五話 二度の結婚式

 私とセルミアーネは3日後、故郷を旅立った。


 セルミアーネは叙勲の褒賞として1ヶ月の休暇を貰っていた。彼は行きは全速力で飛ばしてたったの7日で来ていたので、日程に余裕はあるとの事だったが、良く考えたら新しい生活を整えるのになるべく日数があった方が良かろうという事になり、なるべく早く帝都に行った方が良いという事で慌ただしい旅立ちになったのだ。


 私は部屋の物を荷造りしたが、私達は馬で帝都に行くので、全部は持って行けない。最低限を持って行き、残りは納税のタイミングで帝都の侯爵邸に送ってもらう事にした。


 小さな部屋の私物であるから、それ程大した量は無い。半分以上が狩猟用具だ。片付いてしまった部屋を見ると、家を出る事を嫌でも実感した。ベッドに座って部屋を見回していると、母ちゃんが部屋を覗き込んでいるのに気が付いた。


 40を超えて少し太った母ちゃんは、こげ茶色の髪に白いスカーフを巻き、ワンピースに白い前掛けをしている。もう何年も同じ様な格好だ。男爵夫人なのだが完璧に農家のおばちゃんの格好で、実際近隣の農家を毎日のように手伝っている。私が見ると、母ちゃんは遠慮がちに部屋に入って来た。


 私は立ち上がって母ちゃんに抱き着いた。どうも結婚が決まってから父ちゃん母ちゃんに甘えたくて困る。嫁入りすれば私はもう完全に大人と見做され、二度と甘える事は出来ないだろう。そう思うとつい甘えたくなる。二度と会えないかもしれない、という不安があるせいでもある。


「どうしたの?ラル」


「うん・・・」


 母ちゃんは私の頭をポンポンと叩いた。


「そんな事では良いお嫁さんに、お母さんになれませんよ。女は甘えるんじゃなくて甘えさせるようでなくては」


「父ちゃんも母ちゃんに甘えるの?」


「もちろんよ。旦那を甘えさせてこそ良い妻ってものなのよ?」


 父ちゃんが母ちゃんに抱き着いて甘えている様子を想像して私は吹き出した。私と母ちゃんは少しの間一緒に笑った。


「・・・私がいなくなっても、平気?」


 今では父ちゃん母ちゃんの仕事をかなり私が手伝っているという自負があった。父ちゃん母ちゃんには実の子供がいない。私がいなくなったらそろそろ老境に入る二人は仕事がこなせるのだろうか?


「大丈夫よ。本当はね、あなたに色々教えるために私達は仕事量を抑えていたのよ。ふふふ、私達を甘く見ないで頂戴。まだまだあなたには負けませんからね」


 そうね。この私をひっ捕まえて引っぱたいて言う事を聞かせるなんて真似、父ちゃん母ちゃんにしか出来ないわよね。何度殴られたか分からない。悪ガキでごめんなさい。そんな父ちゃん母ちゃんを私が老人扱いしてはいけないわよね。私は全身の力を抜いた。


「それより私はあなたが心配よ?ラル。帝都に行ってまで狩りばかりしていてはダメよ?ちゃんと奥さんのお仕事もする事。口より先に手が出る癖も直さなきゃダメ」


「分かってるわよ」


 私が唇を尖らせると、母ちゃんは優しく私の頭を抱いた。


「幸せにね。ラル。あなたの幸せを毎日全能神にお願いしておきますからね」


「母ちゃん・・・」


「あなたのような娘がいて私達も幸せでした。侯爵様と全能神に感謝を」


 出発前日、宴が開かれた。当初、私は父ちゃん母ちゃん私とセルミアーネだけの内輪の結婚披露宴をするつもりだったのだが、話を聞きつけた人々が領都だけでなく近隣の村からまで駆け付けて来て大騒ぎになってしまった。


 父ちゃんの家では全然足りないという事で、急遽領都の広場が会場に設定され、あれよあれよという間に酒と料理が山のように持ち寄られ、飾り付けられ、お祭りのようになってしまった。このお祭り好きどもめ。変化の少ない日常を送っている田舎の連中は、ちょっとした事を直ぐにお祭りに変えてしまう。


 ただ、今回の場合、私の子供時代からの子分たちが本気で別れを惜しんでくれて、それこそ泣きながら「最後の餞だから」と全力でお祭り騒ぎにしてくれたようだった。私の子分は100人からいるからね。凄い騒ぎになった。


 女友達も涙で別れを惜しんでくれると同時に「私達がラルの結婚式に出られ無いなんて許せない!」と叫んで婚礼衣装をどこかから調達してきて、嫌がる私を捕まえて無理やり着替えさせた。おかげで私は白に紫のラインが入った花嫁衣裳。ついでにセルミアーネも誰かから借りて来た騎士の礼服を着させられていた。セルミアーネの服はちょっとサイズが小さかったが。


 そして会場になった広場に私達が押し出されると、大歓声、悲鳴、怒号で阿鼻叫喚の大変な事態になった。みんな酒が入っているので遠慮がいつもより更に無い。おめでとうなのかこの野郎なのか、幸せになれよとなのかもう二度と帰って来るんじゃねぇぞなのか、良く分からない言葉と手足にもみくちゃにされてしまう。こら、借り物の衣装が汚れる!私はしつこい連中をぶん投げ、押しのけ、蹴り飛ばした。見るとセルミアーネも笑いながら飛び掛かって来る連中を殴り倒していた。


 大声のヤジの中で酔っ払った司祭から私達が祝福を貰うと、お祭りはヒートアップした。それからはもう滅茶苦茶である。私もセルミアーネも無茶苦茶に飲まされ、食べさせられ、歌わされ、踊らされた。子分たちはみんな泣いていて、私も終いには皆と抱き合って大泣きだ。私を攫って行くとは太い野郎だ、とセルミアーネは大勢の男共から殴り掛かられていたが綺麗に全員を返り討ちにしていた。ついでに呑み比べにも全勝して平気な顔をしていた。この人、もしかしたら酒も私より強いかも知れないわね。


 大騒ぎは夜半まで続いて、明日出発の私はセルミアーネに引っ張られて何とか抜け出した。流石の私もクタクタだったので、家に帰ってすぐ寝てしまった。本当は最後に父ちゃん母ちゃんに感謝の言葉を贈りたいな、などと思っていたのだが。


 翌朝、何とか起きて、父ちゃん母ちゃんと抱き合って別れを惜しむと、私は領都を旅立った。父ちゃんも母ちゃんも微笑んで、家の庭先でずっと手を振ってくれて、私も何回も振り返って見えなくなるまで手を振った。領都の境では二日酔いどころかまだ酔っ払ったままの連中が大声で叫びながら別れを惜しんでくれた。私は彼らにも手を振りながら、長年住み慣れた故郷に別れを告げた。


 私は結局、父ちゃん母ちゃんの生きている内にはここに帰って来れなかった。セルミアーネが約束を破ったのではない。それどころでは無くなっただけである。



 帝都まではゆっくりと行ったので10日掛かった。


 セルミアーネは「ハネムーン代わり」と言っていたわね。馬を並べてゆっくり歩きながら色んな話をした。私の話、セルミアーネの話、そしてこれからの話だ。セルミアーネは今は使っていないが母親から継いだ邸宅を帝都に所有しているので、そこが私達の新居になるとの事。帝都に付いたら私は侯爵邸に入り、一週間ぐらいしたら神殿で結婚式をやり、そして新婚生活を始める事になった。


 私が前回お披露目のために帝都に行った時には馬車で、中で半分くらい寝ていたから良く分からなかったが、草原や森や村々を抜ける変化に富んだ道中で、非常に面白かった。私は弓矢は持って来ていたので途中で少し狩りをした。私の事を良く分かっているセルミアーネは事前にここではどんな獲物が獲れるかを下調べしていて、珍しい獲物を幾つか射る事が出来た。


 これも私の事を良く分かっているセルミアーネは普通に野宿を道中に組み込んだ。普通は花嫁を野宿なんかさせまいが、私は狩りでよく野宿もしたので(あんまり何日も泊まる遠出は父ちゃんが許してくれなかったが)別に苦ではないどころか楽しんだ。勿論寝床は別ですよ。野盗に寝込みを襲われたのを二人で返り討ちにして役人に突き出したのも良い思い出だ。


 この旅は、これまで半日しか付き合いが無かったセルミアーネを理解し、関係を深めるには非常に有意義だった。協力して狩りをし、助け合って野宿の準備をする中で、私はセルミアーネの能力や性格を大体把握出来た。少なくとも婚約者を道中で無理やり手籠めにするような男では無かったし、それどころか私を要所要所では非常に大事に扱う他は敬意をもって放置してくれるという非常に私好みの扱いをしてくれる人だった。そしてやはり物凄く武勇に優れている。悔しいがこれは正面からでは勝てまい。


 そうして楽しく旅をして私は二年半ぶりの帝都にやってきたのだった。古めかしい城壁に囲まれた巨大都市。数百年の歴史と100万の人口を誇る帝国の中心。私はここを第二の故郷として死ぬまで過ごすことになる。


 私は一度帝都の侯爵邸に入った。騎乗で、しかも旅塵で汚れ放題の私を見て「花嫁の自覚があるんですか!」と出迎えてくれた侍女長が怒っていた。セルミアーネとは一旦お別れだ。一週間くらい後に帝都の外れにある小さな神殿で結婚式を挙げる事になっている。その時会おうね、とセルミアーネは名残惜し気に私の手の平にキスをして去って行った。


 お風呂に入れられ、さっぱりした私はお父様お母様の所に行った。お姉さまのお古のドレスを着てすっかりお貴族様仕様の格好で、かなり窮屈だ。しかしその私を見て「嫁に出すのは惜しい」とお父様が肩を落としていた。お母様も「もう少し良い家にもやれたのに」と残念がっていた。いや、あんまり良い家に嫁に出したりしたら侯爵家の恥になるから止めて欲しいです。


 晩餐を食べながらお父様はセルミアーネがどれほどしつこく執念深く求婚を繰り返したかを苦々しく語った。ただ、お母様は滅多にいない程の美男子のセルミアーネを気に入っているらしく、毎日のようにやって来る彼が楽しみだったようだ。それと私の三つ下の姪っ子が、セルミアーネに滅茶苦茶憧れてしまって、一番上のお兄様が困って「早くラルフシーヌとの結婚を決めてくれ」と私の結婚を後押ししたそうだ。そりゃ、次期侯爵の第一令嬢がただの騎士に嫁ぎたいとでも言い出したら大問題だ。その姪っ子は晩餐の席で終始私を恨めし気に見ていた。知らんがな。


 次の日から私は結婚式の準備に追われた。セルミアーネに結婚の承諾を出した時に、私が到着したら一週間くらい後に結婚式をする事は決めてあったそうだ。神殿の予約も出来て正式に日取りも決まった。婚礼衣装の形状や生地などは侯爵家の様式で決まっており、後は仕立てるだけなので、急いで採寸して超特急で仕立ててもらった。


 本来であれば私の婚礼衣装だけではなく、一族の皆が着る衣装も新調して、式場は帝国大神殿で行われ皇帝陛下も臨席し、王宮と侯爵邸で三日に渡って披露宴が行われるのが侯爵家の婚礼というものだが、今回は相手が貧乏騎士のセルミアーネだ。そんな事をしたら彼が破産してしまう。そのため思い切り規模は縮小され、騎士階級の一般的な婚礼に合わせる事となった。私は別に盛大な式など望んでいないから構わない。小さな神殿で親兄弟だけが臨席して式をし、侯爵邸で親しい人だけを招いた簡単な披露宴をする事になった。


 私が誰より来て欲しい父ちゃん母ちゃんが来れないというだけで私は最早結婚式に何の興味も無い。領地で皆がしてくれたお祭りの様なあれがまぁ、私の中では本当の結婚式だった。だが、流石にお母様や侍女たち、そしてわざわざ嫁ぎ先から来てくれたお姉さまたちが一生懸命準備してくれるのを無下にも出来ない。私は何着も持って来られた披露宴用のドレスを何度も試着させられるのを我慢した。


 それにしても、もう少し日程に余裕があれば良いのに?と思ったのだが、セルミアーネが休暇の内に挙式したいと主張したものらしい。ただ、これは後から聞いたが、結婚の場合は休暇が別に貰えるらしく、実際セルミアーネは式の後にも結婚休暇を取っていた。どうやらセルミアーネは期間が開いてお父様が心変わりして婚約を取り消されるのを警戒していたらしい。実際、お父様は何度も「あの男で良いのか?もっと良い話もあるぞ?」と聞いてきた。ただの騎士との婚約を反故にするくらい侯爵の権力を使えば簡単な事らしい。


 私は帰って来て式までに、お茶会と夜会に一回ずつ引っ張り出された。そこでカリエンテ侯爵が秘蔵していた末娘的な紹介をされてかなり注目されたらしい。すぐさま上位貴族から縁談の打診が来たのだが、その時には流石に式直前過ぎて中止は出来ず、結局私は無事にセルミアーネの嫁になった。お父様は残念がっていたが、セルミアーネの作戦勝ちである。まぁ、何の教育も受けていない猿令嬢を上位貴族に嫁に出せるわけが無いから、お父様も本気では無かっただろう。


 結婚式当日、私は侍女やお姉様に婚礼衣装を着せられ、化粧をされた。というか帝都に来て以来、私は毎日毎日侍女達にピカピカに磨かれていた。おかげで今の過去最高のピカピカさ加減。髪はツヤツヤ肌はプリプリ。そもそも私は傷の治りが早く日焼けも直ぐ落ちる体質で、毎日のエステまでされればすっかり真っ白な肌に戻っていた。


 純白でレースも多用された婚礼衣装は流石に豪華絢爛で、領地で着せられた婚礼衣装とは比べものにならなかった。だが、あまりにも豪華で重苦しい。領地で着たやつなら格闘も出来たがこれでは無理だ。レースに侯爵家の文様が浮かび上がるベールを被って完成だ。その姿を見たお父様は絶句し、お兄様方は驚愕し、お姉様お母様は歓声を上げていた。


「物凄く綺麗ですよ!ラルフシーヌ!」


「まさかここまで美しくなるとは!」


 ありがとうございますとしか言えない。何しろ衣装も化粧も私の手柄ではないので。


 そのまま馬車に乗り込み、神殿に向かう。式を挙げる神殿は帝都の街外れにあり、裕福な平民か、下位貴族が挙式に使う事が多い場所だ。そこに侯爵家の一家(何しろ十人の兄姉がそれぞれの配偶者を連れてきたから大人数だ)が華麗に着飾って乗り込んだのだから、結構話題になり見物人も押し寄せて来たらしい。


 セルミアーネの方は既に親がいないという事で、騎士団の直属の上司夫妻が親の代わりに来た他、なんと騎士団長夫妻が来ていた。騎士団長に目を掛けられているというのは嘘では無いようだ。騎士団長は伯爵であるが何しろ国家の要職なのでお父様も粗略には扱えない相手だ。私も含めて丁重に挨拶をする。物凄く強そうな方で、セルミアーネが結婚することを何だか大いに喜んでいた。


 式はまずセルミアーネが先に入場する。続けて私がお父様にエスコートされて入場するのだ。新婦席が満員なのに比べて新郎席は二夫妻しかいないので寂しい。その中央を進み神前にたどり着くとそこにセルミアーネが待っていた。


 騎士団の礼服。だが、領地で借りたものと色が違う。確かあれは緑だったが、今セルミアーネが来ているのは青だった。何か違いがあるのだろうか?領地で借りた奴は確か引退した騎士から借りた物だったから、ここ何年かで色が変わったのかも知れない。セルミアーネも今日は身だしなみを整えたらしく、綺麗に撫で付けられた紅茶色の髪、日焼けはしているが髭も産毛も綺麗に剃られた頬、少し化粧したらしくいつもより麗しい両目など、旅の間より五割増で美男子だった。


 ただでさえ美男子なのだからその五割増しだと大変な事だった。私に向けて振り返った瞬間新婦席から嬌声が上がった程だ。自重してくださいお姉様達。私もちょっと緊張する。なるべく丁寧に歩いてセルミアーネの横に立つと、彼はフワッと微笑んでお父様から私の手を受けた。


 セルミアーネに手を引かれ、神前に出る。流石に酔っ払ってはいない司祭様が私たちにまず聖水を振りかけ、頭を下げる私たちの額に香油をつけた指で○を描く。そして聖印を空に描くと厳かに祝詞を授けて下さった。


「天にまします全能なる神の御名において、この婚礼は祝福される。そも婚礼は神により創られた男女が神の許しを得て結ばれた事を最初とす。神は人に番となり産み栄え、地に満ちよと仰られた。血を繋ぎ家を繋ぎ一族を栄えさせよと仰られた。汝セルミアーネ・エミリアンとラルシーヌ・カリエンテは神の祝福の元に縁を結び、新たに夫婦となり、神の命ぜられたようにしなければならない」


 司祭様は準備されていた指輪の乗ったトレーを手に取ると、私たちの方へ差し出した。


「神に誓いながら指輪をお互いに」


 まずセルミアーネが指輪を持ち、私の左手を取った。


「大いなる全能神にラルフシーヌへの永遠の愛と尊敬を誓う。私の全てを神と妻に」


 左手の薬指に指輪が差し込まれる。


 次に私が指輪を取り、セルミアーネの左手薬指に通す。


「大いなる全能神にセルミアーネへの永遠の愛と尊敬と貞節を誓う。私の全てを神と夫に」


 その瞬間私とセルミアーネの婚姻は成立した。


 私は何とか台詞を間違えなかった安堵で一杯だったが、セルミアーネは微笑み、両目を潤ませていた。彼は私の腰を抱き寄せると、そっとヴェールを上げた。あ、忘れてた。もう一つあるんだった。そう思った時にはセルミアーネの顔が限界まで近づき、唇を柔らかな感触が覆っていた。


 誓いの口付けを交わした私とセルミアーネに盛大な拍手が送られる。こんな大勢の前でキスをするとか何の羞恥プレイなのか、と思っているのは私だけのようで、セルミアーネは二度、唇にキスをしてそれから頬や耳にキスの雨を降らせて来た。ちょっと、いい加減にしなさい。


 セルミアーネにエスコートされて神殿の出口へ向かう。扉が開くとなんだか物凄い人数が私達を待っていた。この神殿では結婚式の時は近隣住民が祝福に集まるものらしく、侯爵家を見物に来た連中も含めて、私達を一目見ようと押し寄せたものらしい。私達が姿を現すと大歓声、どよめきが起こった。


「おめでとう!」


「お幸せに!」


 私の家族を含めた人々が口々に私達を祝福しながら花びらを投げかけてくれた。まぁ、冬になりかけなのでそれほど種類はなかったが。それでも喜びの声と色鮮やかな花びらは私の心を浮き立たせてくれた。祝福してくれる住民の雰囲気が馴染んだ庶民的なものであったのもある。


 式が終わったら侯爵邸に帰って披露宴だ。ドレスに着替えさせられる。ちなみに披露宴ではお色直しで三回もドレスを着替えさせられた。ここには侯爵家に関わりのある貴族が百人くらい来ていた。


 先ほどの庶民的な祝福と違って、ここは完全に貴族の社交界だ。物凄く窮屈で、私はお披露目の時に言われた「微笑んで黙って動かない」を実行するしかなかった。マナー一つ知らない私は身動きするだけで恥をかくことが間違い無かったからだ。早く終われ〜と念じながら私はセルミアーネの腕に掴まって心を無にしていた。


 どうしても避けられないのが来客一人一人への挨拶と、お披露目にするセルミアーネとのダンスだった。ダンスなんて知らないよ。私に出来るのは領地のお祭りでみんんなで輪になって踊る踊りだけだ。セルミアーネが直前に簡単に教えてくれておぼつかない足取りでようよう踊り終える。


 私の事だけなら別に恥かいても気にしないのだが、ここにはセルミアーネの同僚や上司も来ている。夫に恥をかかせるわけにもいくまい。セルミアーネは「気にしないでも良いよ」とは言ってくれたが。


 そうして苦痛でしかない披露宴は数時間続いた末にようやく終わった。まぁ、お父様お母様にしてみれば。低い身分の所に嫁に出さざるを得なかった末娘へのせめてもの餞であっただろうし、兄姉も交流の少なかった末の妹を全力で祝福してくれたのだ。文句を言ってはいけない。


 しかしながら半ば魂が抜けた状態で私は新居に向かう馬車に乗り込んだ。家族勢揃いのお見送りに手を振り、馬車が動き出して心底ホッとした。ダメだ。私に貴族は向いていない。高位貴族への嫁入りなんてとんでもない。男爵で下位貴族の社交をやらされるのもごめん被る。つくづく騎士で社交はしないというセルミアーネと結婚することになって良かった。


 馬車は公爵邸を出てしばらく走り、一軒の邸宅の門を潜った。夕日に照らされたその邸宅は思ったより大きかった。馬車のドアが開くと私はセルミアーネに抱き抱えられた。新婦は新郎に抱き抱えられて新居に入るのが慣わしなのだ。


 馬車を降りると結構広い庭があるのも見えた。貧乏騎士には分不相応ではなかろうか。母から継いだと言っていたっけ。お母様は貴族だったのかも知れない。


 瀟洒で綺麗な邸宅だった。私を軽々と抱えたセルミアーネがドアに近づくと、ドアが開いた。私は驚いた。おそらく執事と思しき男性がドアを開いたのだ。そしてドアの向こうには老婦人、おそらく侍女が一人いて、私達に頭を下げた。


「おかえりなさいませ。旦那様、奥様」


「ああ、ただいま」


「お、お邪魔します・・・」


 そのまま侍女が先導し、セルミアーネは慣れた足取りで続いた。


「使用人がいるの?」


「ああ、母が生きている時から家に仕えていて、この家を維持していてくれたんだ」


 セルミアーネ自身は母が亡くなった後は騎士寮で過ごしていたが、夫妻である執事と侍女がこの家を守っていたそうだ。それにしても貧乏騎士だと言っていた割に邸宅を所有していて使用人を二人も使うというのは、身分不相応だと思うのだが。私はちょっと疑問に思った。


 しかしそんな疑問はすぐに忘れた。忘れざるを得なかった。私を抱き抱えたセルミアーネが入った寝室。そう。寝室。には、天蓋こそ付いていないが大きな柔らかそうなベッドがあり、私はそこに優しく下された。・・・そう。私はもうこの人の妻。今日から夫婦、


 そうなのだ。今日は結婚式。今晩はまごう事なき新婚初夜。そして私はベッドに下された。ぎゃ〜!我に返った時には寝室のドアは侍女によって閉じられ、寝室には私とセルミアーネしかいなかった。


 私は完全に生娘で、正直ソウイウコトにあんまり興味が無かったせいで知識も少なかった。いや、森で動物達が繁殖行動としてソウイウコトをしているのは何度も見たが、動物と人間はする事も手順も違うのだろう。違うんだよね?


 慄き混乱する私を見透かしたように、セルミアーネは私の上に覆いかぶさり、間近から笑いながら私の事を見つめている。近い近い。少し動けば唇が触れてしまいそうだ。私の激しくなった心臓の音も聞こえてしまっているだろうか。


 セルミアーネは私の髪を撫で、髪飾りを取り、結われていた髪をサラリと解き、髪を手に取って嬉しそうにキスなどしていた。無茶苦茶に幸せそうで、どう見てもちょっと今日は止めときましょうと言えるような雰囲気では無い。どうしよう。どうしたら良いのか。私の混乱がピークを迎えた瞬間、セルミアーネがふふっと笑って言った。


「怖いのかい?」


 そこには挑発するような響きがあった。私は反射的にムッとしてしまった。私は挑戦されて受けて立たなかった事はない。どんな事も。負ける事は嫌いだし、臆したと思われるのはもっと嫌いだ。怖くて逃げたと思われるなぞ私の矜持に関わる。なのでうっかり言ってしまった。


「まさか!」


「そう。じゃぁ、大丈夫だね」


 セルミアーネが嬉しそうに笑いながら私の唇に深いキスをした。し、しまった!図られた!と思ったが後の祭りだった。


 


 

 


 


 

 

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