長い、永い、君への
鈴宮縁
長い、永い、君への
ぐう、とおなかがなった。
時計を見れば、針は12を指している。
仕事に集中していたもので、朝から何も食べず、飲まず、またパソコンとのにらめっこを続けてしまっていた。
「いけない……」
僕は、きっとリビングで不機嫌そうに僕を待っているであろう居候の存在を思い出した。
おそるおそるドアを開ければ、何かが勢いよく、僕の顔目掛けて飛んできた。反射神経のにぶい僕がよけることなどできるはずもなく、顔に痛みが走った。
「飯っ!」
そう言って不機嫌そうに自分の定位置であるソファへと戻る猫……いや、"猫目ちゃん"はうちの居候である"化け猫"だ。
彼女と出会ったのは1年前、道でぐったりとした猫を保護したときだった。ひどく弱って見えたその猫は幼い頃に家で飼っていた猫にそっくりだった。
あとからその猫本人である猫目ちゃんに聞けば、誰かに拾われようと、通りすがった人が1番「保護したい」と思う猫の姿に見えるようにしていたという。そう、僕は彼女の術中に見事に嵌まったのだ。
そうして、彼女は僕の家で居候として生活しているわけだけれど。
キャットフードを用意すれば、猫の姿になった彼女が満足げに近づいてくる。
「遅くなってごめんね」
「いいぞ、私は寛容だからな」
猫目ちゃんは猫の姿でえらそうに言って、キャットフードを口にした。食事をする猫目ちゃんを見ていると、また自分のお腹が鳴る音を聞いた。レンジでチンするご飯とインスタントの味噌汁を用意する。
「またそれか」
いつの間にやらテーブルの上に乗っていた彼女は、僕の夕食を眺めてあきれたように言う。
「うん、安定しておいしいよ」
自炊はずいぶんとしていない。気づけば仕事に没頭しているし、仕方がないこととしている。
「そんなに仕事とやらが大事か。自分の飯だけでなく私のことも疎かにするほど」
「そりゃあ……生活のためだし、それに楽しいから」
不機嫌そうな猫目ちゃんはふん、とさっさと自分の食事へと戻っていってしまった。
『4/25(月)
今日は朝から仕事にかかりきりだった。ほんとうはもう26日になっている。
僕が一日なにも食べていないのと同様に、どうやら猫目ちゃんもなにも食べていないようだった。彼女は猫は猫でも化け猫だ。人の姿になれることだって僕は知っている。人の姿になって、自分で用意することだってできるのに、彼女は毎度毎度僕が用意するのを待っている。その意図はよくわからないけれど、そこはまあかわいらしい部分なのではないだろうかと思っている。ともかく、忘れないようにしなくちゃならない。僕は一人ではなく、彼女のご飯を用意する使命があるということを。』
日記を書き終える。ふう、と息をつき、引き出しへとしまう。そして、その引き出しについた鍵を閉めた。
「おい」
僕の部屋に入ってきた猫目ちゃんは、一瞬人間に見えた。が、次の瞬間僕の目の前にいたのはいつも通り、猫の姿をした猫目ちゃんだった。
「どうしたの」
「そろそろ私に隠れてそれを書くのをやめないか」
猫目ちゃんの視線は、鍵のかかった引き出しへと注がれていた。僕はなんとなく、彼女に日記を見られるのが恥ずかしくて、ずっと隠している。猫目ちゃんはそれがかなり不満らしく、ことあるごとにそう言ってくる。
「明日はちゃんとご飯忘れないから勘弁してよ」
「すぐそうやって」
「猫目ちゃんの人生は僕より長いって言ってたでしょ。僕の死後にもまだ興味があったら、暇つぶしにでも使っていいから」
猫目ちゃんは、少し不満げに承知する。それが、僕には愉快で仕方がなかった。いつも余裕ぶって、気ままに生きる彼女が、唯一僕の言うことを聞くのはこのことだけだった。
日記は、僕が死ぬまでお預けだ。だから、それまでは、ゆっくりと僕の本心じゃなくて、君が感じる僕だけを感じていて欲しい。
長い、永い、君への 鈴宮縁 @suzumiya__yukari
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