第43話

 そんなことない……なんて、とても言えなかった。


 アリエットの言う通り、父さんと母さんは、まだ幼かった私に、赤ちゃんだったアリエットの世話を任せ、旅行や夜遊びに出かけてしまうことが多々あったからだ。


 ……両親が家を空けてばかりで、小さな姉しか頼る相手のいない赤ん坊の不安とは、どれほどのものなのだろう。その体験が、アリエットの情操面での発達に、大きな影響をもたらしたとしても、不思議ではない。


「小さい子供が赤ん坊の世話をするなんて、本当に大変だと思うし、それなのに、親以上に頑張って面倒を見てくれた姉さんには、心の底から感謝しているわ」


 アリエットはそう言って、柔らかく微笑んだ。

 先ほどの機械的な笑みとは違う、儚げで、そして、寂しい笑いだった。


「そんな大好きな姉さんと、私も普通の姉妹みたいに、幸せや喜びを共有したかった。でも、私、駄目なのよ。私の中にあるのは、意味不明な怒りと苛立ち、そして、異常な攻撃性だけ。だから、姉さんが『大切にしてるもの』を見ると、どうしても奪いたくなってしまう」


「…………」


「自分でも、どうしてそうなるのか、ハッキリとしたことは言えないけど、たぶん、姉さんが『喜びを感じてるもの』を自分のものにすることで、私にはどうしても理解できない、『喜び』や『幸せ』という感情を、姉さんと共有しようとしていたんだと思う。……馬鹿よね。奪ってしまったら、それはもう、共有じゃなくなるのに」


「アリエット……」


「そして、姉さんに悲しそうな顔をさせると、胸の中で、喜びとまでは言えないレベルだけど、奇妙な愉悦が湧いてくるの。最悪でしょ? 私は姉さんと幸せを共有したいのに、姉さんを傷つけることでしか、快感を得られないだなんて。私、攻撃性の塊だから、誰かを傷つけると、少しだけ、ワクワクするのよ。……最悪。本っ当に最悪。最悪だわっ」


 アリエットは、苛立ちと攻撃性を自分に向けるように、爪を立て、自らの首をかきむしった。よく見ると、アリエットの白い首には、古いひっかき傷がいくつか残っている。アリエットは時折、こんなふうに葛藤し、自分で自分を傷つけていたのだろうか……


「はぁっ、はぁっ、興奮してごめんなさい、姉さん。今日は私、姉さんに、きちんとお別れを言おうと思って、来たのよ。……ずっと、決めてたの。いつか、姉さんのことを任せられるくらい素敵な人が現れたら、私は姉さんと離れて、もう二度と関わらないようにしようって」


 思ってもいなかった言葉に、私は目を丸くする。

 黙ったままの私の代わりに、アリエットは語り続けた。


「あの執事さん、大したものよ。彼と姉さんが愛し合ってるのが分かったから、私、姉さんに内緒で、割と積極的に彼の気を引こうとしてみたけど、取り付く島もなかったわ。それどころか、『これ以上レオノーラ様を苦しめるつもりなら、たとえ彼女の実の妹でも、容赦しない』って、凄い剣幕で怒られちゃった」

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