刻つ風とかける雪柳 小噺(お姫様抱っこ)

藤泉都理

陽光




【疲れただろう。まったく無茶しやがって】


(いい)


 梨響はつい今しがた中盤までさしかかった本を胸に抱いては、ごろごろごろごろと畳の上を転がりまくった。

 気が済むまで。

 気が済んだら身体を天井へ真正面に向けて本を高々と掲げ、鼻の穴を大きくして夢想した。

 自分もこの物語の主人公のように想い人をお姫様抱っこしたい、と。






「おそよう」

「梨響、こんにちは」

「梨響、おはよう」

「遅い目覚めで。よっぽど夢見が悪かったんだろうな」

「そうなんだよー。ひっどい夢を見ちゃってさー」

「嘘をつけ」


 休日の昼下がり。

 凛香、珊瑚、神路が団欒していた居間にやって来た梨響は、いつも通りの挨拶を済ませて首を傾げた。

 珊瑚が凛香をお姫様抱っこしているからだ。


「なにしてんだ?」

「テレビでね、どれくらいの時間お姫様抱っこできるかって番組が流れて、凛香がやってみたいって言ったんだけど、僕もやってみたかったから先にさせてもらってたんだ」

「珊瑚すごいんだ。もう一時間は経つ」

「へえーそれはすごい。けど。俺のめしは?」


 梨響は腹をさすりながら、珊瑚と凛香、そしてニュースが流れているテレビから時計へと視線を移した。

 途端、珊瑚が目を丸くした。


「あ、ごめんごめん。わ。もうお昼だ。急がないと」

「珊瑚。腕が疲れているだろう。俺が用意する」

「大丈夫。休日なんだから神路さんこそゆっくりしていてよ」

「じゃ、じゃあ。俺が。あの。できることをしたいと思います」


 ゆっくり下ろしてもらった凛香は小声で申し出ると、珊瑚は小さく笑ってお願いしようかなと言った。

凛香は嬉しそうにしながらも、不安も拭えない微妙な表情を浮かべながら、行こうと先へ歩く珊瑚の後を追って、隣室の台所へ向かった。


「相変わらず仲がいいなーあいつらー」

「そうだな」


 ニュースを熱心に見ている神路から少し離れたソファーに腰を下ろした梨響。絶好の機会じゃねえかなと胸をときめかせた。


(俺も試してみようかなーと言えば)


 無理だな。

 即断した。

 まず言えない。

 勇気を振り絞って言えたとして、神路に烈寒の視線を向けられておしまいだ。


「梨響。お姫様抱っこさせてくれ」

「ん、ああ。なんだおまえもうお手伝いは終わったのか?」

「うん、終わった」


(またなにかやらかしたのか。いや。目が泳いでないし、肩も落としてないところを見ると、簡単な手伝いを無事に終わらせたのか)


 梨響が早すぎないかと思いながら時計を見れば、まだ十分しか経っていなかったが深追いはしなかった。


「昼食を食べ終わって少ししてからでいいんだ。珊瑚はすることがあるからできないし。神路は疲れているだろうから」

「別にいいけど」

「気にしなくても俺にしていい」


 神路の言葉に、目を丸くした凛香は次には喜色満面になった。


「いいのか?」

「ああ」

「本当に?」

「しつこく問うなら止めるが」


 凛香は素早く口を閉じて頭を下げた。


「お願いします!」

「珊瑚が呼んでいる。行くぞ」

「ああ」

「おい。おまえが急かしたんだろう。行くぞ」


 棒立ちの梨響に眉を潜めた神路はなんの反応も示さない梨響の頬をつねった。

 梨響は静かに眉根に山を作った。


「痛いんですけどー」

「早く行くぞ」

「わかってますー」


 口を尖らせた梨響は先に歩く神路の背を見つめながら、頬にそっと手を添えたのであった。











(2022.3.23)



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