俺はTS美少女になって全ての悪を虐殺します

めめ

第1話 日常のおわり

 

 なんて空虚な日々なのだろう。


 一体誰が、この栓の抜けた風呂のようながらんどうな現実を望むのか。俺はもっと、人間らしく人生を謳歌したかったというのに。


 人間らしさとは何をもって決定づけられるのだろう。感慨も湧かず。人の三大欲求を無意味に消費し続ける。今のこの生活は、果たして『俺は生きている』と胸を張って宣明出来るか否か。


「……否、出来るわけない」


 心事しんじを渦巻く問いに自然と口をつくのは自分の囁かな願望。現状には決して満足していないが、打破する気概もない薄っぺらな意思の表れである。


 大学生の身でありながら、自己改変すら恐れる未熟な精神。この19年で育ったのは、平均よりほんの少し高めの身長と、粗雑で浅薄せんぱくな野心くらいのものか。


「……あー、課題やってくるの忘れてた」


 500人は収容可能であろう大学ホール。正面の教壇を中心として扇状に列を成す学習机。その片隅の席にて、俺は諦念を抱く。

 講義10分前に差し掛かり、受講者の喧騒に支配されているこの空間。まるで光と闇のように分断された周囲と俺の構図は正しく陽キャラと陰キャラ。明るく、人が集う陽気なキャラに対し、暗く、孤独な陰気なキャラは影に徹するしかないのだ。


 しかし、別に俺は自分を陰キャラなどとは決して思っていない。


 オンラインゲームは大好きだし、『この世界はつまらない』じみたポエミーな脳内妄想を繰り広げるし、友人という友人も特にいないが、陰キャラではない。

 普段は根暗の皮を被っているのだ。ほら、外聞を気にしてハイテンションを維持するのは疲れるだろ?だからいざと言う時のために、元気を貯蓄してるんだよね。


「あの、すいません。お隣いいですか〜?」


 鈴を鳴らしたような聞き心地の良い声が突如耳を揺らす。

 女性である事は声色から推測出来るが、異性との会話は得意ではないので、顔に目は向けない。


「あ……え……」


 咄嗟に適切な返答が浮かばず、言い淀んでしまう。お隣とは、俺の隣の席を表しているはずだ。つまり、隣の席に座っても良いですかと尋ねられている。講義開始直前で席はほとんど埋まっているし、この問い自体全くおかしい点などない。良いですよと、そう淡々と受け答えすればミッションクリアだ。


「あの……?」


「は、はいはい!?」


 いけない、余りにも俺が思考に耽けるものだから女性が訝しげな様子だ。まずいな、他人とコミュニケーションを取るのは一昨日のスーパーの店員以来だ。緊張して冷や汗が額に滲む。


「えと、お隣座っても大丈夫ですか?」


「……あっ、と」


 うぐ。

 普段から使われず弱りきった声帯が思うように動いてくれない。パクパクと餌を求める鯉のように口を開け閉めする事しか出来ない。


「……い、だ、大丈夫で━━━━」


「あ!小和こより〜! こっちこっち!」


 喉を酷使しやっとの思いで返答出来るかというその瞬間、何段か前の席から、芯が通った非常に響く呼び声が聞こえてきた。何事かと発声の元へ視線を向けると、鮮やかに染められた茶髪を胸元まで伸ばした女性がこちらに手を振っていた。


こと! 席とっといてくれたんだね。すみません、友人がいたのでやっぱり大丈夫です。面倒かけてごめんなさい!」


「……あ、うん」


 俺に声を掛けて来た女性、小和こよりというのだろう。小和さんは、そう言って恭しく頭をぺこりと一度下げると彼女の友人の元へと向かっていった。

 今初めて顔を見たが、魅力的な黒髪を肩で切り揃え、非常に上品な顔立ちをしていた。滅多にお目にかかれない美女だと言えるだろう。


「……」


 はぁ。


 冷や汗も緊張もすっかり治まった俺は溜め息を零しつつ、講義の教科書をリュックから取り出し、机にやや乱暴に広げる。


 すると、背面の下部に『高杉湊たかすぎみなと』という名前が見られた。僅かに滲んだその文字は、俺の筆跡で間違いない。


 これは俺の名前だ。


 高杉湊。

 湊には、船、人や物がよく集まるといった意味合いがある。両親は、沢山の友人に囲まれ、順風満帆な人生を送って欲しいという願いを込め、このような名前を付けたのかもしれない。

 今は一人暮らしで大学に通っているため、親とは疎遠になってしまっているが、俺はかなり感謝しているのだ。精一杯の愛情を持って、ここまで育ててくれ、何不自由ない生活を与えてくれたのだから。

 しかし、一つだけ。一つだけ不満がある。


 先程挙げた名前だ。


 俺、高杉湊の性分は、『湊』の意味には不相応であると言わざるを得ない。俺の元に人や物が集うはずもなく、また自ら集いに行くわけもなく。腐った性根と人生を舐め切った甘い意向で、こうした孤独な人間へと至った。


 今の出来事がそれを顕著に表している。


 突出した美貌を持ちながら、礼儀正しく俺のような人間に接してくれた小和こよりさん。

 対して、真摯に向き合うことなくつらつらと意味の無い言い訳を浮かべながら、大した受け答えも出来なかった俺。


「自分が一番よく分かっている」


 陽キャラやら陰キャラやら、そんな単語で人を二分類出来るわけがない。千差満別、十人十色。人には個性があり、明るい側面も暗い側面も持っているに決まっている。明るくとも、それがイコール善というわけではない。暗くとも、それがイコール悪というわけではない。それはただの他人との差異に過ぎないのだ。


 そう、俺は陰キャラではない。

 陰キャラですら、ないのだ。


 内心で他人を見下す腐りきった性格の上に今の俺は成り立っている。人の土俵にすら立てないただの外道だ。


「……こういう思考も、んだろうな」


 こういった、自分を卑下し特別視する考えも恐らくは厨二病と蔑まされるのだろう。しかし、自分は正しく、朝な夕な正義の側にいるという思考も厨二病なのは間違いない。ではどうすれば厨二病認定を避けられるのか。


 考えるのもめんどくさい。


 ホールにいくつか設置されているアナログ時計に視線を向ける。講義まであと5分といったところだ。間もなく教授が入室する頃だろう。


「……さて、少しだけ日課に勤しみますか」


 朝からこんな重苦しい気持ちになる必要なんてない。一日の始まりとは、華々しくあるべきだ。課題なんてもう知らん。

 リュックのサイドポケットから愛用イヤホンを出し、外界との繋がりを断ち切るように深めに耳穴に挿入する。

 取り巻いていた喧騒は、何層ものフィルターがかかったように存在感を薄める。耳の心地良い閉塞感を楽しみながらスマホの、あるオンラインゲームアプリを起動する。


 名を『スカイドラゴンテイル』、天竜物語という。全世界1億5000万ダウンロードを達成した大人気作だ。

 舞台は、天空を統べる調停者、天竜が治める世界。プレイヤー達は、世界の中心に位置する巨大な塔、その更に遥か上空の天界を目指して練磨する。異常で狂気的なまでのマップの広さを誇るオープンワールドであり、ヘビーユーザーである俺も全容は理解出来ていない。


 まぁつらつらとゲームの説明をしてしまったが、実の所それ程このゲーム自体に興味はない。ストーリーも音楽も悪くは無いと思うが、それよりも特筆すべき点があるのだ。


 それは。


「……はわぁ、キラちゃん今日も可愛いですねぇ」


 度し難いまでのキャラクターの魅力である。画面越しに俺を見つめる超絶美少女に今日も悶絶してしまう。恋に落ちていると言っても過言ではない。


 このゲームを開始するにあたって、プレイヤーはまず初めにキャラクターメイキングに従事する。キャラクターメイキングとは文字通り、自分がこのゲームで主人公として使役するキャラクターの性別、種族、容姿、性格、能力など凡そ人を形成する要素を自由に構築、カスタマイズ出来る作業だ。自由度の差はあれど、昨今のオンラインゲームでは大半が採用しているサービスと言えるだろう。


 しかし、その中でもスカイドラゴンテイルの自由度の高さは頭一つ抜きん出て……いや、頭三つは抜きん出ている。

 このゲームをプレイしている数千万の人間で、他人と寸分違わず同じキャラクターを使っている者は存在しないだろうと言えるくらいだ。勿論、デフォルト……予め設定されている標準状態を選択していないという前提になってしまうけど。


 オープンワールドといいキャラクターメイキングといい、一体どれだけの開発費用を注ぎ込んだのか求知心が顔を出すがここはぐっと我慢する。


 ゲームにそのような現実的な興味は無粋だ。ここではないどこかへ意識を連れて行ってくれる、非現実的で空想的な媒体、それがゲームだ。

 その中でもオンラインゲームは特にいい。


 俺は漫画や小説、ゲームといった創作物に必要以上に没入してしまうきらいがある。漫画や小説の最終話を読了した後や、ゲームをクリアした後、端的に言って俺は病む。

 なぜ病むのか、その答えを言語化するのはとても困難だ。

 しかし敢えて説明するならば、その物語が終わってしまう虚無感に苛まれているのだろう。どれだけ自分がその作品の世界に浸り切っていようと、作者が終わりを告げればそこで世界は瓦解する。俺が愛したキャラクターともお別れなのだ。

 これがどうにも俺は苦手だった。


 そういった負の側面も加味して、オンラインゲームは良いのだ。何しろ、続けようと思えばいつまでも続けられる。本筋のストーリーのエンディングは用意されているだろうが、オンラインゲームには形式的な『終わり』があっても、本質的な『終わり』はないのである。


 際限なく、自分の分身を育成して、異なる世界で共に高みを目指す、男としてこんなにワクワクする事が他にあるだろうか?主人公の性別も種族も、未来さえも思いのまま。理想を具現化出来る、理想的な架け橋、それがオンラインゲームというものだ。


 この点が、俺の琴線に触れた。

 キャラクターメイキングこそが、ゲームにおいて俺が最も重視する要素である。こうして、キャラクターメイキングに力を入れているスカイドラゴンテイルにのめり込んでしまったというわけだ。


『よーし! 今日も頑張っちゃいますよ〜!です!』


「……きゃわわ」


 イヤホンから流れる、甘美で思わず頬を緩ませる声。何千回、何万回と聞き、見てきた彼女。彼女の声、姿は、鼓膜に、網膜に焼き付いている。途方もない数をこなしてきたキャラクターメイキング、その中の最高傑作だと俺は称している。


 キラ・フォートレス。


 それが俺の相棒であり、また俺自身でもあるキャラクターの名前だ。特に名前に意味を持たせたわけではなく、ただ語感が良いからこう名付けた。『キラ』はキャラメイキングの『キャラ』を少し弄っただけだし、『フォートレス』には要塞や砦といった意味があったはずだが、微塵も関係は無い。


 キラは俺の人生だ。

 ただのデータに過ぎない架空生物にそこまで肩入れするとは気持ち悪いと、そう侮蔑されても仕方がないと思う。実際、自分でもそう思う。しかし、何故ここまで彼女を愛せるのか俺にも分かっていないのだ。若しかすると、現実の俺を投影し悦に浸るただの自己満足なのかもしれない。リアルの自分を満たすための虚構の愛かもしれない。例えそうでも、起因が歪んでいたとしても、俺の気持ちは揺るがない。世界が変わっても、俺は彼女を愛し続ける。

 

 そんなキラは眩いまでの黒髪を腰にまで伸ばした、少し垂れ目の傾国の美少女である。種族は人間、【正義】感が強く【悪】を憎む。情に厚いがドン臭い。身長162.5センチ!体重は乙女の秘密!両親に幼き頃に捨てられた経歴を持つが、施設でスクスクと育った彼女は、持ち前の明るさと行動力から、天空竜に逢いに行く旅に出る。そして、筋骨隆々の僧侶やツンデレ赤髪美少女剣士、金髪の爽やかイケメン盾職を仲間に加えながら見事天空竜への謁見を果たすのだ。あれは感動的だった。特に━━━


「講義始めんぞー」


「……んぁ?」


 愛するキラの半生を語っていると、禿げかけたおっさん……じゃなくて、教授が入室するのが目に入った。草臥れたスーツに痩せこけた顔。いつ見ても憐憫の情を抱いてしまうが、それは失礼というものだろう。

 何せ人が多いため、教授がなんと言ったかは分からないが講義を始める旨を口にしたのだと思う。教授の姿を確認した学生達が次々と口を閉ざし、喧騒が終息していく。


 そうか、もう5分経っていたか。


「はぁ……」


 また今日も、いつも通り『今日』が始まる。陰鬱が込められた溜め息はもう何度目か。朝特有の眠気が残る意識も、空調がついておらず肌寒いホールの空気も、憂鬱な気分で教科書を開く気だるさも。全部全部、知っている。


 きっとこの先何年、何十年とこの感覚に付き添って生きていかねばいけないのだろう。何か変わり映えを求めてはいるものの、いきなり人生を方向転換する勇気はない。

 俺のような意気地無しは、惰性で日々を過ごすしかないのだ。


「んじゃ、プリント配るから後ろ回してー」


 学生達の騒音が止み、正面の教壇に立つ教授の声がよく通る。先頭からバケツリレーのように後ろに回ってくるプリントを眺めながら、もう一度嘆息する。


 さて、今日も一日頑張りますか。

 拳をグーパーと握り、パキパキと関節を鳴らす。


 そうこうしている間に、プリントがやっと俺の元まで届く。そしていつものようにそのプリントを受け取り━━━━━━━









━━━━━━━━━ブツン。













 …………………。







 …………。







 ………。


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