猫の手ブームに物申す

ねこ大名

「猫の手」ブームに物申す

 世間では史上空前の働き手の不足、人手不足を背景とした「猫の手も借りたい」ブーム、通称「猫の手」ブームが終わろうとしていた。

 そのブームの労働社会学的な価値がどれほどのものだったのかは浅学の私にはわからない。

 しかしながら、何でもかんでもあっという間に忘れ去られてゆく昨今の風潮をかえりみ、そのあやふやな記憶をわずかでも留めておくべく、今この小文を書いている次第である。


 私は当時、猫愛好家の専門誌で一番売れていない「にゃん友ワールド」という雑誌の記者で、「猫の手」ブームがまだ世間に広く認知されておらず、人材派遣の業界界隈でようやく噂になり始めていたその頃、ブームの先駆けとなった会社のひとつで猫の手ビジネスリサーチ』の広報に取材を申し込み、その実態を探るべく話を聞いたことがあった。

 下記はその時の録音(一部)である。


「基本的なところからお伺いしますが、一般の会社に猫を派遣するのですか?」

「基本的なところから申し上げますと、一般の会社に猫を派遣しています」

「猫だけですか?トレーナーとか飼育員さんとかは一緒に…」

「いいえ、猫だけです。弊社は「人」材の派遣登録はしておりませんので」

「猫だけ!あの…あれですか、それはお客さんになっている会社などが、働いている人の癒しになるように福利厚生の一環か何かで猫を貸し出すとか?」

「ええ、もちろんそういう場合もありますが、大抵は普通の「人」の派遣と同様、ビジネスパーソンとして…まぁ、キャットですけど、仕事をしています。総務・経理・仕入れ・配送などの会社の基幹業務から、営業、マーケティング職…何でもできますよ」

「えっ、猫が?」

「ええ、もちろん。なにかおかしいですか?」

「だって猫でしょう?」

「失礼ながら、貴殿は猫の雑誌の記者さんをされているのに、猫のことを何もご存じないのですね!猫は人間同様それ以上にものを考えることも、もちろん人間の言葉を話すことも、大抵なんだってできるのですよ?ただ奥ゆかしいところがあって、猫はあれもこれも出来ますと、あえて人間に言いもしないしアピールしないだけです」

「聞いたことないな…でも姿かたち、大きさは猫でしょう?」

「だって、化けますから。ご存じでしょう?化け猫って。化けるのは、昔から猫の得意技です。ビジネスの現場に派遣されるべく化けた猫の見た目は、いわゆる普通の人類の大きさの男女ですよ」

「…本当ですか?」

「ええ、本当ですよ。多くの人間様がまだ知らないだけであって…たまにイケメンで、よく仕事もできて、実家もお金持ちなのに、なぜか普通にヒラの会社員をしてる人っていませんか?」

「まあ、うちにはいませんが、世間にはいるでしょうねえ」

「そういう方、多分猫です」

「はあ?」

「弊社のクライアントばかりでなく、もうほとんどの大会社の上層部の方は皆ご存じですよ。実際うちの「猫の手」を借りた会社は実績が上がり、株価も著しく上昇しています」

 ここで広報の男はどこからかフリップボードを出し、「猫の手」派遣社員の登録数と派遣先の会社の売り上げとの関係が右肩上がりにある事などが描かれたグラフを私に見せながら、「猫の手」の実績を語り始めた…。

 

 要は彼によると、現在国内の産業・労働界は、コストがかかる「人間」を採用するのではなく、低コストで優秀な「猫」を採用する…密かな「猫の手を借りる」ブームの只中にあり、今やそれは中小企業にまで波及しつつあるということだった。それは安価(なんとキャットフードのみですよ?)で、優秀な労働力として「猫」(化け猫ですけど)が産業界に認められた証拠で、完全なる労働のパラダイムシフトが起きる。今後もこの「猫の手」派遣は発展を続け、産業・労働界の一大潮流として市場を席捲するだろうと。


 嬉々として広報の男が説明をしていると、突然、取材をしていた部屋の電話が鳴り、彼が出た。

 二三度控えめに電話に向かって頷いて電話を切ると、私に、

「申し訳ありませんが、急にクライアント対応をしなければならなくなりまして…」と、言うや否やパッと姿が消えた。

 驚いた私は周囲を見回し、まさかと思ってテーブルの下を見た時、白い猫が一匹。

「あとはよろしく」

 と白猫は言ってウインクし、ドアの隙間を抜けて走って出て行った。

 そして、数年後図らずも世界は彼(白猫)が言ったとおりになった。


 史上空前の人手不足を解消した「猫の手も借りたい」ブーム、通称「猫の手」ブームが終わろうとしていた。

 ブームは下火になって消えたのではなく、もはや当然のこととなってしまい、単なるブームとは言えなくなってしまっただけだった。産業界は高コストで無能な人間から、低コスト(キャットフードのみですよ?)で優秀な猫(化け猫だけどね)への総入れ替えを完了した。


 私もご多分に漏れず、優秀な後輩(多分猫、きっと猫)にその職を奪われ、会社から解雇された。

 そのうち会社の経営者以外、みんな猫になっちまうのだろうよ!


 今もハローワークに並ぶ私がこんな世間に物申したいことは、

「いくら忙しいからって猫の手なんて借りるな、人間に頼め」ということだけである。

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