渋谷イベント発生
「ボスに魅せられて?まあ、死にたかったは死にたかったんですけど、何なんでしょうね。死ねてないですよね?これ」
僕がこっち側、つまり悪魔側に就職したのは、そこにボスという魅力的な悪魔がいたからだ。それしかない、それしか思いつかなかった。
「あぁ、死ねてはないな。でも、生きてもないから、あながち間違ってもないかもな」
ルゼさんは哲学的な糖分過多で頭がぼんやりとしているような明白としない意見を口にした。
「何なんですか、それ。わかんないですよ」
塩胡椒の効いたサンドイッチだけの僕は、そうやって突き刺すように聞いて、我ながら悪魔向きだと思った。
「─────っ、人間みたい。とにかく、お前がやりたいようにやればいいし、なりたいようになればいい。ボスはかなーりいい悪魔だから、何でも許してくれるぜ?」
僕に聞こえないように言った、何かを隠すように貼り付けた笑顔がとても胡散臭い。それに、その「かなーりいい」ってどの方面の「いい」なのだかが定かではない。けれども、僕の解釈ではボスは「かなーり」性格が「いい」悪魔だから、ここで矛盾が生じている。
「ボスって、本当に悪魔なんですか?」
「は?あんなん悪魔に決まってんだろ」
上がった血糖値が一気に下がったように、さきほどの笑顔が消え失せて、口角が下がる。悪魔に悪魔って言われるほどの生粋の悪魔、がボス。それが全くと言っていいほど想像つかなくて、乾いた笑みで誤魔化しつつも、気になってしょうがない。
「ルゼさん、何かされたんですか?」
「何かされたも何も、俺の大切なもんを真っ二つに裂かれたね」
そう言いながら、パンケーキを半分に切って、フルーツやアイスをそれに乗せて、やけ食いなのか口の中いっぱいに詰め込んで食べている。
「え?」
「ボス、聞いてますか?俺は貴方のことが好きですけど、貴方のこのやり方はあまり好きじゃないです。あっ、でも、この飯代を経費で落としてくれるんなら、俺はリアに特等席をご用意いたしますよ?」
目の前には僕しかいないのに、ルゼさんは僕に話しかけていない。パンケーキをナイフで切り終わっても、そのまま皿の上で何回か切っている。まるでオーバーキルするかように。皿が傷付く。けれども、その目には何も写っていないみたいで、虚構だけを見つめている。
ピコン、と僕のスマホが鳴った。
「ルゼさん、ボスからメールが来ました。伝えるのをすっかり忘れていたけれど、今日の食事代は経費で落としてあげるから、美味しいものをたくさん食べてきてね。ですって」
それと、ルゼとは仲良くするように。ちゃんと言うことを聞くんだよ?リア、渋谷観光を存分に楽しんできてね。と書かれていた。先程のルゼさんの言葉を聞いていたのか、タイミングを図ったように、メールが僕に届いた。
「承知した、何食いたい?」
そう僕に問いかけるルゼさんはこれだけ食べたのにまだ何かを食べたそうにしている。僕はもう何も口にはしたくない。それを考えるのも僕には拷問だった。
あっという間にテーブルいっぱいのスイーツがなくなった。きっと、いや、絶対にこの人の胃袋はブラックホールだ。そして、会計で二万円もするのも驚きだ。
「すごく美味しかったですね」
なんて本当のような嘘を吐きながらビルから出ると、呑気に伸びをしながら「何処行っか?」とルゼさんは無闇に歩き出す。青の信号機に照らされた歩く人を一瞥する。靴裏が汚れないように白いところをリズミカルに踏んでいると、突如、白も黒も青も全部赤くなった。信号無視した車がスクランブル交差点を猛スピードで突っ切ったのだ。たくさんの人が撥ねられ、車が赤く染まっている。いや、視界の全てが赤い。Uターンしてもういちど、交差点を僕の目と鼻の先を勢いよく突っ切ると、車は建物に突っ込んで停車した。
刹那、夢のような瞬間に、認識できたのは、タイヤと道路に挟まれた肉片が、こちらに向かって、まるで飛び出してくる映画のように、血飛沫を浴びせてきた。生温くて血生臭くて、夏の猛暑下に晒されたペットボトルに入った、三日以上は確実に放置されている腐ったジュースを頭からぶっかけられた気分だ。まず思ったのは、せっかく風呂まで入ってきたのに、ってこと。
ここで起こったことがとても非道でおぞましいことだと直感的には感じていた。だが、驚愕と恐怖とむしゃくしゃで言葉も出なかった。というか、なんて言えばいいかわからなかった。足も動かなかった。交差点でたくさんの人が倒れている。異様な光景だ。でも口を噤んでいても、苦虫のままから唾液と纏めて、ペッと吐いた。
「あー、あぁ、最悪。洋服代って経費で落ちますかね?」
「ククッ、クッ、落ちんじゃね?」
クスッと人の不幸を笑うのは悪魔。世間体を気にして笑いをこらえて、破顔を大きな手で覆う。その指の隙間から見える白い歯が、きらりと光って、あ?腑に落ちない。僕の傍にいたのに、血飛沫ひとつ付いてない。それなら汚してやろうと、ベタついた真っ赤な手をぎこちなく差し出したが、身体がうまく動かなくて、頭の頂点から新品のペットボトルの流水が汚れに触れる。冷たいけど、気持ち良い。表面上を伝う水滴、そんなんじゃ僕の汚れは落ちないけれど。
「……あ、ありがとうございます」
「どうも。ありゃー、悪くて重症、良くて即死だな」
「そうですね」
転げて倒れる死体を鼻で笑い、事実を飲み込むように頷くルゼさんを見て、グロい赤に染められた僕は、必然のようなものを感じてしまった。なるべくしてなった。彼の隣りにいるとなおさら僕が汚れている。
周りを見渡すと、泣きわめく人、どこかに電話する人、倒れてる人の応急手当をする人、動画を撮る人、ただ見ているだけの人。実に様々だのに、僕はその誰にも当てはまっていない。
「ふふっ、これからどうしましょうか?」
「何か買って帰るか」
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