Mixed doubles sick

@sorasho

1.俺と一緒に試合出ないか?

 


 思い返せば、これが全ての始まりだった。




 恋の病、と表現されてきた事に、今は感動すら覚える。それは比喩ではなく事実である事に、この歳になってようやく気付いたのだ。

 それは、突然出現してはパンデミックを起こすウィルスのようでもあり、気付けば既に陥っている生活習慣病のようでもあり……。おそらく人類が誕生してから存在し続け、未だに治療法の見つからない、誰もがかかりうる病気。

 心拍数が上がり、動悸や、呼吸に苦しさを覚える。思考が偏り、正常な判断が出来なくなる。突然、見える景色の全てがキラキラ輝いたり、かと思えば、世界中全てが色彩を失い、澱んで見える。視覚さえ狂わせる。

 軽く済む風邪のような事もあれば、悪化して命を落とす人たちもいる。


 今回の私を例えるとするなら……


 高熱を出し、みるみる症状は悪化し、明らかに治療が必要であったにも関わらず、受診を勧める人達の助言を無視し続けた結果、大手術に至り、なんとか一命を取り留め、現在療養中、と言ったところだろうか。。。






————————————————————————————————————



  その頃私は、四十肩に悩まされていた。四十になって、本当に四十肩になるなんて。

 子供の頃からずっとテニスを続けてきた私にとって、右肩が上がらないのは死活問題だった。通っているテニススクールで、痛む肩に苛立ちつつ、レッスン後に整骨院に立ち寄る事にした。


 その整骨院はテニススクールに隣接していて、生徒もコーチも通っているらしかった。半年前に手首を痛め、コーチの紹介で飛び込んだ事があったが、予約で埋まっていて断られたことがあった。そのテニススクールには6年も通っていたのに、その時まで存在すら知らなかった。


 私は半年前の事を思い出していた。


 そこには、自分と同世代であろう男性がいた。初対面で、じっと目を見てくるその人を、私は少し怖いと思った。私は元来人見知りなのだ。美容師という職業であったことと、年齢と、子供を持つ母親になってから、周りには気づかれないように振る舞うことができるようになってはいたものの。


 彼は柔整師で、整骨院の院長だった。院長と言っても、他には誰もいない。院内は狭く、一人でやっているらしかった。


 

「コーチ?生徒?」


 第一声は、不思議な質問だった。


 え、そこ??


私は生徒だと答え、また電話予約しますと言って、それきりだった。予約すると言ったのにそのままだったのはちょっと気まずいなぁ……まぁ半年前の断った飛び込み患者なんて覚えてないか。またいっぱいで断られるかも知れないな。そんな事を考えながら、開けっ放しのドアの陰から、少し躊躇いつつも顔を覗かせた。


 そこには当然、半年前と同じ男性がいた。低く響く大きな声で、話しかけてきた。


「はい、どうされました? あ! 前に一回、村川コーチの紹介で来たやんな!」


 私は色んな意味で驚き、返事に戸惑う。何だこの人は。


 覚えられていた事と、人見知りの壁を打ち破ってくるような親しげな話し方に、私はすぐに好感を覚えた。施術内容にも満足し、定期的に通い始めた。

 

 予約方法が、電話からLINEになった。うちの患者は大概みんなLINEだと、彼個人の携帯電話番号を教えてくれたのだ。私はなんとなく、仲良くなれたような感覚で嬉しかった。そして何より、電話が苦手な私にはありがたかった。


 

 彼の話はウィットに富んでいて、人を惹きつける力を持っていた。私は若い頃から多くの整骨院やマッサージ屋に通ってきたけれど、話しかけられるのはあまり好きではなかった。ほぐされる筋肉に集中したいタイプだったのだ。しかし彼と話すのは楽しかった。母と姉も紹介して、通うようになっていた。家族共通の話題として、彼はたびたび登場した。


 テニスを習い始めたばかりの彼は、経験が長く上級クラスにいた私に興味を持ったようだった。一度一緒にテニスをして欲しいというような話が何度か出たけれど、具体的な日程が決まることもなく、社交辞令だろうと流していた。


 春から夏になり、四十肩も気付けば痛まなくなっていた。その頃には、彼の為人ひととなりが見え始めていた。高身長で引き締まった筋肉、完璧な肉体美を誇っていたが、それを支えてきたであろうスポーツ理論には、少し面倒臭さを感じるようになっていた。私の夫は海外出張が多く、私は小学生の息子二人の子育てや、少し特殊な習い事の管理と送迎に追われていた。整骨院からは、少しずつ足が遠のいていた。



 そんなある日、彼からLINEが届く。


「俺と一緒に試合出ないか?」

 

 また驚き戸惑う。何だこの人は。

 でも、嫌じゃない。息子の習い事のために、誰かに試合に誘われても、しばらく断ってきた。でも、未経験のミックスダブルスに、強く興味を惹かれた。


 「息子の習い事で、もしかしたら急遽キャンセルしてしまうこともあるかも知れない……その時はキャンセル料は私がお支払いするけど、そんな感じでも良ければ!!」


 相変わらず中途半端な返事だな、と自分で思う。私はかなりの優柔不断なのだ。外食をする時は、みんながメニューを決めて、注文し終わるギリギリまで決められない。いつまでも決められない時は、強硬手段として、決まっていない状態で店員さんを呼んだりする。切羽詰まって無理矢理答えを出すタイプだ。


 しかし、彼の返事は想定外に優しいものだった。もちろん子ども優先で、もしキャンセルになっても、キャンセル料なんていらないよ、と。

 途端に私はワクワクし始めた。何か、楽しいことが始まる予感だった。


 試合前に一度、コートを借りて数人でテニスをする事になった。それは数日後にすぐに決行された。私は友人を連れて参加し、あまりに初心者でルールすら知らない彼に一抹の不安を覚えつつ、男性と打ち合えるテニスの楽しさに興奮していた。


 テニス後、一緒に参加した友人と二人で飲みにいく事になっていた。そのために電車で来ていた。彼に、帰りに近くの駅まで車で送ってもらえるか尋ねると、快諾してくれた。


 その旨を友人に伝えると、彼と初対面だった彼女は、明るく言い放つ。


「それならいっそのこと、一緒に飲みに誘わない?ダブルス組むんなら、仲良くなっといた方が良いし!」


 私もそれは頭を過ったよぎったものの、彼女に遠慮したのだ。でも彼女は年上で、懐の深い人だった。そして社交性に長けていた。私は喜んで、すぐさま彼を誘った。

 彼は、車だから飲めない事に不満を漏らしつつ、ノンアルコールで付き合う、と、即決してくれた。

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