸が痛む)さいにエリザベートのメードとして付いていた。
クレアを遠ざけた。クビにした、ではないのは、結果的にそうはならなかったからだ。エリザベートは母に掛け合ってクレアを解雇してもらえるよう動いたが、母クリスタルはあなたの一存でそれを決めることはできないと言って、解雇する代わりに妹のメードにすることに決めた。妹はエリザベートと違う階に部屋を持っているため、会わないようにすれば意外と会う機会は少ない。ただエリザベートがクレアのためにそのような配慮をするということはないので、すれ違ったりするときは普通にすれ違うのだが。
以前のときは確かに解雇されたはずだ。この違いは、時期によるものだろうか? しかし、母に解雇していない人物について何故あのときは解雇したのかと問うことはできまい。推測することぐらいはできようが、けっきょく、一メードの就業に重要な意味があるとは思えなかった。
(そうだった。妹のことも、考えないといけない……)
今はまだ、先に時間をどう冒涜したかについて調べていたい。どうせしばらくのあいだは事態が動くこともないのだから。
「あのう、なにか御用でしょうか」
コンスタンスが言う。クレアに比べれば態度がちゃんとしていない。言葉遣いも、服装も。メード服がなぜか左のほうに傾いている。これは客前にはなかなか出せまい。
そんなものが自分についているのは、いささか納得いかなかった。前に疑問を抱いたことはあるが、種を明かせば大した理由ではない。コンスタンスは貴族の娘なのだ。取るに足らない男爵家の娘。しかし、貴族のメードはかなり権威のある家にしかいかない。仕事はまだまだ不足しているが、じき慣れることだろう。
ことだろうというか、コンスタンスは慣れる。そのうち欠伸まじりに完璧な仕事をこなすようにさえなる。これは確定事項だ。
「あのう……」
待ちぼうけを喰らっていたコンスタンスがおずおずと催促する。
「ああ。コンスタンス。この本は図書館に戻してきてくれる。それで、また新しい本を持ってきて欲しいんだけど」
コンスタンスが顔に(ええっ、やだなあ…‥)という表情をつくる。エリザベートはコンスタンスのこの表情に見覚えがあるらしく、いつものように怒ったりはしない。ただ、こちらも催促をするだけ。
「わかった? 魔法とか、神秘に関する伝説の本よ」
「はあ……わかりました」
コンスタンスがベッド脇に放置されていた台車に次々と本を載せていく。暇を持て余したエリザベートは、コンスタンスにこんな質問をした。
「ねえ、コンスタンス。あんた、時間って戻ると思う」
「え? なんですか?」
コンスタンスがゴッドロープ・ナイジェルの信仰と夢に関する書物『夢想すべき神の表象』を積み上げようとしているタイミングである。コンスタンスは一度作業をやめ(彼女にマルチタスクなどというものは期待してはならない)、ゴッドロープの本の表紙をじっと見つめて、考え込んだ。長い時間だった。永遠を錯覚するほど長くだ。それだけ考えた後、コンスタンスの返答はシンプルなものだった。
「戻ったらいいですよねえ」
エリザベートはため息をついて、コンスタンスを行かせた。
そんなことはわかっている。
時間が戻って、本当に良かった。
確かに。
(私は時間が戻った原因を探るよりも、この戻った時間を有効活用すべきなのかもね)
コンスタンスとの会話はほとんど波風なく終わるので嫌いではない。こっちも期待していないので、怒るようなこともない。
だからこそ、コンスタンスがこの次、またしても本の塔をつくって入ってきたとき彼女が放った言葉――この本は、シャルル王子のためですか?――という言葉をきいたとき、エリザベートはひどく寂しい気分になった。
「そんなんじゃないわ」
エリザベートはぽつりと零した。
「そうですか」と、コンスタンスは主人の地雷を踏み抜いたことにも気づかず、部屋から去っていく。
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