視線を感じる!!
学校中の注目を集める美人転校生、沙希亜がサキュバスと呼ばれる存在だと翆が知った翌日のことだ。
あれから家に帰ってサキュバスについて調べてみたのだが、当然のようにサキュバスと検索すると出てくるのはエッチな絵ばかりだった。それ以外だとしてもサキュバスとはどんなものか、それを具体的に説明したいわゆるウィキペディアのようなものしか出てこない。
現代においてサキュバスと呼ばれる存在が生息している、そんな事実はどこを探しても出てこなかった。
「……いや、それは良いんだよそれは」
教室で席に座り、頭を抱える彼にとってそれはどうでもいいと言わないがそこまで重要なことではない。どうして彼がこんな風に頭を抱えているのか、それはサキュバスについて調べすぎて小テストの予習を一切してないからだ。
(アホだろ俺……なんで勉強せずにサキュバスのことばかり調べてんだマジで。なんのために俺は昨日必死こいて走って用紙を取りに来たんだよクソったれ!!)
どれだけ文句を言っても仕方がない、なので彼は今必死に悪あがきをするように丸暗記中だ。必死に用紙を見つめている鬼気迫る彼の様子、しかし限界はすぐにやって来た。
「……いや、詰め込み過ぎても結果は出ねえよな」
たかが数十分で内容を詰め込め切れるわけがない。それもあって翆は大人しく先生の小言を受け入れることにした。まあある程度は頭に入れたので運が良ければそこそこの点数は取れるだろう。
「おっす翆」
「おはよう……ってどうしたんだ悟った顔をして」
そう言って話しかけてきたのは翆の友人だ。
大柄な体格の男子は
「今日の小テスト、ちょっとだけ諦めがな」
「なるほどな。ちなみに俺は諦めてるぜ?」
「お前な……ちゃんと勉強はしとけよ」
道明が呆れたようにそう言うが、翆と仁にとっては耳の痛い話である。そんな風にこの三人が集まっていると、決まって話しかけてくる女子たちが居る。
「そうそう。勉強はちゃんとしなさいよね」
「うんうん。大切なことだよ。将来のためにも今のうちに頑張らなくちゃ」
この二人の女子は翆たちにとってそれなりに話す異性のクラスメイトだ。スレンダーなモデル体型女子が
「そんなことは毎日のように家族に言われてますよってな」
「自慢じゃないでしょうに」
「まあ仁君は見るからに馬鹿っぽそうだもんね。あ、馬鹿だったね」
来夏のストレートな言葉に仁を除く全員が噴き出した。
「……そこまで言うか? なあそこまで言うか!?」
「あはは、ごめんごめん!」
楽しそうな来夏の様子だが、彼女は意外とこんな風に毒づくことが多い。まあそんな部分も彼女の人気な部分というか、見た目も整っているのでそれなりにモテる子ではあるのだ。
そんな風にいつもの面子が集まったことで朝礼が始まるまでの間雑談タイムとなった。もう翆の中に小テストのことは頭になく、ただただ友人たちとの会話を楽しんでいた。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
「あ、私も行ってくるね」
二人がトイレに行くために教室を出たその時、入れ替わるようにして翆の中でその存在が大きくなっている原因の沙希亜が現れた。
「あ、おはよう小清水さん!」
「おはよう」
「おはよう小清水さん!!」
「おはよう」
男女問わず彼女に挨拶がされていく。それだけで彼女の人気ぶりが良く分かるというものだ。堂々と歩く彼女を見ていると、やはり翆の中に蘇るのは昨日の記憶だ。サキュバスと言った彼女、羽と尻尾を生やした彼女の姿が鮮明に脳裏に浮かんでくる。
「?」
「っ……」
チラッと沙希亜が翆に目を向けた。彼女の様子に特に変化はなかったが、翆はつい視線を逸らしてしまった。昨日のやり取りで彼女の中で翆はあのことを忘れていることになっているはずだ。
「……………」
彼女の席は翆の後ろ、つまり傍を通ることになる。
不自然に視線を逸らしてしまったことに失敗したかと思ったが、彼女は特に何も言わずに通り過ぎた……いや、挨拶はしてきた。
「おはよう」
それはとても綺麗な微笑みだった。
異性を際限なく虜にしていまいそうなほどに可愛らしく、そして魅了する大人の色気を醸し出していた。ビクついている翆はそんなにだが、仁と道明はボーっとするように見惚れていた。
「お、おはよう……」
「おはよう……小清水」
掠れるような二人の声だったが、沙希亜は満足そうに微笑んでそのまま通り過ぎるのだった。それ以降も二人は顔を赤くしてボーっとしていたが、どうも沙希亜の傍に居るのが恥ずかしくなったらしく自分の席に戻って行った。
「……ふん」
何か鼻で笑ったような声がしたと思ったら、トンと後ろから机を指の先で叩く音が聞こえた。大げさかもしれないが、翆はその音にも敏感に反応してしまう。とはいっても肩を少し震わせただけだが翆としては気が気でない。
「……………」
後ろから教科書などの置く音が聞こえるがそれだけ……そこで翆は流石に考えすぎかとため息を吐いた。確かに彼女はサキュバスというもので、人ならざる人外の類なのかもしれない。する気はないがそれを言い触らしたところで頭がおかしいと思われるのは翆の方だろう。
(考えすぎだ。小清水さんがどんな存在でもクラスメイト……よし、それで良い)
それでこの話題は自分の中で解決だと翆は頷いた。
しかし……どうも背中から強い視線を彼は感じるのだ。穴が開くほどの視線を感じる、そんな言葉があるが今正に彼はその言葉の意味を実感していた。
「……………」
「……………」
ジリジリと感じるその視線の持ち主が沙希亜とは限らない……いや、後ろに居るのは彼女だけだがそうとは限らない。翆はそう思わないと耐えられなかった。彼女の尻尾や羽云々は置いておくとしても、あの瞳に見つめられて彼女以外見れなくなったのはきっと何かをされただろうことは分かる。人間にはない何かしらの能力があることを意味している。
(……俺、殺されたりするんかな。消されたりするのかな)
不思議な力があるのなら、漫画やアニメで使われる魔法なんてものもあるかもしれない。翆はただの人間なのでそのような超常的な力の前にはどう足掻いても無力だ。
「……いやいや、睨まれてるわけないっしょ」
一部では美の女神なんて言われている沙希亜なのだから睨んでいるはずがないと翆は行動に出た。消しゴムをわざと沙希亜の方へ転がし、拾うフリをして彼女の表情を確かめようと考えた。
「あ、消しゴムが~」
相変わらずの棒読み、これが舞台なら速攻で帰れと言われそうな演技力の無さだ。
「……っ!?」
「……………」
消しゴムを拾うためにチラッとそちらを見た時、彼女はバッチリと翆を見ていた。怒っても笑ってもいない無表情でありながら、その真紅の瞳と目が合った瞬間まるで蛇に睨まれた蛙のように翆は動きを止めた。
「……どうも」
絞り出した声はそんな頼りないものだった。
沙希亜はゆっくりと体を屈めて落ちた消しゴムに手を伸ばし掴んだ。
「はい、落としたわよ」
「ありがとう……小清水さん」
手を伸ばすと彼女はどうぞと言って消しゴムを翆に手渡した。
どこもいつもと変わらない綺麗な微笑みに、翆はやはり気のせいだったのかと気の抜けた笑みを浮かべた。
「っ……」
一瞬、沙希亜が少しだけ頬を赤くしたがそれもすぐに元に戻った。
「それ、今日の小テストの参考用紙?」
「え? あ、あぁ……」
まさか話が続くとは思っておらず、翆は困惑しながらも用紙を手に取った。
「昨日帰って勉強するつもりだったんだけど……その、手に付かなくてさ」
君のせいでな、とは口が裂けても翆は言えない。
既に諦めているのでもう必要のない物だけどと笑った翆だが、続いた彼女の言葉に表情が固まった。
「手に付かなくなるような気になることでもあったの?」
「……………」
黙り込んだ翆だったがそこでチャイムが鳴った。
担任も教室に入って来たので翆は前を向いたが……それからもずっと背中に彼は視線を感じ続けるのだった。
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