招き猫堂

OFF=SET

第1話

「別れよう、藍子あいこ



 五年付き合った彼は突然別れを切り出した。「待って」と、言う前に彼は背中を向けて私から遠ざかっていった。


 結婚式の準備までしておいて、突然の別れだった、理由ですら聞けなかった――――




 人通りのよい大きな公園、すれ違う人や追い越す人が私の泣き顔を見て通っている。


 惨めだった、気が付けば私は近くにあった居酒屋でお酒を飲んでいた。

 酒が強い訳ではない、日本酒を一合も飲めば足に力が入らなくなる程だ。嫌なことをアルコールに逃げるという意味が初めて分かった気がする。


 その場しのぎだと分かっていても、今はこうしていたかった。

 どれだけの時間がたったのだろう、店を出て覚束ない足取りで歩いていると、薄暗い中にぼんやりと優しい灯りが灯った店があった。



「あれ……なんだろ?」



 吸い寄せられるように近くまで行くと、店の上には『招き猫堂』と、看板が達筆な字で書いてある。


 店は雛壇のように所狭しと招き猫が並べられてある、



「わぁ、凄い」



 色々な仕草、形の招き猫に目を奪われる。狭い通路の先には、一人の老婆がカウンター越しに座っていた。



「いらっしゃい」



 腰が猫のように曲がり、顔をこちらに向けている、少し不気味な感じもするお婆さんだ。



「あの……この招き猫は売り物ですか?」


「……いいえ、これは私のコレクションじゃ、うちは貸し付け専門じゃよ」



 老婆がカウンターの下から取り出したのは、招き猫の手だけを棒に着けた三十センチ程の物だった。



「これは?」


「招き猫の手。心が亡くなると書いて、忙しい。お前さんは今、心が亡くなっておらんかの? そんな時にこの招き猫の手で、幸せを招くのじゃよ」



 心の中を見透かされたようで、酔いが覚めてくる。老婆は棒の柄を持って手首をひねりながら、手招きするようにする。



「招くってそんな、幸せなんて招いてくるものじゃないでしょ? 本当に来るのなら頂きたいわ」


「どうかの? 信じなければそれでよし、信じるのであれば、一週間、十万円でお貸ししますが?」


「じ、十万!?」


「皆喜んで払っておるぞ、幸せがくるのじゃ、安いものじゃろ?」


「――――分かったわ、じゃあ後払いでどう? 効果があればお支払いする、なければ払わない」


「ふっ、よろしかろう。持っていきなされ」



 老婆は笑うと、招き猫の手を私に差し出した。思った以上に軽くて、紙粘土で作ったようだった。



「こんなもので、本当なの?」


「やれば分かるものじゃよ、念じながら招くだけ。ただ、返済は守るのじゃよ、でないと永遠に幸せを感じられなくなるから」


「はいはいはい、分かりましたよ」



 私は半信半疑のまま、家のドアを開ける。独り暮らし用のワンルーム、私は早速例の手を持って招いてみた。



 新しくイケメンの彼氏ができますように――――



 「んなわけないか」と、招き猫の手を放り投げて、ベッドに寝転んだ。

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