猫の手から機械の手

コラム

***

猫の手もかりたいとは――。


非常に忙しく、誰でも構わないから手伝ってほしいことを意味する。


なんでも“ネズミを狩ること以外に何も役にたたない猫でも、“その手を借りたいと願うほど忙しいさま”が由来だとか。


さらに深く説明すると、実際に役立たずでも人数だけ居ればなんとか対処できるという意味で、猫の手を借りるということわざを使って誰かにお願いをするのは失礼に当たる。


だがオートメーション化、IT化がすすんだ現代においては、すっかり使われなくなった言葉だ。


今は猫の手ではなく機械の手――コンピューターがすべてをやってくれる。


それも何事にも対応できる優秀で万能なものだ。


ネズミを狩ること以外に何も役に立たない猫の手など、もう必要なくなったのだ。


「おい、人間」


私がそんなことを考えながらコーヒーを飲んでいると、突然現れた猫が声をかけてきた。


猫が人間の言葉を喋っている事実に戸惑ったが、現れた猫は私のことなど気にせずに話を続ける。


「お前の言う通りだ。今や猫の手は機械の手となった。だが、このままで本当に良いと思うのか?」


そこから猫のテクノロジー批判が始まった。


しかし専門用語が多すぎて、私には猫の言っていることの半分も理解できなかった。


まるで伊藤計劃けいかくの書いた小説に出てきそうな話だった。


まあ行き過ぎた科学技術というテーマは、昔からSFと結びついているというか古典なのだから当然だろう。


それでもあくまでフィクション。


猫が話をしてる時点からこれは夢だと思っていた私は、ろくに相手をせずにその場から去った。


去り際に、猫が私の背中に向かって言葉をぶつける。


「聞く気はないか……。後悔するぞ。今のままでは、猫の手ならぬ機械の手で人類は衰退すいたいする」


そんな夢を見てから数十年後――。


猫の予言した通りに人類は衰退した。


正確にいえば何もしなくてもよくなった。


世界はすべてコンピューターに管理され、これまで人がやっていた仕事は機械がやってくれるという状況だ。


頭を使わなくなった私たちは次第に鈍化し、ただ食事をして排泄するだけの存在になった。


さらに健康寿命も長くなったおかげで、高齢になっても生殖が可能な体になった。


なんのストレスもなく、徹底的に管理される私たちは、ただ子供を産むためだけに生きている。


それでも誰にも辛いことなどない。


飢えや病気に怯えることなく、毎日好きなことを好きなだけできる。


時間もいくらでもある。


だが、これが幸福なのだろうか。


これでは人間が機械のようではないか。


燃料を与えられ、ただ子を生産するだけの人生なんて。


それが良いのか悪いのかは私にはわからない。


わからないが、もう引き返すことはできないだろう。


人間は一度手に入れたものを、手放すことなどできないのだから。


私がそんなことを考えていると、どこからか猫の鳴き声が聞こえた気がした。



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