猫の手ならぬ悪魔の手を借りた俺の日常
龍神雲
猫の手ならぬ悪魔の手を借りた俺の日常
タイムイズマネー、ジャストインタイムという横文字が飛び交う外資系ベンチャー企業に高校卒業と同時に勤め今年二十歳を迎えた俺は、潤いとは程遠い殺伐とした独身社会鬼畜生活を送る毎日で心がずたぼろだった。毎日決まったノルマをこなせば称賛される訳でも給料が上がる訳でもなく、次のノルマが当然の様に課され──
『君なら簡単にできるよね。優秀だし』と直属の上司から圧を掛けられ、少しでもミスをすれば不必要な程に周囲に知らしめる様に業と責め立て人格否定も見せしめの様にされ、しかしそれを相談できる社員等皆無で俺含めた先輩社員も同僚も部下も、誰かを助ける余裕も話を聞く余裕もなく目の前の仕事をただ必死にこなす日々で、たまにあるとすれば直属の嫌な上司に便乗し嫌みやあら探しをして欠点をつついて言う、猿でも馬鹿でもできる批判や誹謗中傷を生き甲斐とした傲慢無礼なアホが絡んでくるだけだった。人の不幸は蜜の味という言葉が大好きな様で、奴等は勝手なカーストを独自に作り上げ自分達より立場の弱い人間、又は言い返してこない人間を狙い日頃の鬱憤を発散する最低なマウント連中で、会社に一番いらない類いの存在だ。そもそも人を貶める暇と余裕があるなら手伝えよと。こちとら猫の手を借りたいぐらいなのにと思うも、相手にするだけ時間の無駄なので俺は毎度ねちねちと遠回しに吐く嫌味の数々を流し無視したが、それを流せる余裕もなくなり遂に切れ、気付いた時には何時も嫌みを吐く上司が白目を剥き床に転がっていた。
──やってしまった。これは確実に首だ……
だがもう起きてしまった事はどうにもできず、俺が殴った事で静まり帰ったフロアにこのままいたくもなく──どうせ首になるのだからどうでもいいかと割り切りそのまま放置して帰宅した。
借りているマンションの一室に戻るとポストに分厚めのA4サイズのクッション付き茶封筒が突っ込まれていた。それを手に取り差出人を確認すれば父方の祖父、じいちゃんからだった。じいちゃんとは昔から気が合い、両親に相談できない話もじいちゃんだけには相談できる気心の知れた仲だ。取り敢えず玄関を開け室内に入り、一体何を送ってくれたのだろうと茶封筒を開封してみれば、手紙と一緒に薄汚れた赤い本が一冊入っていた。本の表紙のタイトルは書かれてなかったが一先ず手紙から読むことにした。
『
俺はそこまで読み泣いていた。じいちゃんは何時でも優しい。だけど俺は心配掛けたくなかったのと仕事に追われる日々で、じいちゃんの事も両親の存在すらも忘れていた。こうして手紙を読んだ事で漸く人としての感情が戻り、それだけ余裕のない人生を送っていたんだなと実感し、改めて会社を辞める決意もした。元い──先の殴った案件で辞めるどころか辞めさせられるだろうが。しかし、じいちゃんは相変わらずじいちゃんだ。文面状からじいちゃんの温かみ溢れる言葉にじんとし、今まで抱いていた殺伐とした気持ちが消え穏やかな気持ちが訪れた。──久々だな、こんな気持ちが訪れたのは。いつぶりだろう?そう巡らしながらじいちゃんの手紙の続きを読んでいく。
『それから彪流、二十歳の誕生日おめでとう!彪流は昔から本を読むのが好きだったから一冊の本を同封したよ。我が家の倉に代々受け継がれて置いてある希少本だけど私には昔から読めなくてね。この本を読破した時は是非、内容と感想を聞かせてもらえると嬉しいな。では彪流、また会えるのを楽しみにしてるよ』
じいちゃんの手紙を読み終えた俺は、早速手紙と同封されていた薄汚れた赤い表紙の本の最初の一頁目を捲った。するとそこには≪汝、我と契約するか≫という達筆な赤い文字が中央に書かれているだけでそれ以外は何も書かれていない頁だった。童話か何かかなと思い次の頁を捲ってみれば≪汝、我と契約するということだな≫と、一頁目と同じく中央に達筆な赤文字が書かれていた。これは読み手もこの本の世界観の登場人物として参加する童話なのだろうと巡らし次の頁を捲ると≪よかろう。汝を主として契約し我が力を貸そう。尤も我はその為に代々封印され受け継がれていたのだからな。我を楽しませろよ、人間≫という言葉を目にし、疑問が浮かんだ。まるで先祖代々、そして自分自身に向けて語る様な言葉に見えたからだ。
──次の頁を捲ったら一体どうなるんだろう……
期待と不安が綯交ぜになるも落ち着いて頁を捲れば、その頁には赤い魔方陣が描かれていたが次には灰色の煙がそこから噴出し目映い光が本から放たれた。強烈な光に思わず本を手放し目を瞑れば、次第に発光は収まるが相変わらず灰色の煙が充満し、そして本を放り投げた場所には中世ヨーロッパの様な貴族の格好をし、紅色の長いジャケットに身を包んだ長髪黒髪の長身の男が立っていて、その左右の頭には鬼の様な角が見え間も無く、その男は俺を見るなりいきなり傅いた。
「我が主、マスター……何なりと命令してくれ──と、言いたいが長年封印されていたせいで腹が減っててな。マスターの生気を少しだけ頂戴する」
そう言うや否や俺に向かって腕を伸ばし手の平を翳した。何が始まるのかと思い直ぐに視界がぐらりとし、次には足の力が抜けその場にへたり込むが、それでも今現在の状況を整理し結論した──俺はとんでもない禁忌を冒してしまったのかもしれないと。事態を重く見る中、目の前の男はマイペースに独り言ちた。
「ふむ。こういう味か──これは美味だ……マスターのいる環境は我にとっては最高の餌場となろう、気に入った。気に入ったぞ」
男はさも愉しげにくつくつと笑い再び此方を見た、その瞳はぞっとする程に燦然とした紅色の輝きを放ち、人とは違うと直ぐに悟るも怯まず、先ずは本の中に戻るようお願いをした。
「出てきて早々申し訳ないのだけど、元いた本の中に戻ってくれないかな?」
「それはできない。マスターに呼び出された以上、我はマスターの命が尽きるまで仕えるよう契約された吸血悪魔だからな」
──吸血悪魔?
なんだその設定はと突っ込みたくなるも、本人は至って真面目に話すので恐らく本当なのだろうが、本に戻れない事実を受け止めた上でこれからどうすべきかを考えるも、先程生気を吸われたせいか思考が回らず視界が暗転し──気付けば朝を迎えていた。目覚ましが何時も通りの時間に鳴りそれを止めはたとする。
──確か昨夜はじいちゃんの手紙を読んで、それから──
「漸く目覚めたか。近頃の人間は朝日が昇ると同時に起床しないのか──、記憶しよう」
という声が頭上から響き、見上げれば吸血悪魔が立っており、そこで鮮明に思い出す。そうだ、本を開いて読んだ為に吸血悪魔をこの世に召喚したんだった……どうしよ……まじで意味が分からん。ただでさえ会社でもやらかしたのに、いやもうどうせ首になる運命だし関係ないか。それよりも問題はプライベートだ。貴重なプライベートな日常をやらかすとは……少し気が滅入るも尋ねていく。
「あのさ、死ぬまで仕えるって言ってたけど具体的に何をするの?」
「それはマスターの命令次第だ。人を殺してほしくばこの手で屠ってみせよう──殺したい人間はいるか?命令すれば直ちに血の海に……」
「いやいやいや、いないから!」
吸血悪魔が口にした言葉に残忍さを感じ慌てて遮り否定すれば、「そうか、残念だ……」と心底落胆した表情をしたのでぞっとした。うっかりや冗談で誰かを殺したい等と口にした日には本当にそれが実行され、下手をすれば無慈悲な殺戮が始まる危険もある、発言には重々気を付けよう……。俺は気を取り直し他に何ができるかを尋ねれば、吸血悪魔は余り好ましい表情をしなかったが口にした。
「あとは──、人間の負のエネルギーを吸い取るぐらいだ。マスターも既に感じているとは思うが昨晩、気力を吸い取るついでにマスターが今まで溜め込んでいた負のエネルギーも馳走になった……身体が幾分楽になった筈だが、どうだ?」
そう問われ改めて自覚した。何時も目覚めが悪くどんよりとした気分で起き身体も怠かったが、今日は目覚めがよく頭もすっきりとし身体の不調もなかった。詰まりこれを使えばもしかして、いやあるいは──俺は熟考し閃いた。
「その力を使えば会社の糞な連中も企業方針も変えれるじゃないか!」
仕事は決して悪くなかった。ただ企業理念や方針がブラック過ぎて社内全体が殺伐としコミュニケーション不足で連携が取れず衝突が発生し、おまけにノルマもあるので心の余裕はなくなり、そのせいで仕事の効率も下がり負の連鎖が生まれ誰かに嫌みを向けないと自我が保てない程にメンタルが崩壊しているのだ。
「吸血悪魔、企業に勤める社員全員の負のエネルギーを吸い取れるか?吸い取れるなら今日中に実行してくれ!」
「血がみれないのが残念だが、マスターの命令とあらば実行しよう」
斯うして、猫の手ならぬ吸血悪魔の手を借り最初の命令を下した結果、企業方針は改善され殺伐とした空気もなくなり円滑に仕事ができる環境が整い社員の心も穏やかになり協力しあって仕事をする様にもなったので猫の手を借りたい等と思う事はなくなった。そんなある日、悪魔が呟いた──
「餡をまぶした米を一度食べてみたい……」
「それって、じいちゃんが作るぼた餅の事?そうだな……社内の空気も改善されて平和になったし有給も取りやすくなったし、今度一緒にじいちゃん家に行くか」
俺は吸血悪魔と共にじいちゃんのぼた餅を食べる約束をした──
完
猫の手ならぬ悪魔の手を借りた俺の日常 龍神雲 @fin7
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