第86話 2人の人物
俺は、ずっと危惧していた。
それは、貴重な美形男性である俺がこの世界でハーレムを作り上げるために避けられない問題『自身の知名度の上昇』に付随するものだ。
ずばり、身の危険である。
多くの人間に認知されればされるほど、その確率は跳ね上がる。それは、直近の凛海に誘拐された時に確信に変わった考えだ。
人が集まれば、その分の思想も集まる。その思想がすべて俺に味方すると判断するほど、俺は脳内お花畑ではない。中には当然、害をなすような思想を持つ人間も存在する。
実際、俺は俺自身に対する害に関してはさほど問題視していない。
ソフィも、百鬼も付いているからだ。
だから俺が本当に危惧しているのは、俺の身の回りの人間の安全である。俺が有名になったばかりに、身近な人間にその影響が及ぶ可能性。家族や友人である。
例えば、嫉妬による被害。あとは人質にもなり得てしまう。最近の凛海による被害。おれが俺の身内にも降り掛かると想像しただけでも身が凍る思いだ。
俺はSBM付きだからいい。でも、俺以外の人間は一体誰が身の安全を保証してくれるのだろうか。
俺が自分の理想のために活動していたが故に、親しい人物に被害が及ぶとなった場合、絶対にそれは看過できない。
だからこそ、この問題を解消するためにソフィに前々から話を持ちかけていたのだ。
俺はそっと目を開ける。
そして、その話の帰結としてソフィが近い形で実現できると昨日報告を持ってきた。だから、目の前に広がっているのは、まさに俺が欲しかった解決策そのもの……だと思うのだが。
「話はきちんと聞き及んでおりましてよ。ご安心なさってくださいな。高貴なわたくしが馳せ参じましたわ」
「この度は、大役を任せて頂きまして感謝の念に耐えません。この命に変えても、必ず」
「……」
今、俺の目の前には2名の黒スーツ姿の若い女性がいた。
これが、この女の子たちがソフィが用意した答えというわけなのだ。
* * *
話を整理しよう。
家族や友人の安全を確固たるものにするため、俺は当初ソフィに対してSBMを数人派遣できないかお願いした。俺の専任ではなく、家族や友人に付く侍衛官である。
ただ、この要望は即刻彼女に否定された。
SBMは『男性』特別侍衛官であり、男性以外……つまり女性に付く前例はないという。要人レベルの男性が周囲の人間を守る際には、SBMではなく通常のボディーガードを雇う例が多いらしい。しかし、うちにそんな資金は無い。諦めかけたその時、ソフィが近い形で実現してみせると確約してくれたのだ。
そして時が流れて今、ソフィの指示通り俺は学校から帰宅した直後、私室に居る彼女達に相対しているというわけなのだ。
「……ん、ご主人様より受けていた任務、完遂した」
「……これは驚きましたわ。実物は、これほどに優美な殿方なのですわね」
「お初にお目にかかります。どうか、私の命と引き替えにお傍に仕えること、お許し下さい」
「……とりあえず、ソフィ説明してくれる?」
なんだか個性的な2人が思い思いに俺の部屋で過ごしているみたいだけど、事情を把握したい。
「……ん、ご主人様の当初の要望は、SBMの新たな派遣だった」
「そうだね」
「でも、それは無理」
これは、前にも言われたことだ。あのソフィが無理だと断ずるからには、本当に可能性がゼロで、不可能なのだろう。だから、それはいい。その代案を今は聞きたい。
「そこで、SBMじゃなくても、SBMに近い存在ならご主人様の要望に応えられると思った」
「……近い存在?」
「……ん。この2人は、私の大学の後輩」
「なるほど」
ソフィの後輩か。彼女の出身大学といえば、SBMの養成所として優秀な人材を輩出するエリート大学だ。男性特別侍衛官の特務機関への道が約束された、国内有数の育成機関。
そこの生徒だと言うならば、まさに彼女たちはSBMの卵ということになるのだろう。正規のSBMの代わりに彼女たちに侍衛を担ってもらうとそういうことか。肩書きは違えど、確かに近い働きは期待できそうだ。
それにしても、後輩を連れてこられるくらいの人脈をソフィが持っていたなんて意外だ。
「……ん、じゃあ2人とも、自己紹介」
ソフィが卵たちに自己紹介を促す。
「ではわたくしからいかせていただきますわ」
間髪入れずに声を上げたのは、ド金髪を見事な縦ロールに仕上げた髪型で、似非貴族令嬢みたいな口調の人物だ。この部屋で1人だけ椅子に腰掛けている。それ、俺の椅子なんだけどね。
「わたくし
こんな喋り方でこの髪型の人ってまだ生息していたんだね。好奇の目を向けてしまいそうだ。珍獣に向ける感じのやつ。
「……ん、彼女は何でもそつなくこなせる点が強み。ご主人様の力になってくれるはず。じゃあ次」
「それでは、私が」
次に名乗りを上げたのは、床に正座している黒髪長髪の人物だ。見た所金織さんほど特徴的ではなさそうだが、敢えて挙げるとするならばその鋭い目付きだろうか。姿勢も相俟って、どこぞやの武士のようである。
「
「……ん、彼女には他人には無い献身性がある。この覚悟は、ご主人様に利するはず」
いやまあ確かに凄まじい覚悟を感じるけど、なんだか重いよ。いきなり切腹しそうだもん。
「こちらこそ初めまして、前原仁です。これからよろしくね」
「……ん、この2人には、ご主人様のご家族や友人を侍衛してもらう。1人につく専任ではないため質は分散してしまう。でも2人の主任務は侍衛そのものというよりも、ご主人様の近しい人に危険が迫っていないかの監視の意味が強い。十分対応できると考えている」
「それは有難いけど、2人は学業に割く時間もあるからあんまり長時間任務はできないんじゃない?それに、バイト代とかそういうのはちょっと出せないんだけど」
「問題ありませんわご主人様。わたくしたちは単位をほぼ取り終え、残すところは卒業論文のみという状況なのですわ。その点、今回の任務実習は卒業論文のデータ取りとして願ってもない機会なのです」
「左様でございますご主人様。加えて、SBM内でも有望と名高いソフィア先輩、イケメン四天王として名を馳せるご主人様に資する活動ともなれば、こうして命を賭けるに値する任務となるのです」
……ふむ、なるほど。
こちらの都合で一方的に呼び付けて先輩の威厳で無理矢理働かせるわけではなく、互いの利害がいい感じに一致しているのか。話に聞く限り、問題はないように思う。
「……2人に実務経験は?」
「ん、演習は何度も行っているはず。でも実践はない」
「成績は?」
「この上なく優秀。今期の首席と次席候補」
「ふたりの……いや、なんでもない」
家族と友人を任せるという大役を務める彼女たちがどのような人物なのか気になって仕方なくなってしまった。それくらい、妥協できない点なのだ。
でも、俺が信頼を置いているソフィが自信を持って連れてきた2人だ。これ以上の詮索は彼女にも失礼だし、必要ないだろう。
「……ふぅ、金織さん」
「京華とお呼びくださいご主人様」
「暁さん」
「同じく、私も紗和と」
「京華、紗和、僕の大切な人たちのこと、任せるからね」
「「はい」」
この2人は確かに個性的な為人であることは間違いないが、その腕はソフィが保証している。俺はそれを信じて、家族や友人を2人に頼むしかないのだ。ソフィがそれが最善だと判断した。それだけで、安心する理由には十分だ。
「あとでうちの家族、それから明日には友達にも紹介するからね」
「わかりましたわ」
「承知いたしました」
兎に角、これで憂いのひとつが解消に向かうのだと前向きに考えていいだろう。
ほんの少しだけ、肩の荷が降りた気分だ。
* * *
その日の晩御飯は、家族への紹介も兼ねて京華と紗和の2人も加わって食卓を囲んだ。元々俺の計画は家族へ話していたためか、彼女たちは思いの外すんなりと受け入れられた。
もっとも、ソフィや百鬼とは違い、彼女たちが同居するということはない。大学との両立という形になるためである。学業優先で、空いた時間に家族や友人の周囲を警戒してもらう。とはいえ、卒業要件はほぼ満たしているようなので、こちらに割ける時間が殆どだそうだ。
夕食の場では、何故か分からないが心愛と京華、姉さんと紗和がそれぞれ意気投合したらしく、仲良さげに話し込んでいた。まあ良い傾向だろう。
「とりあえず一安心」
お風呂を終えた俺は、温まった体を冬の寒冷で台無しにされないうちに足早に自室へ向かう。今晩は、これから課題と自習を寝る前にこなすため、のんびりしていられないのだ。
階段を昇り、自室のドアノブに手をかける。
「……?」
その時、ふと違和感を抱いた。
ドアの隙間から光が漏れている。つまりは俺の部屋の電気がついている。
「……」
だが、それはおかしい。記憶を辿ってみても、俺は確かに消灯してからお風呂に向かった。それにも関わらず電気がついているということは、俺以外の誰かが点灯したとしか考えられない。
俺の家族が俺の部屋に立入ることは基本的にない。掃除は俺自身で行っている。もっとも、俺の目を盗んで忍び込んでいる可能性はなくはないが、そんなことをする必要性を感じない。用事があるのならば、俺に堂々と話を通せばいいからだ。
では、なぜ部屋から光が漏れているのか。
『ガチャ』
意を決して扉を開く。
答えはきっと、この先にあると確信しながら。
「……なにをやってるの?」
そして、真っ先に視界に飛び込んできた思いもよらぬ人物へ声をかける。
そう、タンスの中を物色し、俺のパンツを頭に被り、口にくわえて、鼻息を荒げている―――
「……」
―――暁紗和、その人である。
ぺちゃっと、彼女の唾液が染み込んでいるであろう俺の下着が紗和の口から床へ落下する。信じられないという表情で、紗和は俺を見つめる。
いや、その愕然とした顔をしたいのは俺の方なんだけども。
「……私は、一体何を……」
「俺のパンツを頭にはめて、更に口でハムハムしてたよ」
なんだか悪魔に取り憑かれて我を忘れていたやつみたいなセリフを言い始めたので、丁寧に自分の所業を教えてあげる。
「……ご主人様、この家にはなにか悪魔が」
「いや、いないよ」
案の定想定通りの答えを捻り出してくれたので、即否定しておく。この家には悪いものなんて憑いてないよ。もし悪魔がいるとするならば、君の心の中に眠る欲望が、それということになるのではないだろうか。
「「……」」
気まずい空気が漂う。
お互い何をすればいいのか分からない状況だ。
そんな中、俺が何を考えているかというと、心底意外だという所感を持っている。
紗和は、初対面の印象では、毅然とした態度を崩さず固い決意を携えた生真面目な人間だというものだった。それがまさか、俺の下着をハムハムするために部屋に忍び込む変態だったとは。
何かミスをすれば切腹すると言い出しそうなくらいの覚悟を彼女から感じたのだが。
「せ……」
「せ?」
「切腹を……いたします」
「いや、しなくていいよ」
案の定、想定通りの展開になりそうだったので即否定しておく。なんて読みやすいんだこの人は。
「切腹はしなくていいから、申し開きを聞こうか」
「……最初は、侍衛対象が住むこの家の構造を把握するために行動していたのです。それなのに、途中で芳醇な香りに襲われ……気が付けば今のような失態に」
「なるほど」
つまり、SBMもどきの任務を遂行しようとしていたら俺のパンティの誘惑に本能を支配されてしまい、このような凶行に及んでしまったと。
思うに、彼女はド変態なのだろう。洗濯済の下着から男を強く感じてしまうほどに。ただ、男と接する機会の少なさからその真の変態性に気付かずに生きてきたに違いない。本意ではないことは、青白く染まった今の表情からでも十分伝わってくるからだ。
「……初日に、このような有様を晒してしまい慙愧の念に……堪えません。つきましては、自首及び自主退学、方方への謝罪、何よりご主人様への懺悔を行わせていただきます……」
紗和は、パンツを被りながら頭を深々と下げる。どうにもくすりと来てしまいそうな風貌だが、当人にとっては全て大真面目な話なのだろう。正直、こちらとしては美女が俺のパンツに欲情してしまったというだけの状態で、そこに関して不快感など1ミリも抱いてはいない。
「必要ないよ。今回の件は不問にします」
「……!?」
「そのパンツも古くなってたし欲しいならあげるよ」
「!?」
「他の家族のみんなには内緒だよ」
「な、なんと寛大な……」
彼女は小刻みにうち震える。
別に下着くらい面と向かって欲しいとお願いされれば、なんの呵責もなく差し上げるというのに。まあ女の子たちの慌てようを見ていると、それだけ俺の生態が他の男たちとは一線を画しているという証左なのだろうけど。
『俺』という人間は、この世界にとってあまりにも異分子すぎる。いつか同類の男に会ってみたいような気もするが……期待はしない方がいいだろう。
「ご主人様……いえ、神様。私、暁紗和は全身全霊をもって任務にあたらせて頂く所存でございます」
「うん、期待してるよ。じゃあもう行っていいからね」
「はい。では失礼いたします」
そう言い残した紗和は、頭にパンツをかぶり、左手には先程までかぶりついていたパンツを握り締め、部屋を後にした。
「……ふぅ」
こんな事件があったとしても、彼女への信頼が揺らぐということは一切ない。持ちうる変態性は、侍衛の腕とは無関係だからである。寧ろ堅苦しすぎるという印象を以前は紗和に抱いていたため、こういった一件は印象を軟化させるという意味でプラスのものだ。
彼女にはこれからばりばり活動してもらわなければならないため、その前払い的な報酬だと考えれば、パンツ二着など安いもの。
明日からの紗和、京華の活躍に期待して、今日は早めに眠ることにしよう。
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