猫は猫でも其れは化け猫
ユラカモマ
猫は猫でも其れは化け猫
殿様の娘が原因不明の病で伏せっているのだがなんとかできないか、と世話になっていた庄屋に請われて乾が訪れたのはとある地方の城だった。もうすぐ祭りだと馬屋や
ところで乾がこの城を訪れた理由は庄屋に請われた以外にもう1つあった。それは姫君が持つという不思議な力に興味を持ったからだ。なんでもここのは未来を見る目を持つという。実は乾自身、常人には見えぬ悪鬼病鬼を見る力を持っていた。乾も人に
噂の姫君の元に案内されたのはもう日の沈んだ頃、未来が見えるという奇異な姫は意外にも普通の娘といって相違ない見目をしていた。長い黒髪を枕の上に垂らし2本の手を掛布団の上に投げている。病身を慮って弱められた灯りのせいで顔をはっきりと見ることはできないがすっと通った鼻筋からしてまあ美人と言える顔立ちではないだろうか。残念ながら心根まで美しいかと言われるとそういうわけではないようだが。
「すみませんが少し席をはずしていただけますでしょうか。他の者が同席されていると気配が混じってしまって分かりづらくなってしまうものですから」
そう言うと姫君の父である殿様は怪訝な顔をして渋ったが最終的には部屋を出た。10日後までに治せなかったら切腹させるとの捨て台詞つきで。なかなか治らない娘の病にずいぶん心乱れているらしい。個人的にはなにかあるとすぐ切腹というのは命がもったいない気がするので控えて欲しいと思う。
「初めまして、お
殿様の気配が失せたのを確認しやんわりと声をかけるとぴくりと横たわっている姫様の
「そなたは私の病を治せるのですか?」
「いいえ。私には治せません。このままでは切腹ですね」
「無理だとおっしゃられるのなら逃げればよろしいのでは? まだ期限まで10日あります。薬草でも取りに行くと言えば期限までにはこの領地を越えて行けるでしょう」
姫様の声は喉が腫れているのか掠れて弱々しかった。それでも病床から不運に巻き込まれた者を気遣う優しさは善良な者が見たなら涙を浮かべるようなものだろうし臆病な者なら姫様の優しい提案に感謝の一つでも述べるところだろう。しかし乾は苛立ち声を荒げた。
「どうして俺があんたの罪悪感を避けるために逃げなくてはならないと?」
姫様の掠れた呼吸音が驚いたように止まる。静かになった室内で居ずまいを正して乾は続けた。
「失礼…あなたは御自身の病の原因も治し方も分かっておられる。そうだろう?」
問いかけるも
「私は殿様に10日後までに治すとだけ申し上げよう。あなたはあなたで好きにすればいい」
「そなたは死ぬのが怖くはないのですか?」
「自ら命を削っておられるあなた様に聞かれるのは心外です。あなた様の方こそ怖くはないのですか?」
「私は…」
「別に答えはいりません。ただの戯れです。それより今宵は見事な満月、戸を開けておきますから見るといいでしょう。少しは気が晴れるかも知れませんよ」
それでは、と月を背にして部屋を後にする。姫様の周りに病鬼の類いはいなかった。感じたのは未だに感じたことのない不思議な気配だけ。そしてそれはあの姫君と同一の気配だった。
明くる朝乾が部屋を訪れると姫様は既に起きており待ち構えていたと言わんばかりに入室してきた乾の目を捉えた。探られるような視線に不快感を感じて襖に向き直って襖を閉め改めてお姫様に向き直る。
「ご機嫌はいかがですか? …顔色はよろしいようですね」
「まだ体が重いわ」
愛想笑いを浮かべてご機嫌伺いをすると姫様は汗の滲んだうなじを見せるようにわざとらしく小首を傾げた。細い首筋は朝日に映えて艶っぽいがまだ不快感の収まらない乾はふん、と鼻を鳴らして持ってきた盆を下ろす。
「そうですか、まぁすぐに治られてしまっては私の仕事がなくなりますから良いことです。さぁ、こちらをお飲みください」
ちくちくと嫌みを刺しながら差し出したのは木でできた椀、中はまだ湯気の立つ透明な液体である。
「これは?」
「元気になるよう呪いをした白湯ですよ」
「…あなた嘘がお上手ね」
答えるなり姫様はふふっとすべてを見透かしたように笑った。…いや"ように"ではなく実際見透かしているのだろう。気味が悪いーーー乾は自分のことを棚に上げてそう思った。
「お姫様ほどではありませんよ。それに必要な方にはちゃんと処方します」
「そなたは昨日一目で私の病の種を見破りましたね。どうして分かったのですか?」
憮然として答えると姫様はさらに問いを重ねた。直に目を合わせぬよう
「はは、それは企業秘密…といきたいところですが私もお教え願いたいことがありますのでお答えしましょう。どうしてこれがただの白湯だとお分かりに?」
「その
姫様の目には椀の白湯が誰にも侵されたことのない新雪のように輝いて見えると言う。それを聞いて乾はなるほど自分が仮病を見破ったときと同じことかと納得する。
「そうですね。これは今朝私が
さぁ、と改めて椀を勧めると姫様はにこやかにそれを手に取った。
「そうですね、いただきましょう。ところで次はあなたの話を聞かせていただいても?」
「えぇ。私も常人より多くのものが見えるのですよ。通常病に侵されている者からは病鬼の気配があるものですがあなた様からはあなた様の気配しか感じられませんでしたので仮病と判断させていただきました。差出がましいとは存じますがどうしてこのようなことを?」
そう問いかけると姫様はここだけの話にするように、と前置きをして話始めた。
「父上が今度の例大祭で御山の巫女様方を差し置いて私を巫女役に立てようとしていらっしゃるの。お止めくださいと申し上げてもなしのつぶてで…父上の耳は都合の良いことしか聞こえない節穴のようです」
よよ、と泣く素振りをしながらもしれっと毒づくあたりいい性格だなと思う。ただの弱々しい女に比べればまだいいか…。乾はようやく冷静に目の前の姫様を見ることができるようになってきた。泣き顔を隠すように覆った手の隙間、ぬばたまの黒髪の向こうからこちらを覗き見る視線を首を傾げてさらりと流すことができるくらいには。
「おやおやそれはお困りですね。では、私の方からお姫様のご病気は御山の巫女様方の祟りとお伝えしておきましょうか?」
にこっと分かりやすい愛想笑いを浮かべて提案すると姫様も手で隠した口元でくすくす笑いながら返す。
「お願いします。でも巫女様から、というと障りがありますので巫女様方を愛して居られる御山から、とお伝えください」
「承りました。ところでこの件の褒美にしばらくこちらのお城に置いていただけるよう口添えいただけませんか? 私には行くところがないのです」
神妙な顔を作って言うと姫様は目を少し大きくして乾の顔を見た。真っ黒な朝焼け前の空色の瞳がおもしろそうにまじめぶった乾の顔を映す。
「いいでしょう。その代わり時々は私の話し相手にもなってくださいね。嘘つきの呪い師様」
娘の難病を救うためすがった結果入り込んだのは嘘つきの猫一匹。さてそれが吉と出るか凶と出るか其れはまだ猫のみが知る。
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