比翼の鳥が如し

瑠璃茉莉 すず

~玄兎ノ章~

第零話 龍神に囲まれた聖地


 ——ひとりの女が、行灯の灯り一つしかない薄暗い座敷の中で、膝に乗せた小さな頭を優しく撫でながら、まるで寝物語でも聞かせるように語り出す。


 この物語を始める為の、序章ハジマリの物語を。




『この世は龍神の加護により安泰なり。我等“四君主”の結束をもって、世を治める』



 太古の昔、囲うように流れる水源に守られた聖なる地には人々を畏怖させる水の暴君と揶揄される龍神がいた。龍神は度々水害をもたらし、季節関係なく降らせた長雨によって作物が育たず餓死者が増え、謎の疫病を蔓延させたという。しかしそれほど人から恐れられる存在であっても、龍神なくしてこの地に水の恩恵はなく、人々は龍神を丁重に祀り、怯えながら暮らしていたという。

 しかし、ある時水源の外からやって来た双子の姉弟きょうだいの力によって龍神の力は鎮められ、龍神を眠らせた湖を中心に忽ちの内に水源を我が物としたのだ。人々は災いから救ってくれた双子を崇め、双子と共に湖を中心とした国を作り上げた。その国の名は『陰陽国いんようこく』。


 陰陽国は建国以来、“二人の王”によって統治されてきた。初代のそれぞれの名をとって『烏兎うと一族』と名乗った王家には代々、男女の双子が必ず生まれ、それぞれが別の役目を担う“王”となった。

 ひとつ、その双子の男児は国のまつりごとを行い、国をまとめる王『兎君ときみ』となるべし。

 ひとつ、その双子の女児は龍神の眠りを守り、国の祭事を取り仕切る王『烏師うし』となるべし。

 ひとつ、上記以外の例外は決して許されず、血を繋ぐお役目である『兎君ときみ』は、双子の男女が生まれるまで、その玉座を下りるべからず。


 原則の掟に従うように、不思議と歴代『兎君』には必ずといって双子の男女が生まれ、国は建国から十七代にわたって繁栄し続けた。だが、その掟は第十七代目の御世に密かに破られていた。

 十七代兎君『朔夜サクヤ』、十七代烏師『赫夜カグヤ』の両名は誕生した際、であることを隠され、十五年間家臣と国民を騙してきたのだ。その大罪を暴いたのは、陰陽国に仕える四方の領主たち。初代の烏師より四方に残された封印の“柱”の守護を任されていた領主たちは、近年の“封印の綻び”や“謎の疫病”などのすべての災いが、烏兎一族による掟破りが原因だと突き止めると、陰陽国に向かって挙兵した。まだ元服したばかりの十五歳の双子に成す術はなく、兎君—朔夜は東の領主の手により斬首。烏師―赫夜は抵抗し、その際に自分の国の民たちを一人残らず惨殺すると、その姿を消した。その後、決して姿を現さなくなった赫夜を領主たちは野垂れ死にした、と人々に告げた。だがその言葉の真偽はそれから十年後も不明であることから、赫夜はまだどこかで生き延びて復讐の機会を虎視眈々と狙っているのではないか、と民たちの間ではまことしかやに囁かれて続けていた。


 古くからの陰陽国の歴史に幕を閉じた四人の領主たちは、次は誰が“王”になるかで一時揉めた。しかし平穏を望む北の領主の提案により、中心の湖は中立の場所と定め、領主たちは今まで通り各々の領地のみを治めることを長い会議の結果、正式に決定した。


 そして上記の宣言をもって、龍神の地には『四君主よんくんしゅ体制』が敷かれて新たに『四方暦しほうれき』となってから、約十年後のこと。


 一つの噂が、一部の民の心を苦しめていた。


『——かの残虐的な烏師、赫夜カグヤと同じは、世に災いをもたらす忌み子である』


 と、まことしやかに囁かれているのだった。



 ❖ ❖



 十年前 双星暦そうせいれき七百六年(1060年) 七夜月ななよのつき(七月)

 陰陽国いんようこく 本殿『青朗殿せいろうでん



 双子が治める皇宮の外は既に炎に包まれ、二人を討つべく大勢の兵たちを率いて四人の領主たちが刻一刻と近づいてきていることが感じられた。双子が見知った顔の者も、そうでない者も、皆双子を置き去りにして我先に皇宮から逃げるために普段は静かな簀子を騒がしく走り回っている。その騒音に混ざって双子の名を必死に叫んでその姿を捜す女性の姿や青年の姿もあったが、今の二人にその声が届くことはない。


 皇宮内を慌ただしく行き来する人々の足音も遠く、二人っきりの時間だけが兎君の寝所で密かに流れていた。そこだけは物静かで、まるで世界から切り取られているような、そんな感覚にさえ陥る。常日頃であれば誰にも邪魔されない二人っきりの空間を喜ぶ烏師だが、今だけは逆に誰かこの空間に飛び込んでくることを密かに願っていた。この静寂を破り、誰かが、と。


 黒髪の兎君は袖口から伸ばしたを辿り自身の寝台である帳台ちょうだいに身を乗り上げると、そこで赤い絲に腕を縛られ身動きの取れない白髪の烏師の上に圧し掛かった。烏師は愛らしい見た目とは裏腹に低い声で、外せ、と兎君に命じるが、兎君はそれを聞き入れることなく身を乗り出すと、静かにその唇に口付けした。突然降ってきた口付けに戸惑い見開かれた真紅の瞳は、一度たりとも逸らされることない空色の瞳と見つめ合った。お互いまだ成長途中の柔らかい唇を暫しの間重ね合わせると名残惜しそうに軽く吸ってから、兎君はゆっくりと離れてこの状況に混乱する烏師に、一言告げた。


「…この想い、帰りましたら必ずや、兄様にいさまに告げます」

「ですからどうか、待っていてください。いつまでも、いつまでも」


 そして離れていった兎君の背中を必死に制止する声を振り切り、兎君——朔夜サクヤはその場を去った。



 その後、双子は再び生きて相見えることはなく、その想いだけが人知れず残った。

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