心壊星霜のアムネジア

わと

 どこからか罵声が聞こえる。

 馬鹿だとクソだとかそんな初歩的なものから始まり品のないものや理不尽極まりないものへとそれは種類を増やしていく。いわれのない、心当たりなど一切ない雑音だ。

 その罵声は怒声へと変わり、今度は暴力へと変わっていく。

 髪を引っ張られた。頬を叩かれた。煙草を押し付けられた。痛みに泣き叫べばまた怒声と暴力が飛んでくる。その負のループから抜け出すには逃げる気力も体力も、耐えることすら出来ない。いずれこの一過性の嵐のような災害は通り過ぎると信じて小さくなってやり過ごすしかない。そのやり過ごすための小さくなることすらままならない。

 誰かに助けを求めれば変わるのだろうか。この悲鳴に誰かが気付いてくれるのだろうか。声を上げれば暴力の雨が降るならどう助けを求めればいいのだろう。

 思考が悪い方向にしか転がっていかない。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 神よりも理不尽な災害にこんなことを言って見逃してくれるはずがない。それでも口にせねば精神がついぞ砕けてしまいそうで、何度も繰り返し、繰り返し繰り返し――――。


――ずぷん!


「ひゃあ――――!」

 情けない声を上げて視界は一瞬で現実を捉える。また寝てしまったらしい。今度の夢も、ほとほと嫌なものだった。

 ここ最近――否、この世界から人が消えてからずっとこうだ。いつの間にか寝落ちては悪夢を見てこうやって起こされる。

「は……」

 そうして耳から入り込んだ長い触手に脳を撫で回され悪夢の残滓が消えてからその日が始まる。

「テテ、……っ、もう大丈夫だから……!」

 テテと呼ばれた軟体は頭の上に張り付くように乗っかって男の静止もお構い無しに頭の中を撫で回す。何度も行われた行為でありながら慣れるということは無い。代わりにどんどん与えられる快楽が、文字通り脳を食まれているような感覚が強くなっていく。違和感があったはずなのに今は気持ちいいということしか考えられなくなっている。

 悪い夢の残滓が消えていくのもこれのお陰なのだろう。代償は全身の疼き。それ以外のことが考えられなくなること。

 不意にずるりと耳から腕が抜けていく。テテに言葉が通じてるとは思えない以上腕なのかは分からないが男――桐葉宏明はこの脳の愛撫などに使われる細い触手を腕と呼んでいる。

「テテ……」

 ぼんやりしたままの頭でテテの触手の一本を口に迎え入れる。唾液を乗せた舌で触れ、歯をたてぬように招き入れ、上顎を撫ぜる感覚にゾワゾワと背筋をわななかせながら喉奥へと躊躇なく呑み込んでいった。

「う゛ぅ……」

 えずいても喉の奥で扱き落としていくように食道へと進めていく。それを息苦しさを感じながらも桐葉はうっとりと目を細め享受する。食道を抉られ犯される感覚。息ができず苦しいはずなのに苦痛の感覚が飛んでしまったように人が消えてから殆ど感じていない。

 喉奥に入り込んだ触手が波打ち、刹那喉の奥へ熱く粘つく液体がべっとりと放たれた。

「はぁ……っ」

 痛みや苦しみを感じないのはテテのこの液体のお陰なのではないか――と少なくとも桐葉は思っている。鎮痛作用があるのか、それとも苦痛が快感に置き換えられてしまうのか、はたまた。

 ここに迷い込んだすぐの頃はこんな喉の奥ではなく先端を口に含んで苦味やえぐ味を感じながら飲み干したはずなのだ。それが今や。

「テテ……」

 体温が上がっていく。中が疼いて仕方が無い。

「なか、ほしい……っ」

 足を投げ出して頭を垂らす性器も無視して指が宛てがわれたのは、会陰も通り過ぎた後ろの赤くぱっくりと媚肉を晒す肛門。はくはくと開閉を僅かに繰り返す様は淫蕩と言えよう。

 ぬるりと湿り気を纏う腕がそこに宛てがわれるだけで期待に喉がなる。視線がそれに釘付けになって潤んだ目がそこから逸らせず、焦らすように見せつけるように、或いは慣らすように赤い肉をこじ開けてほんの少し入ってたり出ていくのを期待に半開きの口から唾液を垂らしながら見守る。

「はー……ッ、はー……――――ングぅっ!?」

 そしてご褒美と言わんばかりにねっとりと焦らされていた先端が一気に奥まで突き入れられた。前立腺を抉り直腸の最奥、人との性交渉の限界。波打ち桐葉の好きな場所を重点的にぬちぬちと刺激しながらそれでもなお先端を奥へ奥へと進ませようとする。

「あ゛ぅ――――…………」

 脳を舐め回されるのだって包まれながら安堵の末に死んでしまいそうな気持ちよさが直に伝えられる。だけどこれはまた違う気持ちよさを暴力的に叩き込まれて、身体が電撃を浴びたように言うことを聞かずに跳ねて弓なりにしなることで突き上げるようになった腰と胸に腕が絡みつき緩く拘束され乳首を責め立てられれば他のことなど頭から一切抜け落ちて快楽の虜になってしまう。

 投げ出された視線は脳に世界を伝えるがそれが処理されることは無く、緩みきった涙腺から生理的な涙が溢れてくる。それどころか機能しない視界に次を予測出来ない脳はテテの動きに翻弄され僅かな恐怖心すら快感として身体に伝えてくる。桐葉で無ければ負のループだったのだろう。

 喉仏を撫で、鎖骨、胸、乳首へと下がってきた蛸脚の様な触手が乳輪を撫で吸盤の一つが乳頭に吸い付き、それだけでピリピリと緩い電流のような快感が走る。もう片方の飾りは指のようなものが蠢くもので、桐葉の目に止まれば初めて見るやつだねなどと言っただろう。その異形特有のグロテスクさは他人の正気を害するにはうってつけのものだ。

 蛸脚の片割れはさらに下へと伸び、臍付近の広範囲をぐにぐにとマッサージする様に押していた。よく孕め、よく感じろ、ここに出すからな。そういった圧を感じるが、言語伝達どころか意思があるのかも怪しいテテにそういった意味合いがあるのかは謎だ。ただ桐葉は中をこじ開けられながらこれをされると狂った様に悦ぶのは確かだった。

「……らぃ、……ぉーう…………」

 零れた舌にとられながらも文字通りの舌っ足らずに桐葉は大丈夫と伝えた。自分にでは無い、テテにだ。

「もぉ、いーよぉ……。ぉいれぇ……」

 伸ばされた桐葉の腕に絡めるように我先にと何本もの腕が降りてきて絡められる。さながら恋人同士のそれ。方や四十後半のおじさん、方や異形の化け物。甘いピンクとはかけ離れたものではあるが少なくとも桐葉の頭の中はピンク一色だろう。

「は……」

 世界が変わってから毎日のように育てられた――といっても女性のような柔らかさも丸みも無いが――乳を持ち上げるように揉みしだかれるのが気持ちいいのか、目を細めてふにゃりと笑む。

「ぁ゛ッあ゛ッあ゛ぁ゛――――ッ!」

 ぬぽぬぽと深い所を責め立てるようにピストンされながら腹を揉みこまれただけで視界が点滅してこぷこぷと下を向いたままの男性器から透明な液体が零れる。それを目敏く見つけたのか、テテの触手の中でも口のように内側に空洞のあるものが桐葉の性器にかぶりついた。

「タマのなか……っ、ぜんぶあえ゛るからッ、まっ、まッへぇ……っ!」

 じゅるじゅると尿道に残った液体を吸い上げる触手に悲鳴を上げながら泣きじゃくる。怖いからではなく、まともに勃起するのにも時間のかかるようになってしまったとはいえ性器に搾り取るような強すぎる快感を与えられているのだ。真っ当に理性など保てるはずがない。

「おぐ……ッ!それ、それらめェ゛ッ!」

 ごつごつと最奥を外からも中からもノックされて顔を真っ赤にして舌を突き出す。ここにある。ここを犯されている。それはへその下辺りでここをぶち破ってその更に奥へ進もうとしている。その征服される恐怖とも異なる感覚がたまらない。それすら桐葉を追い詰める要因にしかならない。

 逃がせない逃れられない快感に腰を浮かせ、そしてピストンは重いような音を脳内に響かせて終わった。

「あ゛ァ――――………………」

 頭の中が、全身がずっと気持ちよくてそれが止まらない。それ以外の感覚や思考の一切が最初から存在しなかったかのように機能せず全身を放り跳ねさせ溜息にも似た喘ぎを垂れ流すしかない。

 音は桐葉の直腸をぶち抜いてテテの腕が結腸に辿り着いた音だった。

 喉の奥から零れるような汚い音を零しながらついぞ動くことすら叶わなくなった体躯を揺さぶられ続ける。いっそ安定しているようにさえ見えるほどの静けさ。その実桐葉の頭は何ひとつとして思考など回っていない。気持ちいいがグルグル回るだけ。

 執拗に最奥を犯して満足したのか、胎の中でごぷりと人間の射精とは比べ物にならない量と粘度の白濁が吐き出される。その僅かな衝撃か、はたまた吐き出された精液のような何かの熱さにか、身体が一際大きく跳ね――桐葉の意識は遂に落ちた。彼が目を覚まして僅か一時間程度のことである。

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