我が猫ノンブルの原稿始末

登美川ステファニイ

我が猫ノンブルの原稿始末

「なあ、お前。この原稿の束をなんとかしちゃくれないかい」

 にゃ。

 私の問いに猫のノンブルは短く答えた。その顔は飯をよこせという時の顔だった。

「やれやれ。猫の手も借りたいとは言うが、お前の手じゃページもめくれないしな」

 私は容器を開け、ドライフードをカップですくいご飯の皿にあけた。ノンブルは我が意を得たりとばかりにドライフードをカツカツ食べ始めた。私への愛想など毛ほどもない。

 ついでに猫の水も交換し、私は自分の机に戻る。

 いつも執筆に使っているパソコンは今は閉じていて、そのパソコンの上にはA4サイズの紙120枚ほどがダブルクリップで留められ置かれていた。書き上げた小説の推敲用に印刷したものだ。誤字のチェックもしなければならないし、言い回しや展開ももう一度全体のバランスを見て考え直さなければならない。

 締め切りまではあと一週間だった。書く時間は半年ほどあったのに、いつもこの調子だ。尻に火がつかないと始められないし終わらない。

 とは言え、書くだけは書いたのだ。大きな修正は今更間に合わないが、せめて誤字はなくなるように見直さなければならない。一回ざっと読み返したが、あと二回くらいは読み返した方がいいだろう。

 私は原稿の束を手に取り、さっきまで読んでいたページをめくる。新しいキャラクターが出てきて物語が動く場面だ。

 出てきたキャラのイメージが貧弱なような気がする。もうちょっと修飾する言葉を増やして印象付けたいところだ。しかし過剰になりすぎても浮いてしまうし、他の文とのバランスもある。読めば直したくなるし、直したら直したでまた気になりだす。はっきり言って切りがない。だがまだやり切ったとは言えないから、もう少し悩みながら考えるしかない。

 にゃあああああ。

 ノンブルが私の椅子の後ろで鳴く。歳を取って耳が聞こえにくくなっているらしく、私を呼ぶときの声もでかい。人間も年を取ると声が大きくなるが、それは猫も同じようだ。

 私は椅子ごと振り向いてノンブルを抱きかかえる。

「お腹いっぱいになったのかい」

 持ち上げて左の腕に乗せるように胸の前で抱きかかえる。ノンブルの喉がコプッとと小さな音を立てる。まるで赤ちゃんのげっぷだった。ノンブルは喉を鳴らし目を細め、私に撫でられて満足そうに尻尾をゆらゆらと振っていた。

 私が小説を書いていても食事をしていても、ノンブルはお構いなしに抱っこをせがみ、食事を要求する。風呂に入っている時も、早く出て来いとばかりにドア越しに鳴いている。だがトイレの時は鳴いているのを聞いたことがないので、ちゃんと人間の行動を理解して鳴いているようだった。

 ノンブルはもう十五歳。人間でいえば七六歳らしい。日本での男の平均寿命は八一歳位らしいので、平均寿命まであとちょっとだ。と言っても猫と人間では比べることはできなそうだが、あと数年は頑張って生きてほしいものだ。

 ノンブルは元気な猫で、特に病気もせず怪我もしたことはない。腎臓が悪くならないように餌には気を使っているが、金がかかっているのはせいぜいその程度だ。風邪を引くようなこともないし、健康そのものだ。

 だが寄る年波には勝てないのか、やはり若かったころに比べると筋力は衰え体も全体的に小さくなっている。昔は一五〇センチ程の高さの棚にも平気で飛び乗っていたが、今はせいぜい六〇センチだ。それでもすごいような気はするが、肉が細くなり僅かに背骨の浮き上がった背中を見ると、少しずつ確実に老いているのだと感じる。

 私は今一人暮らしだが、実家では子供の頃から猫を飼っていたので、猫のいない生活を経験したことがなかった。親が捨て猫を拾い、その二年後に私が生まれた。その頃の猫はもう死んでしまったが、幼児期から中学生にかけては自分の兄弟のように思い一緒に遊んだり可愛がったりしていたものだった。私が生まれてからも数年に一度は捨て猫を拾うなどして数は増え、古参の猫が死んでも常に数匹の猫がいる状態で生活していたのだ。

 就職して一人暮らしを始めて、生まれて初めて猫のいない生活を経験することになった。

 猫が走り回らない。朝になっても飯をよこせと鳴かない。そこら辺に吐かれた毛玉が落ちていない。布団に入り込んでこない。抱きしめることも、肉球のにおいを嗅ぐことも出来ない。

 それは猫がいないから当然の事なのだが、まるで違う星にでも来たような奇妙な感覚だった。或いは、自分の重要な感覚器を奪われた感覚とでも言えばいいのだろうか。何かを失い、欠けているという感覚だった。

 それでも実家までは車で二時間の距離だったので、会いに行くことは簡単だった。月に一回程度は実家に会いに帰り、土日だけ滞在して自分のアパートに戻る。まるで単身赴任の父親のようだった。猫も私の事を忘れることはなく、一か月ぶりに会うと私の手や足のにおいを確認し、にゃあと鳴いて抱っこをせがんでくる。

 そのような生活が十年ほど続いたが、その間にも実家の猫は死に数が減っていった。その頃には両親も年老いていて、長ければ二十年は生きる猫を新たに拾ってくることはせず、飼い猫達はただ寿命を終えて減っていく一方だった。

 その代わりというわけではないが、私は自分でも猫を飼うことになった。それがノンブルだった。

 十五年前の或る日、私はたまたま早起きをしたので、会社までいつもと違う道を歩いて行こうとしたのだ。そのほんの気まぐれの道中で、私は段ボール箱に入れられ捨てられていた猫を見つけた。いつからいたのかは分からないが、五匹のうち四匹はもう冷たくなっていた。残る一匹も弱弱しく体を動かすだけで、もう鳴き声を上げる力も残っていないようだった。

 私は一人暮らしなので、もし怪我や病気で長い期間を不在にすると、猫の世話をするものがいない。だからペットは飼わないと決めていたのだが、その時の私は、この猫を見つけたのは天啓だと思った。

 たまたま早起きして、たまたま違う道を歩いたのだ。それが昨日や明日では、この猫に出会わなかったか、あるいは全部死んだ後だったろう。私は一匹だけになった猫を前に数分悩んだが、結局会社を休んで猫を連れて家に戻った。ネットでこういう場合の対処を調べ、猫を温めて砂糖湯を飲ませて応急処置をした。そして獣医に連れて行き事なきを得、そして飼うことになったのだ。

 以来ノンブルは我が家の王として君臨し、私を使役している。にゃあと鳴けば餌が出てきて、私の足をちょんちょんとつつけば抱っこしてもらえる。ブラッシングを好み、腹を撫でられればひっくり返ってそのまま寝てしまう。そんな王様だった。

 今もノンブルは私に抱かれて上機嫌だった。そんなノンブルの鼻梁を揉みながら私は言った。

「この原稿が終わらないんだ。何とかしてくれないか」

 ノンブルはとろんと眠そうな目をしてうとうとしていた。家臣の願いは叶わなそうだった。


 そして翌日、私が目を覚ますとノンブルが部屋にいなかった。いつもは餌をよこせと布団に近くで座っているのだが、今日は姿が見えない。

 布団から出てノンブルを捜しに行くと、隣の部屋の私の机の椅子に座っていた。そして私を見つけるとにゃあと一度鳴いた。飯をよこせといういつもの鳴き声と何となく違う様子だった。

 何か虫でも捕まえたのか? そう思って床を見回すが、特に変わったものはない。

 一体何かと視線を上げると、パソコンの上の原稿の束の上に毛玉が吐いてあった。胃液と一緒に吐き出された毛玉は原稿を汚し下のパソコンの天板にまで溢れていた。

「やりやがったなノンブル……」

 私は暗澹たる気持ちで毛玉と胃液まみれの原稿を見ていた。そしてノンブルに注意しようと睨みつけるが、とうのノンブルは身を起こし得意げな顔で私を見ていた。

 それで私は気付いた。ノンブルは私の願いを叶えてくれたのだ。原稿を何とかしてくれと言ったから、彼なりのやり方でやっつけたというわけだ。

 にゃあ。

 ノンブルがもう一度得意げに鳴いた。

 私はノンブルの頭を撫でながら嘆息した。まったく、これだから猫には敵わない。

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