黒色

Onfreound

黒色

 深夜、3時00分。電灯は付いたままのはずだが、視界が急に暗くなる。

「こんばんは、センパイ」

「...どうも、オーリヤさん」

 頭に彼女の声が聞こえ、こちらも挨拶を返す。

「センパイは不思議な人ですね。学校もあるでしょうに、毎日こんな時間まで起きてるなんて」

「それはオーリヤさんもだよね。別に僕のことなんて気にしなくていいんだけど」

 家族は皆眠っており、誰かが部屋にいる気配はない。

 僕たちは頭の中で会話をしている。相手の顔は分からないが、間違いなく僕は彼女と会話している。

「昨日はどうでした?センパイ、流石に誰かと友達になれました?」

「出来てないよ。そういうオーリヤさんも、新しい絵を描いてないでしょ」

「正解です。いやぁ、難しいものですね」

 軽い笑い声。それが収まると、今度は少し寂しそうな声がする。

「センパイ、そろそろ時間ですね」

「そうだね、1分じゃ何も話せないよね」

「...それじゃ、おやすみ、センパイ」

「うん、またね」

 自然と目が開く。時刻は3時1分。いつも通りに、彼女の声は聞こえなくなった。


 2週間前。多分、春休みだったと思う。夜更けまでゲームで遊んでいると、突然瞼が落ちた。

「君、嘘をついているね」

 誰かの声に慌て、首を振る。

 とにかく声の主を見ようと必死になるが、目の前には何も映らない。発した方向を探そうとしても、頭の中に直接響いた感覚しか分からない。

 そんな僕を気にかけず、誰かは話を続ける。

「誤魔化さなくていい、知っているんだ。自分は君のような、嘘つきを探していたんだからね」

「......」

「嘘つきは辛いだろう。君たちの思いは理解されないし、責められる。君たちは嘘がバレることの恐怖感と、嘘に文句を言う人々への怒りと、嘘をつくことの罪悪感を抱え続けなければならない。逃げ出そうとしても、気づいたときには真実を言うことが怖くなって、どうしようもなくなっている」

「......」

「結局、嘘の君も本当の君も受け入れられなくなる。どこかで妥協したり、時間稼ぎしたりして流しはするが、いつまで経っても嘘をつき続けてしまう。君たちは、そういう奴なんだ」

「......」

「大丈夫だ。そんな君たちに手を差し伸べるのが、自分の役目だからな」

「...は?」

 少し、怒気の籠った返事をする。当然、誰かが気にする様子はない。

「君のような嘘つきには、認めてくれる人が必要なんだろう。だから、つくってやる。君と同じ、嘘つきと話す時間を。互いの気持ちが分かっていれば、嘘をつく必要もないし、辛い思いをしなくて済むじゃないか」

 きっと、したり顔で話しているのだろう、誰か。僕は、こいつが嘘つきではないことが分かった。


 3時ちょうどから、1分間。夜半と早朝の境目にだけ、嘘つきと会話出来るらしい。時間になると自然に目が閉じて、本当に、女の子の声が聞こえてきた。

「えっと...あの、初めまして?」

「え、あ、うん。どうも」

 最初は、こんな僅かな関わりに、時間を使う気はなかった。大体自己紹介する余裕すらないのに、何を言えばいいのか。姿も見えず、表情から察することも出来ない。悪戦苦闘する間もなく、すぐに会話は途切らされる。

 3日続けた後、もう止めようと決めた。それを伝えるために、もう1度だけ話すことにした。

「私...ね、その、絵を描いて売ってるって、皆んなに言ってるんです。でも、それは嘘。今は描いてないんです」

「今?昔は売ってたってこと?」

「昔は、昔はそうです。でも、今は出来てないんです。それが、私の嘘」

 オーリヤと名乗る少女は、そう言った。

 確かに、僕たちは嘘つきだった。ここで会話をしている理由は、互いに何らかの嘘があるからだった。

 彼女が話してくれたのなら、僕も話すべきだと思った。しかし、時間は1分しかない。

「ごめん。僕の嘘も話そうと思うんだけど...時間がないから、明日でいい?」

「え?...もちろんですよ。また明日、お話しましょう」

 僕は嘘を言いたがっていたのだろうか。気づけば、約束をしていた。楽しくないはずの会話を、まだ続けようとした。

 この時、初めて、1分を待つのが嫌じゃなくなった。


「どちらが嘘を本当に出来るか、競争しましょう」

「え、本気?」

 僕の嘘の後、彼女はとんでもない提案をしてきた。

「会話する時間はないんですから、これからは成果を報告しあいしょう」

「え、ちょっと...」

 僕の言葉が届く前に、会話は打ち切られる。

「......」

 何も言えず、天井を見上げる。3時1分を示す時計が映ると、そのまま目を奪われる。

 名前はオーリヤで、15歳。画家のようなことをしていると、誰かに嘘をついている。どこに住んでいるかは分からないが、日本語話者である。

 まぁ、魅力がないかと言われれば、あるかもしれない。でも、もし僕がそういう人を見かけたとして、絡みに行くだろうか。正直、そんなことはあり得ないと思う。

 僕が彼女と会話する理由は、きっと、約束があるからだろう。けれども、約束は本来存在していたのではなくて、2人で勝手に決めたものだ。

 僕は、そんなものに囚われているのか?それとも、彼女に興味があるからなのか?

 ただただ、自分が人と話したいからか?だとしたら、あまりにも非効率な方法を選んでいることになる。

 分からない。分からないが、おそらく明日も行くのだろう。そうぼんやりと考えながら、僕は再び目を閉じる。


「センパイって、どうしてあんな嘘ついたんですか?」

「...うーん」

 ある日、いつも通り報告をすると思っていたら、唐突に質問を受ける。

「まぁ、心配をかけたくないからかな?入院した祖母がよく聞いてくるんだけど、さすがにぼっちだとは言えないんだよね」

「なるほど...理由は私に近いですけど、違いますね」

「え、違うって何?」

「私と違うってことです。それじゃあまた明日!」

「あ、うん。またね」

 翌日、挨拶もないまま、彼女は語り始める。

「私の嘘は自分のためなんですよ。昔から絵が好きだったし、そもそも私の家族は皆絵描きだから、自分も描いてるって言っとかないと恥ずかしいんですよね」

「あー、それを言われちゃうとそうだなぁ。人のためとかいうのは建前で、自分の立場を守りたいのが本音なんだよね」

「そうなんですよ、あ、そうだ。明日はセンパイの家族についても教えてくださいよ」

「僕の?面白くないだろうけどなぁ、また明日ね」

「はい、また明日」

 翌日、目が閉じるとすぐに話し出す。

「僕は田舎暮らしで、近くに住んでた祖父母は農家だったんだ。両親は隣町の会社に通勤してる。姉が1人いるけど、仲悪くてほとんど話してないよ」

「へぇ、センパイって弟だったんですね。いいなぁ、センパイの妹に生まれたかったです」

「よくないよ、僕は捻くれものだし、きっと迷惑をかけちゃうよ」

「いやいや、絶対楽しいですって!はーあ、もっと話してたいのになぁ」

「次はオーリヤさんから何か話してね?それじゃ、また明日」

「おやすみなさい、センパイ」


 次第に、僕たちは1分に合わせたコミュニケーションをとるようになっていた。前置きは飛ばし、あらかじめ考えていた要点をさっと伝える形をとった。どれぐらいで1分間経つか分かるようになり、最後に「また明日」と言うのが習慣になった。

 会話としては歪なものだった。それでも、僕にとっては楽しいものだった。

 だから、僕は嘘つきなのだった。


「センパイ、もう2ヶ月ですよ。私たちが話し始めてから」

「そっか、もうそんなに過ぎたんだ」

 その日の会話も唐突だった。

 言葉自体はただの雑談に聞こえるが、何らかの意味があるのではないかと想像してしまう。

「センパイ、ごめんなさい。私嘘ついてました」

「え?それは知ってるけど...」

「違います。あれも嘘なんです。私、昔から絵なんて描いてないんです」

 今までよりも早口で、嘘つきは話す。思い切って話す様子に、一瞬たじろぐ。

 同時に、強烈な恐怖感と罪悪感に襲われる。とにかく苦しくて、早く逃げ出したくなる。それでもなお、彼女を見ようとしてしまう。

 すると、真っ暗なはずの視界に、1人の少女が現れる。

 東欧系の人に見える。髪は長く、薄い金色をしている。体は細く、整った顔立ちだ。しかし、彼女は目をつぶっており、僕が見えている様子はない。

「家族は皆んな絵描きです。それどころか、私の村の人達は全員芸術に関する仕事をしています。だから他の人達は、私もそういうことをしているって思っているんです」

「あぁ、なるほど...」

「でも、私絵に興味ないんですよ。好きとか嫌いとか、そういう次元じゃない。親には一応絵のことを教えられましたけど、私は描こうとしなかったですし、描かされることもありませんでした。しかも、他に芸術っぽいことをしていたわけでもないんです」

「......」

「私って、何にも取り柄はないんです。だけど、私の周りを知ってる人は、きっとこの娘もそういう人なんだろうと思うんでしょうね。だから、嘘をついちゃうんです。何もない私でも、嘘をつくだけで、素敵な人だと見なされますから」

 そこまで言うと、彼女は一息付く。その瞬間、彼女の姿は消え、急に目の前が明るくなる。


 深夜、3時5分。時計はいつもと違う時刻を示していた。

 窓を見る。未だに外は暗闇で、先は何も見えない。

「明日も、部屋から出れないな」

 一言呟く。そして電気を消す。

 僕には彼女も、自分さえも見えていない。真夜中の晦冥の中、スマートフォンが滑り落ちる。

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