鰐と少女

@Mock_Turtle15

第1夜

「アリサちゃん、ちょっと昔の話をしてもいいかしら」

そう言って話し始めたのは、寝たきりで認知症も患っている私の祖母だった。普段は私がお見舞いに行っても全く喋らないか、不機嫌なことが多いが、今日は調子が良いようだ。

「いいよ。お話聞かせて」

小さな頃、こんな風に昔話をよく聞くことがあったなと思い出しながら、私は祖母の病床の枕元に椅子を置いて、話を聞くことにした。


✳︎


旧帝国のとある貴族の家には、サーニャという一人娘がいた。

彼女の父親は、仕事で屋敷を留守にすることが多く、彼女は使用人と数人と留守番をすることが多かった。

彼女にとっての日々は退屈そのものだった。

朝食を済ませたら、昼まで使用人と勉強。それが終わっても、革命派の運動が活発になっていたこともあり、物騒だからと屋敷の外には出してもらえなかった。


そんな彼女にも唯一の楽しみがあった。

それは、夜中にこっそりと屋敷を抜け出し、月の明かりを頼りに大きな屋敷の庭を散歩することだった。古い屋敷のため、夜は明かりも少なく、庭の植木や大きな池、厳しげな先祖の像まで、全てが薄暗く月明かりに照らされてぼんやりとしていた。


その日も、彼女は使用人が寝静まったの確認し、一人で庭へと出ていった。

大きな扉を開けて庭へ出ると、冷たい空気が肺に入ってくる。コートを羽織っていても少し肌寒い。

彼女の散歩のルートは、ほとんど固定化されていた。

まず、幾何学的な模様に整えられた植木を観察する。小さな頃は、複雑な模様に感心していたものだが、何度も見ている少女は飽きていた。

次に、庭のあちこちに配置されている先祖の像や、女神や生き物の像を探す。少し前までは、これが彼女の一番好きな遊びだった。しかし、宝探しは探している時が一番楽しいもので、全て見つけてしまった今となっては、全く面白くない。

最後に、屋敷の庭で一番大きな池を眺める。この池が彼女の最近の一番のお気に入りだった。月や夜空の星を写した池を眺めていると、夜空がそのまま足元にあるようで美しい。


その日、彼女はいつもより長い間池を眺めていた。丸い月がちょうど夜空の真ん中あたりに来て、そろそろ眠気が差してきたから屋敷に戻ろうと思っていた時、池の水面に、何やら黒々としていて、且つゴツゴツしたものが浮かんでいることに彼女は気づいた。

「あれは何かしら」

それは徐々にこちらに流れてきていたから、彼女はもう少しその場に留まることにした。


やがてゴツゴツしたものは少女のいる岸にたどり着いた。

そして少女はそれが生き物の頭であることをその時初めて知った。

岸に上がってきたそれは、長い尻尾と、丸い猫のような目と、大きな口を持った生き物だった。彼女は本を沢山読んでいた為、その生き物が何なのかをすぐに理解することができた。

鰐だ。

声も上げられず逃げようとするが、足が思うように動かない。

もう駄目だ。食べられてしまう。

鰐は大きな口を開いた。

そして、


「今晩は。お嬢さん、いい夜ですね」


紳士的な挨拶をした。

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